(原題:Der ganz grosse Traum)
----この映画、試写の最終にやっと観たんだよね?
「うん。
それも18:00からの回で、
そういうときって、『もういいや』で見送っちゃうことが多いんだけど、
宣伝に使われている“ドイツ版『いまを生きる』”という言葉、
そして日本の予告編がよくできていたことが、
ぼくをこの映画に駆り立てたんだ」
----“ドイツ版『いまを生きる』”?
「そう。
19世紀末のドイツ。
名門カタリネウム校に赴任したドイツ初の英語教師コンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)は、
生徒たちのイギリス=英語に対する強い偏見を払しょくするために
授業にサッカーを取り入れる。
戸惑いながらもサッカーの虜になっていく子供たち。
だが、その型破りな授業は大人たちを敵に回すことに。
そんな大人たちに対し、
子どもたちは自らの意思で立ち上がるようになる…」
----好く出来た話だニャあ。
でも、実話なんだよね。
「このコンラット・コッホという人は実際に存在した人。
ドイツ・サッカーの父と言われている。
でも、そっくりそのままかというと、実は映画用に大きく脚色されている。
まず、映画ではオックスフォード大学に留学したことになっているが、
実際はドイツのゲッティンゲンで神学と哲学を学び、
後にベルリンやライプツィッヒに移っている」
----あれれ。それじゃ前提が大きく崩れるじゃニャい。
「イヤ、それでいいんだと思う。
僕はこの映画、最後まで飽きずにのめり込んで観ていた。
もし、彼の伝記をそのまま映画化していたらそうはならなかったと思う。
この作品は、彼の根底にあるサッカー哲学
“チームプレイ”の精神を養うこと、“個性と自発性”の育成を訴求すべく
新たに映画用にストーリーを書き起こしている。
だから、いわゆる“ドラマ”としての起伏が見事に形作られているんだ。
時代は、帝国主義時代のドイツ。
反英感情は強く、また、貧富の差も激しい。
そんな中、このカタネリウム校では、ある“実験”が行なわれている。
それは、この英語教育もさることながら、
そして労働者階級出身の少年ヨストを学校に迎え入れていること。
だが、強大な権限を持つ資産家たち
地元の名士はそれが気に食わない。
どうにかして、彼を追いだそうと息子のフェリックスともども、
あの手この手で本人はもちろんのこと、
学校にも圧力を加えていく」
----なぜ、そんなことするニャか。
「それはプロレタリアートの社会進出を恐れているから…。
これは人類始まって以来、
常に行なわれている
いわゆる“既得権益”をめぐる戦い。
自分の地位、そしていい暮らしが確保されている層は
新興勢力の台頭を訪れる…。
これはこの時代に始まったことじゃない。
そのため、自分たちより下層の連中に力を与えまいとするわけだ。
教育を受けさせるなんてもってのほか」
----それじゃあ、いつまでたっても陽の目を見れないよ。
「そういうことだね。
だからこそ世の中には差別が残ったままになる。
秩序と規律の名の下にね。
だが、そこに風穴をあけるのが
“チームプレイ”を重んじるスポーツというわけだ。
しかし、この“既得権益”をめぐる構造、
いまの時代も残っているんだよね。
原発事故が起こって以来、
それをさらに強く感じるな」
フォーンの一言「確かに今の日本にも似ているニャ」
※日本のタイトルに“革命”が入っているのもなるほどだ度
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----この映画、試写の最終にやっと観たんだよね?
「うん。
それも18:00からの回で、
そういうときって、『もういいや』で見送っちゃうことが多いんだけど、
宣伝に使われている“ドイツ版『いまを生きる』”という言葉、
そして日本の予告編がよくできていたことが、
ぼくをこの映画に駆り立てたんだ」
----“ドイツ版『いまを生きる』”?
「そう。
19世紀末のドイツ。
名門カタリネウム校に赴任したドイツ初の英語教師コンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)は、
生徒たちのイギリス=英語に対する強い偏見を払しょくするために
授業にサッカーを取り入れる。
戸惑いながらもサッカーの虜になっていく子供たち。
だが、その型破りな授業は大人たちを敵に回すことに。
そんな大人たちに対し、
子どもたちは自らの意思で立ち上がるようになる…」
----好く出来た話だニャあ。
でも、実話なんだよね。
「このコンラット・コッホという人は実際に存在した人。
ドイツ・サッカーの父と言われている。
でも、そっくりそのままかというと、実は映画用に大きく脚色されている。
まず、映画ではオックスフォード大学に留学したことになっているが、
実際はドイツのゲッティンゲンで神学と哲学を学び、
後にベルリンやライプツィッヒに移っている」
----あれれ。それじゃ前提が大きく崩れるじゃニャい。
「イヤ、それでいいんだと思う。
僕はこの映画、最後まで飽きずにのめり込んで観ていた。
もし、彼の伝記をそのまま映画化していたらそうはならなかったと思う。
この作品は、彼の根底にあるサッカー哲学
“チームプレイ”の精神を養うこと、“個性と自発性”の育成を訴求すべく
新たに映画用にストーリーを書き起こしている。
だから、いわゆる“ドラマ”としての起伏が見事に形作られているんだ。
時代は、帝国主義時代のドイツ。
反英感情は強く、また、貧富の差も激しい。
そんな中、このカタネリウム校では、ある“実験”が行なわれている。
それは、この英語教育もさることながら、
そして労働者階級出身の少年ヨストを学校に迎え入れていること。
だが、強大な権限を持つ資産家たち
地元の名士はそれが気に食わない。
どうにかして、彼を追いだそうと息子のフェリックスともども、
あの手この手で本人はもちろんのこと、
学校にも圧力を加えていく」
----なぜ、そんなことするニャか。
「それはプロレタリアートの社会進出を恐れているから…。
これは人類始まって以来、
常に行なわれている
いわゆる“既得権益”をめぐる戦い。
自分の地位、そしていい暮らしが確保されている層は
新興勢力の台頭を訪れる…。
これはこの時代に始まったことじゃない。
そのため、自分たちより下層の連中に力を与えまいとするわけだ。
教育を受けさせるなんてもってのほか」
----それじゃあ、いつまでたっても陽の目を見れないよ。
「そういうことだね。
だからこそ世の中には差別が残ったままになる。
秩序と規律の名の下にね。
だが、そこに風穴をあけるのが
“チームプレイ”を重んじるスポーツというわけだ。
しかし、この“既得権益”をめぐる構造、
いまの時代も残っているんだよね。
原発事故が起こって以来、
それをさらに強く感じるな」
フォーンの一言「確かに今の日本にも似ているニャ」
※日本のタイトルに“革命”が入っているのもなるほどだ度
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