テレビの取材を受ける機会が、増えて、教授周辺の事情がよくわかるようになってきた。ノーベル賞を受賞した経緯や、学問的仕事の内容が語られる。どのようにして、科学技術の成果がつみあがってきたのかも語られる。
研究室に一人こもって、思索にふけってという、イメージがふきとんで、過去の仕事の積み重ね、そして、現代の科学者たちの仕事の成果を生かしあい、お互いが協力している姿がみえる。偉ぶったり、天狗になったりとか、威圧したりとか、そんなイメージがふきとんだ。
生き方がすばらしいし、考え方が健康で、すばらしい大阪弁のオッチャンである。マラソンを走って研究費の募金をしたりしながら、それこそ、人類のために、そして、研究に携わる人々のことを、真剣に考えている。
めぐまれない雇用条件を心配し、それでも、国への感謝のことばを忘れない。皮肉ではないか、と疑いたくなるほどの厳しい事情もみえてくる。
政党交付金を臆面もなく、お手盛りでうけとり、権力争いに懸命な、政治家連中とは大違いである。事実を隠ぺいし、秘密をたっとび、民意を無視する人々との違いはどうだ。
人類の仕事ぶりが、すべての分野で、このような山中教授のような姿勢が普通であれば、彼の周辺の人々の姿勢のようであれば、困難なさまざまな事情なんて、すべて解決可能ではないだろうか。
この生き方は、本当にすばらしい。学問的な成果は、もちろん素晴らしいが、それだけではない。ものの考え方、生き方が素晴らしい。ご家族の様子も、紹介されている。これこそ、人生をどう過ごすのかの模範である。
ええなあ!いい人はいいなあ!自分たちの住む世界でも、家族でも、周辺でもそのようでありたい。マネをしようと思う。
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