甘利さんが、羊羹もろた。金ももろた。と言われて、記憶をたどるという。一週間はかかるという。金をもらったかどうかは、あちこちから同じようなことがあって、覚えてはいられないということか。意味不明である。
ノートを調べるのなら、数分もかからない。訪問者と会ったことは認めていて、相手が渡したというのだから、その事実そのものを否定する手段はない。相手がウソをついているとしかいいようがない。
甘利さんは、どう答えるのか。相手がウソをついているというしかないのではないか。どう調べてももらったことはない。ということは、相手の人が、自分を貶めようとして、画策しているのだ、とそういえばいいのではないか。
それには、証拠はいらない。ただ、相手側に証拠がある場合は、甘利さんがウソをついたことになる。そうなると、どうするのか。相手の証拠は、証拠にならないと、突っぱねるか。それも難しいのではないか。
で、一番いいと思われるのは、すべてを認めて、秘書のせいにして、自分もサッサと辞任することである。せっかく、安部政権の重要閣僚になっているのだが、そんなものは、手放してしまえばいいのではないか。
政治家は、多かれ少なかれ、口利きをして、いくばくかのモノを頂戴するというのは、常識ではないか。形を変えて、利権はあって、そこに報酬の伴わないわけはない。
価値観を変えて、別の生き方もいいのではないか。あるいは、出直しも有りうる。秘書のせいであれば、連座といっても、仕方ないなとなる。しばらく、休養すれば、また復帰だ。