(原題:JAGTEN)
----この映画って、
ラース・フォン・トリアーらと
ドグマ85の運動を起こした
トマス・ヴィンタ―ベアの作品だよね。
「うん。
でも、予告編を覗いてみたら、
ドラマトゥルギーの強烈さを感じさせてくれる作品。
それだけで観てみたくなったね」
----どういうお話ニャの?
「じゃあ、まずはそこから。
主人公はマッツ・ミケルセン演じるルーカス。
42歳になる彼は、
森と湖の景観が美しい故郷の田舎町で
愛犬のファニーと暮している。
妻とは最近離縁し、
隔週の週末しかひとり息子のマルクスと会えない。
さらに教師として務めていた小学校が閉鎖されたことで失業も経験。
いまは、幼稚園教師の職を得て生活を支えている。
さて、物語は11月の狩猟シーズンから始まる。
ルーカスは、テオを始め
仲のいい友だちと鹿狩りを楽しむ日々。
ところが、そんなある日、
彼の人生を根底から揺るがす事件が勃発する。
ルーカスが幼稚園児に悪戯したという噂が流れたのだ。
その種を蒔いたのは
テオの娘で幼稚園に通うクララ。
不仲の両親に代って優しく面倒を観てくれるルーカスに好意を抱く彼女は、
その気持ちを期すとプレゼントに託して伝えたところ、
ルーカスがやんわりとそれを拒否。
これに傷付いたクララは作り話を園長に話してしまう…」
----うわあ、恐い話だニャ。
周囲は子供の言うことを信じてしまうよね。
「そういうこと。
子供は嘘はつくはずはない…という
先入観を基に映画を作っていく、
その着眼点もさすがだけど、
ぼくが感心したのは
もし、そのような状況が生まれたら、
そのとき、
事態はどのように推移していくかを
細かく検証した脚本の素晴らしさ。
そのどのエピソードもが
説得力を持って観る者に迫ってくるんだ」
----たとえば?
「クララは、
比較的早い段階で
自分がついた嘘がとんでもない事態を巻き起こしていることに気づき、
『あれは、ほんとうは違うの』と撤回しようとする。
ところがそれを聞いた母親は
ショックなことは忘れようとするものと、
娘に言い聞かせ、
最初に彼女が発した “嘘”の方を信じてしまうんだ。
一方、幼稚園の園長はといえば、
自分が想像する最悪の事態を、
ルーカスが行なっていると思い込み、
同じく、彼女に頼まれてやってきた調査員も
その前提のもとに
クララに対して、不適切な誘導質問を行なう。
さらに園長は、
これはクララに限っていないのではないかと、
他の親にも話を広め、
あげく警察へ通報してしまう」
----うわあ、泥沼だニャあ?
「この後は想像つくよね。
ルーカスは町の人々から白眼視され、
日々の買い物にも困るほどの迫害を受ける。
周りの反応としては『悪いことをしたお前に売るものはない』ってヤツだ。
実は、ぼくはここに
現代(いま)のこの国の空気に繋がるものを感じたんだ。
たとえば、つい先日も問題となった死刑執行。
『それだけの悪いことをして
裁判でも判決が下りたんだから当然』みたいな…。
でも、その人がほんとうに犯罪者だということを
ぼくらが確信を持って断言できるほど、
個別の事件に詳しいと言えるだろうか?
この国では、冤罪はずっと起こり続けているじゃないか…とね。
自分がいつルーカスみたいな立場になるか分からないのに、
まるで裁判官のようにふるまってしまうのは、
ほんとうに信じられない」
----う~ん。言っていることは分かるけど、
今日は少し、映画というよりも
そこでの主義主張に偏りすぎていニャい?
「そうだね。
でも、この映画の素晴らしいところは、
そういった、
時代の病巣を
映画として過不足なく抉りだしているところ。
実は、この映画のオチが、
もう、これしかない…というほどよくできている。
一回、押されてしまった烙印は
そう簡単には消えない。
それによって
その人は
一生、安心して人生を送ることはできないということを
映像として見せてくれる
ほんとうに秀逸なラストだったよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「主演のマッツ・ミケルセンがいいらしいのニャ」
※とりわけ芽の演技。“北欧の至宝”と言われるのも分かる度



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----この映画って、
ラース・フォン・トリアーらと
ドグマ85の運動を起こした
トマス・ヴィンタ―ベアの作品だよね。
「うん。
でも、予告編を覗いてみたら、
ドラマトゥルギーの強烈さを感じさせてくれる作品。
それだけで観てみたくなったね」
----どういうお話ニャの?
「じゃあ、まずはそこから。
主人公はマッツ・ミケルセン演じるルーカス。
42歳になる彼は、
森と湖の景観が美しい故郷の田舎町で
愛犬のファニーと暮している。
妻とは最近離縁し、
隔週の週末しかひとり息子のマルクスと会えない。
さらに教師として務めていた小学校が閉鎖されたことで失業も経験。
いまは、幼稚園教師の職を得て生活を支えている。
さて、物語は11月の狩猟シーズンから始まる。
ルーカスは、テオを始め
仲のいい友だちと鹿狩りを楽しむ日々。
ところが、そんなある日、
彼の人生を根底から揺るがす事件が勃発する。
ルーカスが幼稚園児に悪戯したという噂が流れたのだ。
その種を蒔いたのは
テオの娘で幼稚園に通うクララ。
不仲の両親に代って優しく面倒を観てくれるルーカスに好意を抱く彼女は、
その気持ちを期すとプレゼントに託して伝えたところ、
ルーカスがやんわりとそれを拒否。
これに傷付いたクララは作り話を園長に話してしまう…」
----うわあ、恐い話だニャ。
周囲は子供の言うことを信じてしまうよね。
「そういうこと。
子供は嘘はつくはずはない…という
先入観を基に映画を作っていく、
その着眼点もさすがだけど、
ぼくが感心したのは
もし、そのような状況が生まれたら、
そのとき、
事態はどのように推移していくかを
細かく検証した脚本の素晴らしさ。
そのどのエピソードもが
説得力を持って観る者に迫ってくるんだ」
----たとえば?
「クララは、
比較的早い段階で
自分がついた嘘がとんでもない事態を巻き起こしていることに気づき、
『あれは、ほんとうは違うの』と撤回しようとする。
ところがそれを聞いた母親は
ショックなことは忘れようとするものと、
娘に言い聞かせ、
最初に彼女が発した “嘘”の方を信じてしまうんだ。
一方、幼稚園の園長はといえば、
自分が想像する最悪の事態を、
ルーカスが行なっていると思い込み、
同じく、彼女に頼まれてやってきた調査員も
その前提のもとに
クララに対して、不適切な誘導質問を行なう。
さらに園長は、
これはクララに限っていないのではないかと、
他の親にも話を広め、
あげく警察へ通報してしまう」
----うわあ、泥沼だニャあ?
「この後は想像つくよね。
ルーカスは町の人々から白眼視され、
日々の買い物にも困るほどの迫害を受ける。
周りの反応としては『悪いことをしたお前に売るものはない』ってヤツだ。
実は、ぼくはここに
現代(いま)のこの国の空気に繋がるものを感じたんだ。
たとえば、つい先日も問題となった死刑執行。
『それだけの悪いことをして
裁判でも判決が下りたんだから当然』みたいな…。
でも、その人がほんとうに犯罪者だということを
ぼくらが確信を持って断言できるほど、
個別の事件に詳しいと言えるだろうか?
この国では、冤罪はずっと起こり続けているじゃないか…とね。
自分がいつルーカスみたいな立場になるか分からないのに、
まるで裁判官のようにふるまってしまうのは、
ほんとうに信じられない」
----う~ん。言っていることは分かるけど、
今日は少し、映画というよりも
そこでの主義主張に偏りすぎていニャい?
「そうだね。
でも、この映画の素晴らしいところは、
そういった、
時代の病巣を
映画として過不足なく抉りだしているところ。
実は、この映画のオチが、
もう、これしかない…というほどよくできている。
一回、押されてしまった烙印は
そう簡単には消えない。
それによって
その人は
一生、安心して人生を送ることはできないということを
映像として見せてくれる
ほんとうに秀逸なラストだったよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「主演のマッツ・ミケルセンがいいらしいのニャ」

※とりわけ芽の演技。“北欧の至宝”と言われるのも分かる度





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