フセイン、カダフが倒されたのは、核を持っていなかったから、という話がある。事実はどうなのかは、もちろん分からない。そうだとすれば、自国の安全を守るために、敵対する政権があるところは、核を持とうとするのは、当然にみえる。
国際規定がどうのこうの、といい、今持っている国は、そのまま核を持ち、これから持とうとすると、制裁の対象となる、というのは、不公平な話である。
だが、そんなものをどこの国もがもって、事故でもおこれば、人類の破滅につながるような、とんでもない武器を、今後どうするのか。
みんなで無くしていくことが、正当というか、真っ当な考え方であることは、誰の目にも明らかである。しかし、そうはならない。
いずれ、人類は、このままいけば滅びる。太陽系そのものも巨視的には、永遠ではなく、ここから抜け出さなければ、永遠とはいえず、宇宙のそこここでも、永遠とはいえないから、いずれ、どこかの時点で、滅びるほかないのかもしれない。
西暦で、わずか2016年目という現在だが、その前にも時間は流れていた。地球全体を問題にできるようになったのは、短い時間の間ではあるが、ここまで進歩してきたのであるから、もう少し、さらなる進歩を期待したいものである。
事実、日常生活では、少しずつ進歩はしている。文明的になってきている。いろんな分野で技術の進歩がみられる。このまま、簡単に滅びさせるのは、チョット惜しい気がする。