※注:今回は原作ファンとしての感想。
この映画が大好きな方はスルーされた方がいいかも。
あれはたしか小学5年の頃。
ちょっとミステリアスな転校生が
ぼくらのクラスにやってきた。
友だちと遊びに行ったその子の家の応接間で
彼女が見せてくれたのは
緑色のりんごが描かれたビートルズのドーナツ盤、
そしてP.L.トラヴァースの「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/90/8f9855cacffadbf5d2268361f41a3396.jpg)
そのカヴァーの絵は、
それまでにぼくが読んできた童話のそれとはまったく異なっていた。
いや、絵だけではない。
その中身もほかのメルヘン、ファンタジーとは似ても似つかぬものだった。
主人公のポピンズはしつけに厳しい家庭教師。
そんな彼女が魔法の世界に子どもたちをいざなう。
と、ここまでだったら、それまでにもよくあったであろう話。
ところが、このポピンズ、現実の世界に戻ってきたら全てはなかったかのように、
冒険の興奮の余韻に浸る子どもたちに、
「なにバカなこと言ってるの?」という突き放した態度を取るのだ。
このキャラ設定の妙こそが
原作「メアリー・ポピンズ」の最大の魅力。
さて、ここからがようやく映画の話。
ジュリー・アンドリュース主演の『メリー・ポピンズ』を観たのは、それから約10年後。
渋谷の東急名画座だった。
うーむ。これは…。
鳥やペンギンなどのアニメと実写の合成はたしかに楽しいし、
「チム・チム・チェリー」を始め、
その頃にはすでにスタンダードとなっていた音楽も気分を浮き浮きとさせてくれる。
映画として見る分には決して悪くはない。
でも、どこか違う。
そう、彼女はその笑顔も含めて優しすぎるのだ。
映画もエンタメの宿命とはいえ、
魔法に重きを置き、
子どもたちの心が置き去りになっている。
これについてトラヴァースはどう思っているのだろう。
ここに興味深い一本の映画がある。
『ウォルト・ディズニーの約束』。
その中では『メリー・ポピンズ』の映画化に
なかなか首を縦に振らないP.L.トラヴァースの姿が描かれる。
彼女を迎えるにあたってのディズニーの
「戦略」の失敗も手伝って交渉は難航。
部屋に置いてあった「くまのプーさん」のぬいぐるみに、
「かわいそうなA.A.ミルン」と呟くところに
トラヴァースの気持ちは象徴されている。
音楽を聴かせてもダメ、アニメと実写の合成などとんでもない話。
もちろん歴史が証明するように、最終的にはトラヴァースは映画化を承諾するのだが、
これを観て、なぜ「メリー・ポピンズ」にだけディズニー・グッズがないかは分かった気がした。
「白雪姫」「ピーターパン」「ピノキオ」のように、
ディズニーの作り出したキャラクター・イメージで自分の物語が語り継がれるのだけは避けようとしたのだろう。
さて、そんな中、半世紀ぶりに「メリー・ポピンズ」の新作『メリー・ポピンズ リターンズ』が登場。
前作を踏襲して、楽しいミュージカル仕立て。
ところが個人的にはこれがダメ。
霧のロンドンの情景も数多く取り入れられ、
世界観が一歩原作に近づいたかなと思ったら、
50年代ハリウッド黄金期を彷彿とさせる歌と振り付けがそれを遮断してしまう。
前作より、さらに現実パートは少なく、
ふしぎな世界のオンパレード。
エミリー・ブラントも美しすぎてポピンズ臭が薄い。
また、劇中、なんども「とびらをあける」に言及しながら、
ラスト、あっさりと去っていき、子どもたちもそのことに興味なしというのは…。
久しぶりに「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」を開きたくなった。
この映画が大好きな方はスルーされた方がいいかも。
あれはたしか小学5年の頃。
ちょっとミステリアスな転校生が
ぼくらのクラスにやってきた。
友だちと遊びに行ったその子の家の応接間で
彼女が見せてくれたのは
緑色のりんごが描かれたビートルズのドーナツ盤、
そしてP.L.トラヴァースの「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/90/8f9855cacffadbf5d2268361f41a3396.jpg)
そのカヴァーの絵は、
それまでにぼくが読んできた童話のそれとはまったく異なっていた。
いや、絵だけではない。
その中身もほかのメルヘン、ファンタジーとは似ても似つかぬものだった。
主人公のポピンズはしつけに厳しい家庭教師。
そんな彼女が魔法の世界に子どもたちをいざなう。
と、ここまでだったら、それまでにもよくあったであろう話。
ところが、このポピンズ、現実の世界に戻ってきたら全てはなかったかのように、
冒険の興奮の余韻に浸る子どもたちに、
「なにバカなこと言ってるの?」という突き放した態度を取るのだ。
このキャラ設定の妙こそが
原作「メアリー・ポピンズ」の最大の魅力。
さて、ここからがようやく映画の話。
ジュリー・アンドリュース主演の『メリー・ポピンズ』を観たのは、それから約10年後。
渋谷の東急名画座だった。
うーむ。これは…。
鳥やペンギンなどのアニメと実写の合成はたしかに楽しいし、
「チム・チム・チェリー」を始め、
その頃にはすでにスタンダードとなっていた音楽も気分を浮き浮きとさせてくれる。
映画として見る分には決して悪くはない。
でも、どこか違う。
そう、彼女はその笑顔も含めて優しすぎるのだ。
映画もエンタメの宿命とはいえ、
魔法に重きを置き、
子どもたちの心が置き去りになっている。
これについてトラヴァースはどう思っているのだろう。
ここに興味深い一本の映画がある。
『ウォルト・ディズニーの約束』。
その中では『メリー・ポピンズ』の映画化に
なかなか首を縦に振らないP.L.トラヴァースの姿が描かれる。
彼女を迎えるにあたってのディズニーの
「戦略」の失敗も手伝って交渉は難航。
部屋に置いてあった「くまのプーさん」のぬいぐるみに、
「かわいそうなA.A.ミルン」と呟くところに
トラヴァースの気持ちは象徴されている。
音楽を聴かせてもダメ、アニメと実写の合成などとんでもない話。
もちろん歴史が証明するように、最終的にはトラヴァースは映画化を承諾するのだが、
これを観て、なぜ「メリー・ポピンズ」にだけディズニー・グッズがないかは分かった気がした。
「白雪姫」「ピーターパン」「ピノキオ」のように、
ディズニーの作り出したキャラクター・イメージで自分の物語が語り継がれるのだけは避けようとしたのだろう。
さて、そんな中、半世紀ぶりに「メリー・ポピンズ」の新作『メリー・ポピンズ リターンズ』が登場。
前作を踏襲して、楽しいミュージカル仕立て。
ところが個人的にはこれがダメ。
霧のロンドンの情景も数多く取り入れられ、
世界観が一歩原作に近づいたかなと思ったら、
50年代ハリウッド黄金期を彷彿とさせる歌と振り付けがそれを遮断してしまう。
前作より、さらに現実パートは少なく、
ふしぎな世界のオンパレード。
エミリー・ブラントも美しすぎてポピンズ臭が薄い。
また、劇中、なんども「とびらをあける」に言及しながら、
ラスト、あっさりと去っていき、子どもたちもそのことに興味なしというのは…。
久しぶりに「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」を開きたくなった。