(原題:Blancanieves)
----この『ブランカニエベス』って、
いま話題の作品だよね。
スペイン映画と聞いたけど、
このタイトルってどういう意味?
「スペイン語で『白雪姫』。
観る前までぼくは
映画の一部にその要素が入っているのかなと…。
ところが、これはもうウソみたいに『白雪姫』そのもの。
なにせ、小人たちから毒りんごまで登場するんだから」
----ということは
悪い継母も出てくるの?
「もちろん。
よく知られた物語との大きな違いは、
ヒロインが王女ではなく、
闘牛士の娘ということ。
それとエンディングくらいかな」
----モノクロでサイレントなんだよね。
どっちかと言うと
アートフィルムって感じなのかニャ?
そうだったら観るのがキツそう…。
「ノンノン。
まったく逆。
というか、
そこが今日、フォーンに話したいポイントなんだけど、
アカデミー作品賞を受賞した『アーティスト』と言い、
この『ブランカニエベス』と言い、
サイレント映画の基本に忠実に映像化がされている」
----それって
セリフが字幕で出るってこと?
「もちろんそれもあるけど、
もっと重要なのは、
カットとカットの切り返し、
つまりモンタージュによって映画を見せていること」
----モンタージュ??
「そう。
映画は、最初音声を持たなかった。
そんな中、
映画で語られる物語、
あるいは状況、感情を分り易く説明するには、
このモンタージュというのは実に有効なんだ。
たとえば、この『ブランカニエベス』で言えば、
牛と向かい合う闘牛士、
そしてそれを見守る闘牛士の妻、
あるいは他の観客などを
細かくカットバックすることで、
サスペンスフルに、
しかもそれぞれの心理をもスリリングに描き切っちゃう」
----ニャんだか、
それって映画を作る上で
当たり前のような気がするけど…」
「ところが、そうでもないんだ。。
これはぼくが10代の頃に読んだ映画の本に書いてあったんだけど、
このモンタージュなる手法は、
作者の主観としての映像のみを見せ、
結果的に、ひとつの思想に観客を導いていくとして、
第二次世界大戦後、激しい非難を浴びるんだ。
ナチスもそうやって映画を利用した。
その反省の上に立ち、
現実を客観的に見つめることが必要ではないかと…。
そんな流れの中から出てきたのが
イタリアのネオリアリズム…」
----それって、今じゃ考えられない。
自分の考えをきちんと観客に伝えることを放棄しているみたい。
「(汗)まあ、そういう時代もあったということで…。
現在、世界の映画界を見まわしても、
このモンタージュを基本に映画を構築しているのがハリウッドのエンタメ系。
片や、作家性の強いアート系の映画は
じっくりと長回しで対象を見つめていく。
ぼくは、
どっちにもそれぞれのオモシロさがあると思うけど、
『アーティスト』『ブランカニエベス』は、
モノクロ、サイレントという映画の中で何かを語り伝えるには
モンタージュという手法がいかに有効かを再認識させてくれた。
しかも、それがとても分りやすくオモシロい。
ぼくはこの分りやすさに感動すら覚えた。
温故知新ってヤツだね。
『子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし』
もちろん、この『ブランカニエベス』は
モンタージュだけではないモノクロ映画の表現も見せてくれる。
ドイツ表現主義を彷彿とさせる影を強調した映像などがそれだね。
議論を呼びそうなそのラストも含めて、
これはやはり“現代”の映画であることは間違いないね」
フォーンの一言「基本はとにかく『白雪姫』なのニャ」
※難しそうと身構えないことだ度
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
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----この『ブランカニエベス』って、
いま話題の作品だよね。
スペイン映画と聞いたけど、
このタイトルってどういう意味?
「スペイン語で『白雪姫』。
観る前までぼくは
映画の一部にその要素が入っているのかなと…。
ところが、これはもうウソみたいに『白雪姫』そのもの。
なにせ、小人たちから毒りんごまで登場するんだから」
----ということは
悪い継母も出てくるの?
「もちろん。
よく知られた物語との大きな違いは、
ヒロインが王女ではなく、
闘牛士の娘ということ。
それとエンディングくらいかな」
----モノクロでサイレントなんだよね。
どっちかと言うと
アートフィルムって感じなのかニャ?
そうだったら観るのがキツそう…。
「ノンノン。
まったく逆。
というか、
そこが今日、フォーンに話したいポイントなんだけど、
アカデミー作品賞を受賞した『アーティスト』と言い、
この『ブランカニエベス』と言い、
サイレント映画の基本に忠実に映像化がされている」
----それって
セリフが字幕で出るってこと?
「もちろんそれもあるけど、
もっと重要なのは、
カットとカットの切り返し、
つまりモンタージュによって映画を見せていること」
----モンタージュ??
「そう。
映画は、最初音声を持たなかった。
そんな中、
映画で語られる物語、
あるいは状況、感情を分り易く説明するには、
このモンタージュというのは実に有効なんだ。
たとえば、この『ブランカニエベス』で言えば、
牛と向かい合う闘牛士、
そしてそれを見守る闘牛士の妻、
あるいは他の観客などを
細かくカットバックすることで、
サスペンスフルに、
しかもそれぞれの心理をもスリリングに描き切っちゃう」
----ニャんだか、
それって映画を作る上で
当たり前のような気がするけど…」
「ところが、そうでもないんだ。。
これはぼくが10代の頃に読んだ映画の本に書いてあったんだけど、
このモンタージュなる手法は、
作者の主観としての映像のみを見せ、
結果的に、ひとつの思想に観客を導いていくとして、
第二次世界大戦後、激しい非難を浴びるんだ。
ナチスもそうやって映画を利用した。
その反省の上に立ち、
現実を客観的に見つめることが必要ではないかと…。
そんな流れの中から出てきたのが
イタリアのネオリアリズム…」
----それって、今じゃ考えられない。
自分の考えをきちんと観客に伝えることを放棄しているみたい。
「(汗)まあ、そういう時代もあったということで…。
現在、世界の映画界を見まわしても、
このモンタージュを基本に映画を構築しているのがハリウッドのエンタメ系。
片や、作家性の強いアート系の映画は
じっくりと長回しで対象を見つめていく。
ぼくは、
どっちにもそれぞれのオモシロさがあると思うけど、
『アーティスト』『ブランカニエベス』は、
モノクロ、サイレントという映画の中で何かを語り伝えるには
モンタージュという手法がいかに有効かを再認識させてくれた。
しかも、それがとても分りやすくオモシロい。
ぼくはこの分りやすさに感動すら覚えた。
温故知新ってヤツだね。
『子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし』
もちろん、この『ブランカニエベス』は
モンタージュだけではないモノクロ映画の表現も見せてくれる。
ドイツ表現主義を彷彿とさせる影を強調した映像などがそれだね。
議論を呼びそうなそのラストも含めて、
これはやはり“現代”の映画であることは間違いないね」
フォーンの一言「基本はとにかく『白雪姫』なのニャ」
※難しそうと身構えないことだ度
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