2018年、「ラムの大通り」が選んだ3本の日本映画。
●寝ても覚めても
●生きてるだけで、愛。
●母さんがどんなに僕を嫌いでも
さらに…。
●孤狼の血
●羊の木
●愛しきアイリーン
●友罪
●太陽の塔
●空飛ぶタイヤ
●止められるか、俺たちを
🔳2018年、日本映画を振り返って…。
日本映画はなぜか「ひとつの恋が結ばれるまで」を描き、その後について語ることは滅多にない。
日本映画の特徴の一つでもある「(少女)コミックスの映画化」では特にそう。
そんな中、『寝ても覚めても』『生きてるだけで、愛。』は「出会いの後」を描く。
『寝ても覚めても』は東出昌大が一人二役。
顔は同じだが中身はまったく違う。彼のファンは、もし自分の前に二人の東出昌大が現れたらどうするのだろう?
ヒロインと同じような葛藤にとらわれるのではないか?
そう、この映画は「スクリーンのこちらと向こう側」を繋ぐ。
『生きてるだけで、愛。』は趣里に尽きる。
彼女がクライマックスで菅田将暉に言う「いいなあ。私と別れられて」には戦慄が走った。
あのウイリアム・フリードキン監督『真夜中のパーティ』の「これ以上、自分を嫌いたくない」に並ぶ、絶望的な自己否定の言葉だ。
監督は関根光才。それまで意識したことがないと、思っていたのだが、なんとドキュメンタリー『太陽の塔』の監督だった。
この映画は、天才アーティスト岡本太郎にさまざまな角度からスポットを当てながら、
いまの時代の闇に切り込むという個人的に大収穫の作品。
日本映画から本格社会派作品が消えて久しい中、なるほど映画ではこういうこともできるのかと感心させられた。
社会派といえば『空飛ぶタイヤ』がリコール隠しに走る大企業に立ち向かう個人の闘いを描き、
政界の改竄、隠蔽が相次いだ2018年に映画で一矢報いた感があった。
『孤狼の血』も一種の社会派バイオレンス。
『仁義なき戦い』を現代に蘇らせたような猥雑さがスクリーンから熱として迸っていた。
猥雑と言えば『愛しきアイリーン』。
四文字言葉の連発は原作で知っていたとは言え、やはり暴力的に凄まじかった。
『娼男』もロマンポルノ時代の監督たちが羨むような直接的性描写が話題となったが、
いかんせん、きれいに収まりすぎていた。
60〜70年代を描いた作品が多かったのも嬉しかった。
『止められるか、俺たちを』『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、それぞれ時代の空気感をよく出していた。
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』は太賀に尽きる。彼はまさに役を生きていた。『友罪』の瑛太と並び、長く記憶に残る演技だ。
『羊の木』はその歪な世界に魅せられた。
『シャルロット すさび』も60年代の初期ATGや金井勝『無人列島』を懐かしく思い起こさせてくれたが、
こちらが歳をとったからか、それとも時代のせいか少しキツい。
歪路線ではほかに『ニワトリ★スター』『君が君で君だ』などもあったが、化けに化けた『カメラを止めるな!』にすべて持っていかれた感があった。
コメディではニッチェの江上敬子にやられた『犬猿』。これは未見の人は観て損はないと思う。
『パンとバスと2度目のハツコイ』『モリのいる場所』もそれぞれの語り口が楽しかった。
青春映画では東京近郊の高校生にスポットを当てた『青の帰り道』『高崎グラフィティ』が
時代を超えた普遍の青春の悩みを描き、嬉し恥ずかし。
あの頃の自分を重ねてしまった。
アニメはやはり『若おかみは小学生』。
なんて、振り返り始めると止まらなくなるので、このあたりで。