ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『華麗なる恋の舞台で』

2006-12-16 12:23:39 | 新作映画
(原題:Being Julia)

----このイシュトヴァン・サボーって監督、
『太陽の雫』という叙事詩的大作を作った監督だよね。
「ああ、あれはオモシロかったね。
20世紀のハンガリーを舞台に、
主演のレイフ・ファインズが3代に渡る主人公を演じ分け、
3時間があっという間にすぎていった」

----今度の映画も長いの?
「いや、それがなんと104分しかない。
原作はサマセット・モームの『劇場』。
サボーは映像でドラマを語るのが実に巧いことは、
その『太陽の雫』でも証明済みだけど、
ここでも大人の恋のドラマを存分に堪能させてくれたね」

----で、この映画はどんなお話ニャの?
「舞台は1938年のロンドン。
人気女優のジュリア(アネット・ベニング)は
満たされながらも変化のない毎日に
うんざり飽き飽きしていた。
そんなある日、彼女は
親子ほども年の違う米国青年トム(ショーン・エヴァンス)と出逢い、恋に落ちる。
だが、それもつかの間、
トムは若い女優エイヴィス(ルーシー・パンチ)と恋仲になったばかりか、
彼女をジュリアの舞台に抜擢してほしいとまで頼み込む。
失恋に深く傷ついていたジュリアだが、
私生活と仕事は違うと、
エイヴィスの売り出しに一役買うのだった……」

----ありゃりゃ。それは辛い話だニャあ。
「ところがこれが違うんだなあ。
この映画は悲劇と言うよりも笑劇。
チラシやプレスではジュリアの『第2章が始まる』と書いてあったけど、
ここから実に爽快な復讐劇が始まるんだ。
話の流れから、クライマックスは舞台での復讐と予想はついたけど、
ここまで鮮やかに見せてくれると、
もう拍手喝采もの」

----キービジュアルでは
ジェレミー・アイアンズと踊っているようだけど、
彼はどんな役柄なの?
「ジュリアの夫だよ」
----えっ、夫がいるの?
「うん。元俳優で今は劇場主で演出家。
ついでに言えば子供もいて
彼はトムと友だちになる」

----あらあら、進んだ関係だね。
マイケル・ガンボンは?
「この役が実に不思議。
ジュリアの人生の決断の節目節目に現れて、
その行動を<役者はかくあるべし>という立場で批評してゆく。
彼によれば、役者にとっては舞台の上こそが現実と言うんだね。
オモシロいのは、
彼が実際には登場人物たちの目には映っていないところ。
いわば、ジュリアの内なる心と言ったらいいかな。
だから彼女の実生活での言動は一種の“お芝居”。
本心を隠しながら泣いてみせるなんてのはお手の物。
付き人のエヴィ(ジュリエット・スティーヴンソン)はそんなジュリアを見て
『まぶたを腫らさず泣けるなんて…』と皮肉にうらやむ」

----でも、それだとジュリアを演じるアネット・ベニングの比重が大きくなるね。
「うん。この映画の最大の見どころはまさにそこ。
監督サボーは、映画にしかない特別なものとして
『人の表情をクローズアップして映し出すことができること』をあげている。
『映画では感情や思考が生まれる瞬間やその変化を
新たに表情に反映させて表現することができる。
映画だけが、どのように愛が嫉妬に変わるのか、
芽生えた想いがどのように瞳に映し出されるのか、
人生の素晴らしい変化、人間の表情の絶え間ない動きや、
それが生まれた瞬間を表現することができるのだ』と。
そして彼はこう結論づける。
『映画の持つ力というものは、スクリーン上の表情から生まれることになる。
映画の歴史は人の顔と表情の歴史なのだ』と」

----それって大胆すぎる結論の気もするけど…。
「いや。ぼくは映画っていろんな考え方があるからこそ、楽しいと思うんだ。
だって、みんながみんな『長回しのロングショット』じゃつまらないもの。
この映画の素晴らしいところは、
『クローズアップは、ダイアモンドと同じくらいの価値があるのだ』と言う
サボー監督の映画観を理解した名優たちが
スクリーンでその要求に応える素晴らしい表情を見せているところ。
とりわけジュリアを演じたアネット・ベニングには驚きだ。
彼女がアカデミー主演女優賞のウィナーでもよかったのでは……と
この映画を観て、そう思ったな」


(byえいwithフォーン)

フォーンの一言「ぼくも観たいニャ」ぼくも観たい

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