空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

ドラマの役割

2012年10月16日 17時30分04秒 | 思考試行

夢千代日記で有名になった湯村温泉にいってきた。もう30年ほど前になるというが、映画になったり、テレビでも放送され、舞台にもなっている夢千代さんのおかげを、この温泉街は、いまだに受けている。

温泉街は、小ぶりではあるが、良い湯だし、環境もいい。吉永小百合さんの銅像があって、彼女そのままの大きさらしい。小柄で、本当にかわいい。

銅像のそばに、作者の早坂さんや、演出家の深町さん、舞台にでた三田さん、そして吉永小百合さんの手形があった。

人気を反映して、吉永さんの手形は、一番光っている。みんなが、自分の手のひらと合わせてみるから、こすれて光っているのである。エライものである。

本当に、小さい手である。小柄であるし、小さい手だし、それでも、その存在感はすごい。これをみると、ドラマというのは、本当にすごい力があるのだなと思う。

多くの人々に、これだけの感動や、絆を与えてくれるのである。ドラマは、言ってみれば、絵空事である。それでも、個々人の生き方の原点になったり、癒しのきっかけとなる。

できることならば、なんかドラマを作れないものかと夢想してしまう。


山中教授の生き方を学ぼう

2012年10月15日 06時53分43秒 | 思考試行

テレビの取材を受ける機会が、増えて、教授周辺の事情がよくわかるようになってきた。ノーベル賞を受賞した経緯や、学問的仕事の内容が語られる。どのようにして、科学技術の成果がつみあがってきたのかも語られる。

研究室に一人こもって、思索にふけってという、イメージがふきとんで、過去の仕事の積み重ね、そして、現代の科学者たちの仕事の成果を生かしあい、お互いが協力している姿がみえる。偉ぶったり、天狗になったりとか、威圧したりとか、そんなイメージがふきとんだ。

生き方がすばらしいし、考え方が健康で、すばらしい大阪弁のオッチャンである。マラソンを走って研究費の募金をしたりしながら、それこそ、人類のために、そして、研究に携わる人々のことを、真剣に考えている。

めぐまれない雇用条件を心配し、それでも、国への感謝のことばを忘れない。皮肉ではないか、と疑いたくなるほどの厳しい事情もみえてくる。

政党交付金を臆面もなく、お手盛りでうけとり、権力争いに懸命な、政治家連中とは大違いである。事実を隠ぺいし、秘密をたっとび、民意を無視する人々との違いはどうだ。

人類の仕事ぶりが、すべての分野で、このような山中教授のような姿勢が普通であれば、彼の周辺の人々の姿勢のようであれば、困難なさまざまな事情なんて、すべて解決可能ではないだろうか。

この生き方は、本当にすばらしい。学問的な成果は、もちろん素晴らしいが、それだけではない。ものの考え方、生き方が素晴らしい。ご家族の様子も、紹介されている。これこそ、人生をどう過ごすのかの模範である。

ええなあ!いい人はいいなあ!自分たちの住む世界でも、家族でも、周辺でもそのようでありたい。マネをしようと思う。


猫小屋の出来栄え

2012年10月14日 08時06分12秒 | 思考試行

少しずつ、寒くなってきて、庭猫たちの住まいを作った。餌のときには、側へ来るが、普段は、顔をみれば、逃げ出そうとする関係の外猫である。

程度の違いはあれ、飼い猫であり、庭から外へはいかない。雨がふったりすると、どこで、過ごしているのかと、家内ともども気にかけてきた。ときどき、いろいろと段ボールの箱で、家をつくってきた。

傘をさしかけて固定する、などやってきたが、なかなか決定打がでない。しばらく、入っていても、雨が降り込んだりすれば、もう入らない。

今回、使わなくなっていた低いテーブルを利用することにした。家内の発案である。やってみると、これがドンピシャで、段ボール箱、毛布、使わなくなった風呂のマットなどを組み合わせて完成。すっかり気に入ってくれたようで、夜も昼も、ここで、二匹が気持ちよく寝ている。

雨や雷にも、動じない。折を見ては、入っている入っている、と確認しあっている。ガラス戸越しに、動きがわかるようになっているのだが、少しは、関係が親密になるのだろうか。

やはり、身近にいないと、親密感がでてこない。猫の方も、徐々になれてくればいいのだが、もともと、ノラ出身であるだけに、そう簡単ではない。基本線をくずさないのである。

ナンカシタンカイナ!と逃げそうにするときには、声かけをするのだが、この関係は簡単には崩れそうにはない。


簡単そうにみえて

2012年10月14日 07時42分27秒 | 思考試行

荷物を、縛るのに、引っ張って、締め上げて緩まないようにするロープの縛り方がある。トラックなどの積荷を緊縛するのに、よく使われている。

これが、何度教わってもうまくいかない。ひょいひょいと、ワッカができて、留め金に行ったロープと、積荷の途中まで下りてきたロープで、グイグイ引っ張ることが可能となる縛り方である。

この結び方を知っていれば、全体重をかけて、締めることができるから、使用方法としては、応用が広い。どうにかして覚えたいと思い、縄結びの本を探していた。

古い本で、おほつき四郎編著「なわ結び」の本に出ていた。頭の中で、反芻しているのだが、実際のロープでやらないことには、話にならない。

練習するつもりである。本によると、どうしても理解できなかったところがひねりを加えているところだ。教わったときには、このひねりの意味がわからなかった。

応用の結び方もあった。有効な生活の技術である。こういう仕事のできる人の技術というものがある。こういうことにも関心を持ちたいものである。


カラー印刷の豊かさ

2012年10月13日 22時55分27秒 | 思考試行

ながらく、インクが足りないということで、カラープリンターを使っていなかった。インクジェット方式で、プリンタ購入後、それほど、使っていないのに、すぐにインクが切れているという表示がでて、使わないままにしていた。

ところが、白黒プリンターの調子がおかしくなったことから、カラープリンターも使えるようにしておこうと、補充のインクを購入し、ようやく、セットした。

地図など印刷をはじめた。カラーだとみやすく、豊かな感じがする。解りやすいし、これは、すばらしい。情報量が違うのである。

機械の値段は信じられないぐらい安いが、機能は素晴らしい。今後は、もっと、使っていきたいと思う。

だいたい、コンピューターをはじめ、機械も、ソフトだって、機能を全部使いきれていない。こんな豊かな時代が、現実のものになっている。この機能を、充分に使うことができれば、生活は質的に大きくかわるだろう。

少しずつ、時代についていこう。

 


もう仕事をやめようか

2012年10月13日 08時37分09秒 | 思考試行

なんて思ったが、よくよく考えてみれば、できる限りやるべきだ、の結論にする。昨日散歩をしていて、何もすることがない悲哀を感じた。

生きていることは、ただ時間待ちをしているのではなく、それなりに、楽しみを持ちながら、ということでありたいと思う。

それは、仕事だけではなく、自分が興味をもてることだと、何でもいい。家内が、俳句の通信教育を受けはじめて、もうレポートを三回ほど提出している。添削が二回分かえってきているが、真面目な、学生風の「先生」のようで、字なんて、かっちりと書いてある。

生徒の方が、先生らしくみえるぐらいに、書きなれた字という感じである。新鮮で、俳句の世界も広い。そこから新世界がある。家内は、このところ、ちょっとした時間をみつけては、筆ペンの練習と、俳句に挑戦している。ようやく趣味を見つけたようである。いいことだ。

小生は、これから放送大学にかかる。家内のように、ツボを見つけて、そこへ集中したいとも思うが、まだ、その気にはなれない。あっちこっちに、手をだし、ひっこめ、ウロウロしている。そのうち見つかるだろうと思っている。

昨日から、ユーチューブで、歌を聞きまくっている。中島みゆきさんに捕まってしまった。なんという歌手だと感心している。日本語が読めない人が、英語で、何を言っているのか教えてほしいみたいなことをコメントしている。

どうにもしてあげられないが、彼女のウタイブリを聞いて、尋常とは思えないのだろう。気持ちはよくわかる。中島さんの仕事量、質には敬服するしかない。こういう人が天才なのだろう。

ところで、この10月から、著作権法が厳しくなっている。ところで、これらのアップは違法ではないのだろうか。


中国作家のノーベル賞受賞はいいことだ

2012年10月12日 08時49分16秒 | 思考試行

文学賞は、中国の莫言氏が受賞した。言わない、という意味のペンネームらしい。中国政府の現状のいま、意味深長である。

多くの国民が、作家に注目し、広い視野、深い知見をもつことは、重要である。作品は、人間を描いている。直接的な啓蒙小説ではないだろうが、それは、普遍的な意味をもつ。

このところの、中国政府の排他的な反応は、危ういものを感じる。人間世界の現状が、まだまだの段階であることを痛感させる。その動向に、この受賞がいい効果をあげることを期待する。

汚職、腐敗、格差、権力争いの激しさ。これらが、中国を揺るがしている。日本も、民主党に政権交代して、官僚支配の構造から脱却しかかったと思ったが、ここへきて、「ポピュリズム批判」の動きが活発である。

民主党の政策を「バラマキ」と、単純に言ってのける神経が、この傾向を端的に示している。早くも自民党の復権を予測してか、官僚は、格差拡大傾向や、民意の反映などから遠のく傾向に動いている。

自民党は、政党交付金をうけとりながら、弱者切り捨ての動きの復活である。山中教授は、今まで受賞してきた賞金を、貯金している。それは、今、研究に関与している人たちの処遇の変化に備えているという。えらい違いである。


「仕組み」は簡単なのかも

2012年10月11日 08時52分55秒 | 思考試行

わかってみれば、世の中のしくみは、簡単なのかもしれない。中国が、大事な国際会議に出てこない。エジプトで、開催予定が政情不安定のために、急きょ日本に変更になったというIMF・世銀年次総会である。

それが、先の騒ぎで、来ないという。朝日の天声人語は、大きな体をした子供のようだ、という。本当にそのようにみえる。菅内閣のときの、朝日の書きぶりには、あまりの意地悪さ、不公平感に腹立たしく思ったのであったが、中国のことについては、まさに、同感である。

中国も国内問題をそらせるのに、外に敵をつくるというが、そういう構造があるようだ。外のことでは、意見が一致する。ともかくも、中国の実態が、白日のもとにさらされ、日本車の売れ行きは激減し、観光客もストップである。本当に子供の扱いについて、よくよく研究しなければならない。

地球を家族とするならば、まさに、家庭内暴力であり、日本でもあちこちで、家庭内暴力の悲劇が起こっている。対策を講じないと、どこの家庭もそうではないのだから、なぜそうなるのかの「しくみ」は、解明しておかないといけない。

今度の山中教授のノーベル賞も、いってみれば、組み合わせの問題のようで、しくみの話である。こういうことは、世の中に、普遍的にあることかもしれない。そういえば、・・・と思い当たるふしが、ある。


ノーベル賞の効果

2012年10月10日 22時12分12秒 | 思考試行

山中教授が、ノーベル賞を受賞した。多くの研究者の力が、合わさってという風に、伝えられている。実験に携わって、大きな力を発揮してきた高橋講師のことも、大きく扱われている。

これは、山中教授が、自分だけの手柄にしないでいる証左であって、これこそ研究所の人間関係の素晴らしさが、出ている。

そして、研究費が足りなくて、教授自らが、募金活動に努力しているという。政治家がお手盛りで、血税を浪費している一方で、真面目な研究者には、お金がまわらない。

それでも、そんなことはおくびにも出さず、この受賞は、日の丸のおかげだと教授が言った。恥ずかしくないのだろうか。政治家の諸君は。

それで、ノーベル賞の効果は、研究費の増額となるらしい。それで、人類のためになるのなら、すばらしいことである。大阪人らしくユーモアを忘れない、教授の今後の活躍を、期待したい。


なりすましと埋もれること

2012年10月09日 08時29分50秒 | 思考試行

人のパソコンにもぐりこみ、そこから、悪いことをする。こういう連中は、実際に行動することはない、と思われるが、それでも、実際にやるかもしれず、不安を与えることから、悪質といえる。

そうかといって、パソコンを通じての、意見の開陳ができないというのも、さびしいことである。声は、あげやすい方がいいし、また、表面には出たくない、という考え方があってもいい、と思う。

いわば、埋もれた人になりたいとすれば、なにか言っているけれど、それは、有名になりたいというのではなく、少しでも世の中に役立つようであればいいという思いでもいいし、世の中の現状に対して、そのときどきについて、ただただ、発言したいということであってもいい。

大した意見でなくとも、独創的な要素がなくとも、感じたことを言える、ということは、まさに、基本的な人権が尊重されていることに他ならない。

そして、無名を望んでいるというヒトが、実は、有名になりたい場合があってもいいが、無名であることを、つづけることができることこそ大切である。

社会的に、不条理と思われることや、隠ぺいされたり、異常がまかり通るようではいけないので、それらを批判したり、モンクがあるんだと発言できることは、大事な世の中の機能である。


連休の意味

2012年10月08日 11時04分55秒 | 思考試行

今日で、連休が終わる。といっても、きまったスケジュールのない身には、連休の意味はそれほどない。世間の多くの人が、休みというだけで、当方には、基本的に何の関係もない。

それは、少しさびしいことでもある。喜びもない。毎日が日曜日に近く、それが、連休の意味をなくしているのである。

テレビで、世界一の棚田のあるところ、中国雲南省に、大高氏が入り、取材している番組を先ほどまで見ていた。すべてを、人の手で、作業を行う。先祖から続く技術と、努力の積み重ねの結晶である、棚田群。

村人の相互協力。技術。生きていくことの原点を見せてくれる。都会にいて、その生きる本質を知ることもなく、のうのうと生きている当方にとって、そのひ弱さを思い知らされる。

長年積み重ねられてきた努力のうえに、形成された風景の美しさが語られる。誰かが手抜きをすれば、そこから崩れるという。

それを知っていて、相互に技術を競い、助け合って生きていくのである。棚田の風景を、地元の若者は、いとおしいという。

連休をうれしいと思える人、棚田をいとおしいという人。そこには、背景に、いろんな努力や苦労がある。楽に楽にと、生きてきた人間には、味わえない世界なのである。


さわやかな朝

2012年10月07日 08時38分37秒 | 思考試行

静かな朝、さわやかな朝である。もうはっきりと秋だ。空気が冷たい感じ。静かである。

人生も半ばを過ぎ、ようやく、どことなく落ち着きを、感じるようになった。過去のあれこれも、未来も、深刻には考えるつもりはない。済んだことを、悔やんでも仕方がないし、これからのことだって、なるようにしかならない。

希望は持ちたいが、もう大望は、どうでもいい。それでも、長期をかけてのトライは、いいかもしれない、などとも思っている。それは、大望ではないかの声がする。

過去の恥ずかしいことは、教訓として、胸の奥深く持っておこう。そこには、本質的な悪事はなかったことを幸せと思いたい。

いや、ひょっとしたら、大変な大罪を犯しながら、自分を誤魔化しているのではないか、などとは考えないようにしよう。それは、病気に近い。振り返って、左程でないことが多いに決まっている。

アンタは小心だし、とても用心深い。それでも、こんな表現の場があって、結構毒を吐いている。いい時代である。

こんな駄文を、何人もの人が読んでくださり、コメントまでくれた人もいた。最近は、それはほとんどない。あっても、すれ違いの感じがする。

ヒトは、結局のところは孤独なのかもしれない。なんとか誤魔化しながら、しかし、人生を深化させることも希望をすてずに、味わっていこう。そうしよう。


体験・・・財布を忘れて

2012年10月06日 08時33分29秒 | 思考試行

家内が、スーパーで支払をしようとして、財布を失くしたことに気付いた。慌ててさがしまくるも、無いものはない。小生の財布から、なんとか支払をすませて帰宅後、行動のチェックをするべく、振り返る。直近の行動としては、食堂での支払いである。

支払後にトイレに行ったことから、店のトイレで忘れたのだろうと思われたが、まずは、身辺の調査である。やるべき仕事が増えて、しかも、確定できない。店の名前は何だった?と家内。

この店は、顧客先への道中にある店だったので、小生は名前を覚えていた。この店に入るのは初めてであったが、入る方向が違っていたので、最初は、気付かなかったのであるが、いつも訪問の際には通ったことがあったので、見覚えがあったのである。最近は、別のルートを通るようになったので、久しぶりであったが、すぐに思い出していた。

ところが、帰宅して、ガレージのシャッターがあかない。電池切れのようだ。予備のものも電池切れ。内側からの、シャッター本体のスイッチでようやく車を車庫にいれる。トラブルは続くものだ。

シャッターをあけるのに、内側の、スイッチの存在を家内は知らなかったし、懐中電灯の置き場所も、知らなかった。さまざまに明らかとなる事実。家の前は、駐車違反指導員の通り道で、車から離れられないので、家内を動かすのだが、なんともはやの実態。

ようやく、家のなかへ入って、さっそくパソコンで、店を検索する。ただちに、家内が電話する。預かっている、の返答。カードの類もあり、さまざまな悩みが、氷解する。本当に、ナクシタモノが出てくると嬉しいものである。

ただちに、受取に行くことにした。家内は明日でも、などと言っている。くたびれ果てている。まだ、風邪気味である、無理もない。店の方の保管の面倒もある。躊躇なくでかける。

往路、交差点で、秋の交通安全運動の警官に、反対車線の、左折する二台の車が、止められた。信号が赤に変わっているのに、左折したらしい。警官達は、そこへ注目しているから、容赦はない。ガックリしている二台目の若者。

慎重の上にも、慎重な運転。お礼のことなど思いながら、店につく。入った途端に、すぐ解ってくれる。そして、当然のごとくに、お礼は必要ないといわれる。滅相もないという調子である。

帰りの、夕焼け雲が、美しい。本当に、すばらしい人達が住んでいる、と思わせてくれる。財布忘れは、家内も小生も初めての体験。家内は、自分だってそうすると、あたりまえの感想のようだが、小生もそうするとは思うが、あたりまえとは思えないホンネの気分がある。捨てたものではない、わが同朋よ!


買収の実態

2012年10月05日 11時10分28秒 | 思考試行

朝日新聞の今朝の朝刊に、大きく雑誌「潮」の広告がでている。この雑誌は、創価学会の総合誌である。各界の有名人が、執筆ないし、登場している。宣伝効果とともに、買収効果もある。この雑誌が持つ発行の効果は、広い。

広告に、池田大作氏が外国人と対談し「ゲーテ」について語っているとある。まさに、虎の威を借るキツネ、を思わせる。いくらゲーテについて、話しあったとしても、当人が同程度の水準のヒトであるとは限らない。しかし、錯覚を呼ぶ効果はある。権威づけ効果である。

誰が買収されたかは、この雑誌でも、わかるのだが、公明党・創価学会は、政治の世界でも今や、キャスティングボードを握る場面さえでてきている。庶民のなかに、棲みつき、侮りがたい政治勢力となっている。

宗教政党が、教祖の言うままに行動を開始したときには、恐ろしいものがある。個々の人間の意志というより組織的に集団が動くのである。

小生は、池田大作氏を信用することはできない。逆に、たいへん危険な要素を感じる。名誉会長と称し、カリスマとして組織内に絶対的な力を持つ。公明党の元委員長、竹入、矢野氏も彼の逆鱗にふれ、弾圧されて攻撃にさらされている。

政治の世界で、力をふるった二人にしても、まるで赤子の手をひねるごとくであり、圧倒的な力の差がある。おそるべきことである。池田氏以外は、なんの力もないということである。

大新聞は、軒並み創価学会について、モノが言えなくなっている。金の力でねじ伏せられている。こういう実態が進行していることについて、あまり知られていないようにみえる。おそろしいことである。


何が欲しいネン

2012年10月04日 11時54分10秒 | 思考試行

ヒトそれぞれに、欲しいものは異なる。有り余る能力がありながら、物欲や金銭欲とは無縁のヒトもいるだろうし、人類のために、ボランティアをしている人もいる。

そうかと思えば、金儲けだけが、人生の生きがいという人もいる。何が正しいのかは、解らないし、正解はない。人それぞれの考え方ということになる。

しかし、その視線が、人にやさしいヒトと、そうでないヒトとの違いは、大きい。中国の振る舞いをみていると、リーダーの資質や、国民一般の常識というのは、どうなっているのかと、不安になる。

そんな連中と付き合うぐらいなら、もうそんな世の中とは、早くおさらばしたいと思っても無理はない。ガミガミ言い合いをして、何とかなるならいいが、行きつく先は、戦争も辞さないなんていうことであるならば、まけるが、勝ちとでも考えるほかない。

泣く子と地頭には勝てぬ、ということか。

平和に気持ちよく暮らすためには、どうすればいいか。戦争ができる憲法を持ちたがる連中が目立つようになってきている。政治家は、そんな連中ばかりになってきた。

こんな連中を支持して、どうするつもりか、と言いたいが、さりとてそんな政治家ばかりが、当選するようでは、国民に責任がないとはいえない。シッカリシヨウゼ!