ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『ダラス・バイヤーズ・クラブ』

2014-01-30 00:34:37 | 新作映画

(原題:Dallas Buyers Clube)


----おおっ、こっちから来たか…。
これは確か今話題のマシュー・マコノヒー
「そうだね。
マコノヒーなんて、
『評決のとき』で売り出した最初の頃はともかく、
その後は『サラマンダー』のような怪作に出たりして…。
まさか、ここまで伸びてくるとは思わなかった。
去年だけでも『リンカーン弁護士』『ペーパーボーイ 真夏の引力』と、
その演技の幅は実に広い」

----確かに。
で、今回の彼の役どころは?
「なんとHIVウィルス感染者。
この映画の舞台となった80年代は、
まだ、世間にはHIVへの正しい知識がなく、
HIV、そしてAIDZという言葉に
だれもが恐怖と偏見を抱いていた時代。
この映画の主人公ロン(マシュー・マコノヒー)もそんなひとり。
ロック・ハドソンのAIDZ公表を受けて、
彼はホモだと決めつけてしまう。
ところが、そのロン自身がHIVに感染。
男との性交渉など身に覚えのあるはずもない彼は、
マイクロフィルムでこの病気について徹底的に調べ始める。
そしてと未承認の薬AZTを闇で入手。
ところがこの薬の副作用は凄まじく
ロンはあわや命を落としてしまいそうになる。
九死に一生を得た彼は、
その対抗薬を求めてメキシコへ。
さらにはそこで手に入れた薬を国内に持ち込み、
ゲイ・コミュニティに繋がっているレイヨンをパートナーに、
他の患者たちにさばき始めるが…」

----ふむ。
そのパートナーを演じるのが
ジャレッド・レトってワケだニャ。
あれっ、どこにも出てないよ?
「いやいや。
ほら、このグラムロック風メイクの…」

----えっ、これ女性じゃニャいの?。
「驚きでしょ。
ぼくも
前もってプレスに目を通してなければおそらく気づかなかったと思う。
まったくホモっけのないロンと、
ジャレッド・レト演じるトランスジェンダーのレイヨン」

----ちょっと『真夜中のカーボーイ』を思い出すニャ。
「さすがフォーン。
いい例えだ。(笑)
さて、ロンとレイヨンはこの“事業”を拡大。
二本を始め世界中へ仕入れルートを広げていく。
やがてそれは、
会費を募り、必要な薬を無料で配る“ダラス・バイヤーズ・クラブ”へと発展。
だが、そこにAZTの投薬を推奨し始めた医師と製薬会社、
さらには政府が立ちはだかる…というお話だ」

----へぇ~っ。
これ事実ニャんだよね。
スゴイ人がいたものだニャあ。
それで良心の呵責とかはないの?
「うん。
根底にあるのは“生きたい”というそれだけの気持ち。
ところが、そのあたりまえのことを追っているのに、
薬を飲む権利を国が侵害する。
これは、考えさせられる話だったね。
日本でも、丸山ワクチンという未認可医薬品が話題になったことがある。
ガンに効くということでね。
だけど、国はその効果は実証されていないという。
この映画では、
アメリカでは未認可の薬が海外では認可されているというのがポイント。
手を伸ばせば、
すぐそこに自分の命が助かるという“希望”がありながら、
国はそれを許さない。
そう、この映画は“生きる権利のための戦い”を描いた映画。
それを監督のジャン=マルク・ヴァレは、
当時の世相、風潮を織り込むことで、
ユーモアと共に見せていく」

----ユーモアって?
「レイヨンは自分の憧れ、マーク・ボランのポスターを壁に貼りまくり。
ところがロンはそれをボーイ・ジョージと勘違い。
そんな調子で、
ロック・ハドソンについても
『北北西に進路を取れ』の出演者と思い込んでいる。
こういった、ちょっとした“遊び”が、
命の問題を扱ったこの映画を、
あまりヘビーなものへと傾かないようにしている。
そこが『フィラデルフィア』などとの違いだね」

----あの映画も、
トム・ハンクスの演技が話題になったよね。
「そうだね。
このマシュー・マコノヒーも十分にその可能性はあると思う。
ちょっと言い方は悪いけど、
レイ・ミランド『失われた週末』以来、
アカデミー会員は、昔からアルコール中毒やドラッグ中毒など、
障碍を抱えた者を演じた俳優には称賛を惜しまない。
クリフ・ロバートソン『まごころを君に』、
ニコラス・ケイジ『リービング・ラスベガス』、
ジェフリー・ラッシュ『シャイン』、
ジェイミー・フォックス『Ray/レイ』
などもそうだ。
そこに『レイジング・ブル』のデ・ニーロを思わせる21kgの減量
今回のオスカー・ノミネート作全部を観ているワケじゃないから何とも言えないけど、
彼は主演男優賞にもっとも近いところにいるのではないかな。
ただ、作品賞としてはどうだろう?
アメリカ社会そのものとの徹底抗戦を描いているからね。
これがもし受賞したら
ぼくもちょっとアカデミーを観直すかもね」



フォーンの一言「薬に自己責任という言葉はないのかニャ」身を乗り出す

※個人的なことだけど、ロンが日本にまで足を伸ばして手に入れようとしたインターフェロンというのは
25歳の時、ぼくの命を救ってくれた薬。
アメリカに生まれていたら、とっくにこの世を去っていたかもだ度}

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『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

2014-01-25 14:56:24 | 新作映画
(原題: THE WOLF OF WALL STREET)


----おっ、観てきたばかりの映画。
最近にしては珍しいニャあ。
アカデミー賞がらみだと、
『アメリカン・ハッスル』『ネブラスカ/ふたつの心をつなぐ旅』もまだなのに…。
「そうなんだよ。
このままだと、
ついつい喋るのを逸してしまいそうで。
この映画くらいは、興奮が持続しているうちにと思って…」

----そんなに興奮するような映画だったの?
「うん。興奮なんてもんじゃない。
マーティン・スコセッシ監督とレオネルド・ディカプリオが組む作品にはハズレがない
なかには『ディパーテッド』『シャッターアイランド』について、
あまりよくないようなことを言う人もいるけど、
それでも水準をはるかに上回っているのは間違いない」

----スコセッシ映画の中でディカプリオがやる役って、
あまり褒められたような人間じゃない気がするけど…。
どういうところがいいの?
「スコセッシがディカプリオという才能を得て描くのは、
いつも、ある種のモンスター
同じ人間なのに、どうしてこんな人が生まれたの?
って言いたくなるほど、
通常の人間の生き方とは違う。
とことん欲と野望にまみれ、
そしてその野望を、さして努力もせずに実現させちゃう。
いわば天賦の才を持った人ばかり。
そう、スコセッシは努力によって成功した偉人なんか興味がない。
普通とは違う才能を持ちながら、
世のため人のためではなく
自分のために使う…そういう人を描いちゃうんだ

ある意味のピカレスクロマン
そのヤバさが<闇の芸術>=映画にはピッタリ」

----ということは、今回の
『ウルフ・オブ・ストリート』もだニャ。
「そういうこと。
この映画の主人公、
株式ブローカーのジョーダン・ベルフォードはその典型例。
なにせ、貯金ゼロから年収49億円まで上り詰めちゃうんだから。
それも、他人の人生を踏みにじってね」

----へぇ~っ。
それで良心の呵責とかはないの?
「微塵もね。
そんなのを持っていたら、
彼のような豪快な人生は歩めないし、
映画としても中途半端でオモシロくなくなっちゃう。
このジョーダンという男、
成功の階段を歩むにつれ、
その散財ぶりも常軌を逸したものとなる。
会社の中に下着姿の楽隊やストリッパーを呼び込むし、
その毒気にあてられたように社員同士はオフィスのあちこちで
セックスにいそしむ。
彼自身の生活ももちろんド派手。
プール付きの豪邸などは当たり前、
女、ドラッグ、ヘリにクルーザーと、
その日々は放蕩三昧。
誰かがプレスに書いていたけど、
まさに“現代のカリギュラ”」

----でも、
そういう人を
スコセッシ自身は、
どう思っているんだろう?
「ぼくにとっては、
映画として面白ければいいワケだから、
それは二の次になるんだけど…。、
スコセッシは手放しでほめているようには見えないね。
ジョーダンは、
社員を集めての演説で
『君たちは大金持ちになる自由もあるし、
貧乏になる自由もある』
と言い放つ。
それを聞いて、熱狂する社員。
その状況は、いまの日本の格差社会の中で、
さらなる自由競争を推し進めようとしている人たちの空気とも酷似している。
確か、新自由主義の旗を振った竹中平蔵氏
これと同じセリフをどこかで言っていたような…。
これに対してスコセッシが同意しているとは思えない。
だからこそ、彼が描く“栄光”の人には、
必ずと言っていいほどその後の“没落”がある

ただ、繰り返し言うけど、
映画というのは“モンスター”を描くからこそオモシロい。
そのモンスターを演じるディカプリオの演技も彼の総決算と断言して間違いない。
自分のお尻にロウソク付きたてて女王様にかしずいたり、
娼婦のお尻からドラッグを吸ったりと、
もう、あきれかえるほどの壊れぶり。
中でも、究極のドラッグを試した後に起こる彼の<異常>は見モノ。
言葉はまともに喋れず、
手足も動かない中、
這いずり、階段を転げ下りながら自分の車へ。
ようやく帰宅した後のジョナ・ヒル演じるドニとの格闘は抱腹絶倒、空前絶後のオモシロさ。
とにかく3時間があっという間に過ぎてしまうよ」




フォーンの一言「これはフォーンも観たいのニャ」身を乗り出す

※「お腹いっぱい」はこういうときに使う言葉だ度

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『抱きしめたい―真実の物語―』

2014-01-23 23:31:31 | 新作映画

----あれっ。昨日はこの映画のほかに
実写版の『魔女と宅急便』、それに話題の『映画 愛の渦』を観たんだよね。
よりによってなぜこの映画?
確か、観る前はあまり気乗りしていなかったのでは…。
「そうだね。
他の二本も、よくできているしけっこう楽しめた。
でも、それはいずれも観る前から抱いていた想像の範囲内。
この映画はおそらくこんな感じなんだろうな…という。
まあ、『魔女の宅急便』に関しては、
ジジがCGだったということの気づきはあったけど…。
ところがこの映画は、ほんと驚き。
最初は
また、“泣かせ”の純愛映画かと…。
監督が塩田明彦じゃなかったら、
もしかしたら観なかったかも…」

----ということは、
その“驚き”がポイントということだニャ。
「うん。
この映画が<事実>に基づいていることもね。
北川慶子演じる、主人公つかさは
高校時代に交通事故に遭い、
以後、車椅子で生活を送っている。
しかもこの映画の始まり、2014年においては
すでにこの世を去っている…」

----えっ、それってネタバレでは?
「いやいや。
そのことは早くも冒頭に明かされるんだ。
そして物語は、そこからの回想形式で紡がれていく。
回想するのは錦戸亮演じる夫の雅己。
本来ならば、それは伏せておき、
その死別の瞬(とき)間で感情を大きく揺さぶるのが
“泣かせ”映画の常道。
それを破ったということは、
塩田監督の
この映画を安易な“泣かせ”映画にはしないという強い決意の表れでもあるんだ」

----う~ん。
それは分るけど、
じゃあ、監督はどこを観てほしいと思っているの?
「それは
ある“重要なできごと”に直面した人々それぞれの考え方、生き方。
彼らは、それぞれ
自分の過去の積み重ねの上に<現在>を生きている。
これは、そんな彼らが
つかさという<現実>と出会ったことで、
それぞれの内なる<声>と向かい合う

そういう映画なんだ。
だからここには、
表面的な、生ぬるいセンチメントはない。
雅己の父・武雄(國村隼)は、息子が障害者と結婚することで
自分は孫の顔も見られないのかと、
雅己とののしり合いの大喧嘩をするし、
つかさの母・清美(風吹ジュン)は、
雅己の甘さに、その顔を平手打ちする。
そんな清美に対し、つかさは
私はわがままに生きる』と宣言。
映画の最初の方でも彼女は
気の強い、とっつきにくい女の子にしか見えない」

----ニャんだか、ひねくれた見かたしていない?
「まあ、そう思う人もいるかもね。
でも、ぼくはほんとうにそう思ったんだ。
この映画は、
一つひとつのできごとが
ほんとうに丁寧に描かれていると…。
それはとりもなおさず、、
登場人物、一人ひとりが
それぞれの生をビビッドに生きているからなんだ」

----ニャるほど。
だからツイッターで
これまでの日本の難病映画の壁を破った”と言っていたんだニャ。
ところでそのツイッターでも言っていた“回転木馬のキス”というのは?
「そのシーンも、塩田監督の技が冴える。
上下に動く回転木馬にあわせて
側で付きそう雅己は馬上のつかさにキスしようとするんだけど、
なかなか上手くいかない…そのもどかしさ。
これも“映画として魅せる”ための演出。
あと、やはり特筆すべきは北川景子の演技だね。
劇中、清美はつかさのリハビリ映像を雅己に見せるんだけど、
その中のつかさ、つまり北川景子の演技が言葉を失うほどに凄絶。
これは、おそらく北川景子自身が本人のドキュメント映像を観て、
ある覚悟を決めたからに違いない。
女優が賭けた、あるいは勝負に出た瞬間という気がしたね。
と同時に、
ここで写される映像が
最後まで、
すべてテレビモニターの中というのも注目。
つまり、塩田監督はあくまで
劇中ドキュメンタリーの形を貫くんだ」

----どういうこと?
「これまで、
このようなケースでは、
中の映像がスクリーンいっぱいにブロウアップされるのが常。
その方が観客は見やすいからね。
でも、ここではそんな観客の立場よりも、
これは雅己たちが見ているものであるという<事実>の方に重きを置く。
塩田明彦監督の作家としての個性がにじみ出たシーン。
ぼくはそう思ったな」



フォーンの一言「『余命1カ月の花嫁』とはだいぶ違いそうだニャ」身を乗り出す

※“お姫様抱っこ”が自然に増えることも計算のうちだ度

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『ハリケーンアワー』

2014-01-18 14:41:16 | 新作映画
(原題: HOURS)


----これって、
昨年末に自動車事故で亡くなった
ポール・ウォーカー主演の映画だよね。
自分で製作総指揮も務めているんだって?
「うん。
それだけに熱のこもった演技だった。
お話の方も、
なるほどと、よく考えられているんだけど、
もう少し上手くやれないものか?
ちょっともったいない気がしたね」

----どういうこと?
「じゃあ、そこを説明するために、
まず簡単なプロットを。
この映画の舞台は、
巨大ハリケーン“カトリーナ”に見舞われた
2005年8月のアメリカ、ルイジアナ
その日、我が子の命と引き換えにひとりの女性が亡くなる。
赤ちゃんも早産だったために生命維持装置の中に。
一方、ハリケーンの猛威はとどまることを知らず、
病院のスタッフたちは、
他の患者たちと共に別の病院へ避難してしまう。
父親であるノーラン(ポール・ウォーカー)は、
我が子を守るべく、ひとりこの難局に立ち向かうが…」

----そんな…。
みんないなくなるって酷すぎる。
「確かに。
でも、ここはありえるかもな…と思ったね。
こういう非常事態では、
いかに早く正確な情報を掴み、
迅速に行動するかが、
生死の分かれ目となる。
この映画には
そのパニック状況がよく現れていた。
もちろん、この赤ちゃんだって
初めから見捨てられていたワケじゃない。
ただ、担当のドクターが
この災害で
自らの命を落としてしまうんだ。
しかも、停電によって生命維持装置が止まり、
頼みの補助バッテリーも正常には動かなくなる」

----ええっ。
じゃあ、どうするの?
「ノーランは、
手動の発電機を探し出し、
それで電気を起こす。
ところが、これもガタがきていて、
3分と持たない。
つまり、約3分ごとに
彼は手で発電機を回さなければいけなくなるワケだ。
ところが、その“持ち時間”も徐々に短くなる」

----うわあ、それは大変だ。
いつまで続けるの?
助けがくるかどうかだって
分らないんでしょ?
「そうだね。
ただ、ノーランは
ドクターのある一言に望みをつなぐ。
それは“48時間”後には
自力で息ができる可能性があるということ…。
だけどなあ。
48時間を3分で割ったら、
どれだけの回数、回さなくちゃいけないか…。
発想はオモシロいんだけど、
ここで急に現実味が薄くなってしまう。
というのも、その間にもトラブルは続出。
点滴用の薬を探したり、
救助ヘリに信号を送るため屋上に上がったり、
ついには食料や医薬品を求めてやってきた
凶悪な武装集団とも戦わなくてはならなくなる。
発電機を回して、それらのトラブルに立ち向かい
3分以内にまた戻る」

----ええっ。それって
スゴい緊迫感じゃニャい。
「そう、アイデアはいいんだ。
だけど、どう見ても
そのトラブル、それぞれへの対処が
3分以上かかっているようにしか見えない。
このタイムリミットをせめて10分とか15分とかにすれば、
もっとリアリティのある映画になったはず。
そこが残念だね」



フォーンの一言「確かに、これは体力勝負だニャ」身を乗り出す

※48時間、ちょっとでも睡魔に襲われたらそこでアウトだ度

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『東京難民』

2014-01-11 15:20:20 | 新作映画

----『東京難民』
スゴいタイトルだニャあ…。
ベトナム難民なんてのは聞いたことあるけど。
「そうだね。
正直、ぼくも最初は観るのが怖かった。
いま、行くところまで行ってしまった日本の格差社会、
その現実を突きつけられる気がして、
どちらかというと、
映画に夢を見たいほうの自分に
果たしてこれは正視できるだろうかって…」

----あっ、それは分るニャ。
だから、観てからもずっと喋らなかったんだ。
「うん。
あまりお屠蘇気分でめでたい
年始には向いていないような…。
でも、今日は11日。
鏡開きも終ったことだし、
都知事選も近づいている。
ここで振り返ってみようかと…」

----都知事選って関係あるの(笑)?
「あるある。
今回なんて、
一方では、
権力者、富裕層がこの国を牽引していて、
そのおこぼれに預かっているのが弱者で、
救済の必要なんぞはない、などと、
弱者切り捨てを公言する人まで立候補しているしね。
で、なぜかそういう声が
一部で喝采を浴びたりもする。
そんな人たちにこそ、この映画は観てほしい、
切実にそう思うね。
というのも、ここで描かれている主人公、
大学生の時枝修(中村蒼)は、
どこにでもいるような普通の大学生。
もちろん授業をさぼったりもするし、
合コンで盛り上がったりもする。
でもだからと言って、
彼の“地獄めぐり”が始まるのは、
そんなことが理由ではない」

----いわゆる“自己責任”とは違うってこと?
「そういうこと。
彼は、ある日突然、
大学から、なんの通知もなしに、
授業料の未払いを理由に、大学を除籍される。
生活費全般の面倒を見てくれていた父親が、
借金を抱えて失踪してしまったんだね。
当然に家賃の支払いもなく、
アパートを追い出された彼は、
ネットカフェに止まりながら
チラシ配りのバイトで糊口をしのぐ。
新薬検査のバイトで
ようやくまとまったお金を手にするものの、
それも言い寄ってきた女に騙され、
巻き上げられてしまう」

----ニャんだ。
結局、彼も悪いんじゃニャい。
「うん。
それは確かに彼の“油断、気の緩み”。
この映画は、少し運が向いてきたとしても
常に気を引き締めてなくてはいけないということも教えてくれる。
ただ、さっきも言ったように、
そのきっかけとなるのは、
彼にとっては“事故”。
このことはしつこいようだけど、
繰り返し言っておきたい。
いまは、自分の社会的立場がしっかりしていたとしても、
障がい、交通事故、さらには介護など、
いつ、どこで自分やその家族が
そのような弱い立場になるかは分からない。
そのとき、社会に福祉制度が整っていないことを知っても、
もう既に遅し…」

----ちょ、ちょっと。
映画から離れてきているよ。
「あっ、ゴメンゴメン。
この映画では、その後、
修は、ホストクラブで売れっ子になり、
そこで茜(大塚千弘)という顧客もつくようになるものの、
ある事件が起こったとき、
生来のやさしさが仇となり、
結局はホームレスにまで転落していく」

----うわあ、キツイ話。
「でもね。
これが映画として見ごたえ十分。
というのも、
彼の彷徨する“地獄”が一つひとつ、
くっきりとあぶり出されるんだ。
ホストクラブ時代、荷役労働者時代、そしてホームレス生活…。
そこで修が出会う人たちは、
みんなただ流されて、
いまを生きているわけではない。
それぞれに自らの考え、
つまり人生観を持って生きている。
その集合体として、それらの“社会”がある。
そう、この映画が描くのは、
観念として決めつけたホストクラブ、ホームレスではないんだ。
どこまで監督がリサーチしたのかは分らないけど、
その空気感が見事で、
まるでいくつもの映画を観ているような気になるんだ

----ニャるほど、監督って誰だっけ?
「佐々部清監督。
これまで、さまざまなジャンルの映画を撮ってきたことが
ここに生かされているような気がしたね。
映画の中にはストーリー上の必然性として
“男と女”のパートも。
しかもこれが実にいい。
小説の『永遠の仔』以来、使われすぎの感もあった
『生きててもいいですか?』のセリフが
こんなに泣けたのも初めて。
これを観て、人生は死ぬまで終っていないんだと、
そう思って明日に希望を持ってくれる人が増えたら嬉しいな」




フォーンの一言「公開は2月22日…。
都知事選の後ってのは痛いニャあ」身を乗り出す

※試写会があったら応募してほしい度

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『ラッシュ/プライドと友情』

2014-01-04 13:24:02 | 新作映画
(原題:Rush)



----あけましておめでとうなのニャ。
「おめでとう、フォーン。
と言っても三が日は過ぎちゃったけどね。
そろそろ、お仕事モードに移行…
ということで、
軽く映画のお話から。
2014年の一本目は、
昨年末に観て大のお気に入り『ラッシュ/プライドと友情』

----それってF1ドライバーのお話だよね。
最近でも、なにか痛ましい事故があったようだけど…。
シューマッハのことだね。
彼は、スキー中の事故だったけど、
F1ドライバーは、その“仕事”の間にも
常に死と隣り合わせにいる。
ぼくがF1というのを初めて知ったのは中学の頃。
塾の先生のお家に遊びに行った時。
轟音を立てて同じところを何周もぐるぐる回っているレーシングカーをテレビで見て、
正直、何がそんなにオモシロいんだろうって?
いま考えると、
小さなブラウン管の白黒テレビ。
それでは、そおほんとうの魅力が伝わるはずもない」

----ふむ。でも、その頃からカーレーサーの映画って
いくつもあったでしょ。
ほら、スティーヴ・マックィーンのとか…。
『栄光のル・マン』だね。
テレビでの体験はさておき、
世界的にF1がブームだったことは間違いない。
ぼくもそれからしばらくして
F1レーサーのポスターを部屋に貼っていたことがあったもの。
この映画は、そのF1ドライバーの中でも
ヒーロー中のヒーロー。
もはや生きる伝説とも言えるニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)と、
彼が戦った多くのライバルの中でも
ラウダ自身がもっとも記憶に残っていると語るジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)を軸に展開する」

----へぇ~っ。
そのジェームス・ハントって人、
どういう人ニャの?
「それがこの映画のポイント。
彼らふたりは、
ドライバーとしての生きざまがまったく違う。
ニキ・ラウダは、自分には帰るところがあるということを常に意識している男。
一方のジェームス・ハントは、
その日が最後の一日と考えて生きている男なんだ。
ヘアスタイルやファッションにしてもそう。
育ちの良さを感じさせる優等生的なラウダに対して、
ハントは70年代のロックスターといった風情。
言い寄る女も多い。
そしてそれは、レースの挑み方に大きな差が出てくる。
悪天候のレースを前に、ラウダは安全策を取り、
無謀な試みは避けようとする。
しかしハントは
それがビッグ・チャンスであればそれに挑んでいく男なんだ」

---ふうむ。
映画は、ふたりのどちらに寄り添って描いているの?
「答は、そのどちらに対しても。
そう、監督のロン・ハワード
彼らに優劣を付けるようなことはしないんだ。
そこが、この映画の最大の見どころであり
もっとも感動的なポイント。
『自分の生き方、
その信念に忠実でさえあれば、
放蕩な生活を送ろうと、
堅実でストイックに生きようと、
どちらでもかまわない』
と、
ハワードはそう言っているように見える。
それだけに、彼はこの映画の中で
ふたりの長所も欠点もくまなく描きだそうとする」

---ロン・ハワードって
『アメリカン・グラフィティ』に出ていた人だよね?
あれもカーレースが描かれていた。
「うん。
彼自身は、その中でレースに挑む役だはなかったけどね。
だからかどうか
彼の監督第一作目『バニシングIN TURBO』(76)は
カ―アクション映画になっている。
それから約40年。
映画の技術革新は凄まじく、
この作品など、
CGでなければ不可能としか思えないシーンが随所に織り込まれている。
しかし、観ている間はそれがCGによる表現であるとは気づかせないんだ」

---ニャるほど。
テクニカルなパートも申し分ないってことだニャ。
「うん。
だけど、しつこいようだけど、
それ以上に
ふたりの男の生きざま、
そしてそれに対する監督の視座が感動的。
俳優の演技とも併せて完璧な調和をなしている。
雨の冨士スピードウェイを筆頭に、
あのシーンがよかった、このシーンに震えたなど、
語り始めたらキリがない映画だけど、
それは、あえて言わないことにしよう。
ただひとつ疑問を。
これは絶対に大スクリーンで体感するべき映画。
なぜ、ウェブでの試写会なんてやったんだろう?」




フォーンの一言「フォーンも映画館に行きたくなったのニャ」身を乗り出す

クリス・ヘムズワースの役作りもお見事。若き日のジェフ・ブリッジスを思い出した度

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