新聞の俳句欄をみると、選者による選句のダブりは、ほとんどない。短歌欄には結構ダブりがあるのだが、それだけ、多様な選択眼があって、価値観があるということなのだろう。
短いだけに、どれを良しとするかについて、どれもいい、のかもしれない。この多様さは、選者の価値観によるのだが、先生クラスは、共通するような境地があるのかもしれない。
だが、矛盾するような、議論もでてくる。結局は、誰か自分が共感できる先生について、その方の指導のもと、技を磨いていくことが、上達の秘訣なのかもしれない。
確かに、物事に注目し、そこに詩心がわくかどうか、そこが成否の分かれ目であって、注目していると、自然のなかに、見えなかったものが見える、なんの変哲もないことが、生き生きしてみえるということがある。
そこが、俳句の意味というか、効用であるように思う。そこで、句になるかどうかが問題であるが、試行錯誤して言葉を選び、語順を検討するなどする。
うまくまとまり、選句されれば、嬉しいとなる。だが、その選句自体が、客観的に絶対ではないので、あまり深く考えても仕方ないことかもしれない。