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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

高石街中歩き1

2020年06月10日 20時52分17秒 | ウォーキング

大鳥大社、岸和田カンカン、
高石臨海と長距離歩きが
つづきましたので、
この日はちょっと休養です。

でも休養とはいえ、
家でソファに横になって
ゴロゴロしてるというわけでは
ないですよ。
外を少しずつ歩いての休息です。
まあいつもの半分なので
10kmくらいをたらたら歩くのです。

それを休養というのは変かなあ。
やりすぎてるかなあと、
ちょっぴり不安に思ったりしますがね。

目的地はこの前臨海を歩いた
高石の街中です。
ではまあそんな距離ですが、
いでたちはいつもと同じ装備で
出かけることにしましょう。

コースはというと、
今日はまずはdoironの小学校方面から
出発していくことにしますかね。
その後東助松商店街を通って
歩いていきましょう。

そしてその先は時間と疲労度で
判断していくことにします。
では出発です。

我が家から通っていた小学校までは
ほぼ1キロありました。
子どもの足で1キロは
とても遠かったです。
小学校である日友達が家に
忘れ物をしたので
家にとりに帰るわなんて言う話を聞くと、
とってもうらやましかったです。

まあ今だったら携帯で
親に持ってこさせたり
できるのにねえ。
その当時は家が地の果てくらい
遠かったと思っていたのでしょう。

でもねえ、小学校の時の思い出って、
あまり学校のことがなくて
行きかえりの通学道や
楽しんだスポーツのことぐらいしか
残ってないんだよねえ。
そんなことを考えたら、
小学校の教育ってむつかしいように見えて、
案外楽しませたらいいのかなあ
見たいな感じなのかもしれませんね。

教育者じゃないので
うまく言えないけどね。

 


体育館を見ながら正門を通り抜け、
東助松商店街に入っていきます。



この交差点はその商店街の入り口で、
我々はこの交差点
を鶏串(とりかん)といいます。

祭りのときにやりまわしをする
交差点なんで名前がついています。
なぜそんな名前なのかは、
今はもうないけど昔ここにあった
鶏肉やさんの名前なんです。

若い人にはわからないんでしょうが、
自然と「とりかん」と呼んでいるのが
おかしいです。

入ってすぐのところにあるのが
人気のパン屋さんです。



ここのアンパンはすごいんです。



うすいパン側の下に巨大な
アンコの塊が入っています。



まるでもうアンコをほおばるような
パンなんです。

ところが一日の生産量が少なく、
もう朝の8時ころには
ほとんどのパンがうり切れています。

昔親父が朝の散歩で
買って来てたので
よく食べましたが、
もう長いこと食べていない気がするので
先日朝早くに買ってきました。

そしてその横も商店が
この商店街の会長さんです。
今もそうかなあ。



祭りで8町連合会の会長をしたときに、
この会長さんにもあいさつに
行きましたねえ。

丸半日間道を通行止めにしますので
よろしくお願いしますってね。

快く快諾していただきました。

で、ちょっと行くと、
昔はなかった案内看板が
建てられています。



この看板では少し東側にあった
この石碑のことがかかれています。



昔からその石碑のことは
知っていたのですが、
中身はわからなかったのですが
やっとわかりました。

書かれていたのは
「山王院跡」という文字です。

もともとは最澄が創建したお寺です。
一時廃絶したけど再興され、
そのご神仏分離などで廃止され、
村社になりましたが
そのあらたな日吉神社も
doironが氏子代表をやっている
神社に合祀されたんですね。

え~そんなことも知らずに
代表をやっているのかと
怒られそうです。
まあこれを機会に
知ることができてよかったです。

商店街に入ってすぐに
大切なことを学びましたねえ。

さらに先へと進んでいきましょう。

続く

 


最近の食生活

2020年06月09日 20時48分43秒 | 生活

今日は歩きのブログをやめて、
最近の食生活のことを書きましょう。

まあ食べることは健康面でも
大切なことです。
でもコロナ対策として
何をどうすればいいのか
それはよくわかりませんが、
まあdoironの最近の食生活の
一部はこんな感じなんです。

まず最初は調理ですね。

よくテレビで芸能人が自分で
料理してなんていう番組が
今はよくありますねえ。
あのフライパンをゆすって
中の料理を裏返すというのは
ぜひともマスターしたいですねえ
まあまだそんなことは少しもできませんが
doironもそれなりに調理してゆきましょう。

とはいっても、調理というほど
大変な料理ではありません。
ポテトサラダを作ったのです。

芋は、初めて行った堺のハーベストの
丘のところにある生鮮市場で買いました。

堺ふれあいの森の様子を見に行った時に
そこが閉鎖されていたので
ここに行ってみたのでした。

ほかでやってる青空市場より
すいててよかったなあ。
そこで、新じゃがとその他野菜と
熊野三山なるお酒を打っていたので
買ってきたのだ。

では、その新じゃがで
ポテトサラダを作りましょう。

まずはポテトを塩も入れてしっかり煮ます。
そして煮あがったらそれの皮をむいてゆきます。

新じゃがは水っぽいので
ポテサラにはちょっと不向きかも
しれませんが進めていきましょう。

皮がむけたら身を軽く崩して
味見しながら、塩、胡椒を
足してゆきます。



そこへ、あらかじめ用意してあった
玉ねぎを軽く炒めたものを足しましょう。



そして、キュウリ、ハムをくわえ、
マヨネーズも落としながら
仕上げてゆきます。



出来たら、それを皿に持って
その上に茹で卵を置いて完成です。



この日は、横にミセス作成の
ハンバーグを置いて晩飯にしました。



一緒に買った熊野三山という
吟醸酒をこの時飲みましたが
これはうまかったなあ。



コロナで外にも飲みに行けない中、
我が家で簡単な居酒屋晩飯でした。

そして次はもずくです。

最近話題の疫病を知らせる妖怪
「アマビエ」に連想させられて



甘エビを喰いたくなったのですが、
その売場でよく見かけるのが
生もずくだ。

ああ、これをてんぷらにしたら
沖縄料理やなあと言って
買って帰り、頼んでてんぷらに
してもらったのが、これ。



いやあ、色々と味付けがあるのかなあ
と思ったが、そんなむつかしいことは
何もなく、塊を上げただけの
こんなてんぷらもサクサクと
おいしくいただけました。

だからその日は沖縄風居酒屋晩飯
だったわけですな。

そして最後が、歩いている最中に
実を付けているのをみかけた
「桑の実」です。

赤い桑の実が熟して黒くなり
いっぱい実をつけています。



どこにあるのか書くと
乱獲されそうなので書きませんが、
大阪府が管理する公園内の
道路の街路樹として実っていました。

これがねえ、甘酸っぱくて
とてもおいしいのですよ。

すっぱいといっても、
甘いの方が強いかな。

また実もそこはかとなく桑の味を
出していますよ。
なんかもう蚕になった気分です。
おしりから絹をひりだすかもしれません。

このままとらずにほおって置いたら
全部道に落ちて道をべとべと
にしてしまいますよ。
もうすでにべとべとですが。

まだいけそうなやつを手を真っ赤に



しながらこれくらい採取してきて



少し食べるとともに焼酎に
角砂糖と一緒に入れて、
桑酒を造りました。



じっくり二週間くらい待って
これを飲んでみると、
これがもう絶品です。



この前付けたヤマモモのお酒とは
比べようもないくらい、
色もきれいし、味も奥深いです。

いやあ歩きを通じて見つけたので、
これはもう大収穫です。
ただ歩いているだけやないやろと、
ミセスに大自慢です。

残念ながら実を見つけたのが、
もうピークをすっかり過ぎた
ころだったので先ほどの
量くらいしか採取しませんでしたが、
来年はきっともっと少し採取して、
ぜひとも桑酒天国を作ろうじゃないかと
夢をふくらませている
doiron家だったのでした。

しっかり運動して
しっかり食べて、コロナを
乗り越えていきましょう。

おしまい

 


お仕事自粛中の臨海道路2

2020年06月08日 21時15分29秒 | ウォーキング

高石大橋を渡り、この埋め立て地の
どんつきまでは4.5キロほどあります。

往復で9キロですね。
あちこちウロウロするから、
まあ10キロはあるでしょう。
季節はコバンソウや
ヒメコバンソウがピークの頃。



この埋め立て地域は歩道が
しっかり通っていますねえ。



でもまあここを歩いて
仕事というのは少ないでしょう。
せめて自転車で移動するくらいじゃないかなあ。

しっかりした歩道には
ベンチなんかも置かれていますが。
まあどれも座ろうかというような
ものではなく、ボロボロです。
でもまあそれだけに植え込みなんかは
結構放置されていて、
いい具合に野草が生えそろっていたりします。

ああ、しかしこの通りをこんな風に
歩いて通るとはねえ。
神様でも予想できなかったやろなあ。

さすがに、世の中散歩している
高齢者とか多くても、
ここにはさすがに押し寄せたりは
していませんねえ。



なんか森のような景色の中を
トレイルウォークのように進みます。

時折、木からぶら下がっている
毛虫なんかにも注意しながらね。

時折、交差点では車道に出て
様子を眺めますが、
気持ちよくガラガラですね。



こんな事業所一覧なんかを眺めると、



むかし立ち入りで入った
事業所なんかもここで
作業しているんやなあ。

ランニングクラブの元会長の
会社なんかもありますねえ。

あ、中には友達の娘が働いてる
工場とかもありますよ。
高石市も事業所収入で
儲かっているんでしょうねえ。

我が市の市長も臨海に
もっと会社を設けたいと
いってたのを思い出します。

あ、ここの工場は夜景が
きれいやろなあと思ったら、
こんな看板がありましたよ。



う~んこういう関係でたまに
人が来るんでしょうか。
こんな写真撮影スポットも
設けられていましたよ。



早速一枚作成です。



ついでに、横の立ち木にも
携帯を置いて、さらにもう一枚、
哀愁に満ちたおっさんの後姿を撮影です。



とまあ暇なおっさんは
そんなことをしながら
歩を進めてゆきます。

高石大橋から二キロ以上直線を
歩いたところで、高砂公園に到着です。



こんなう寂しい海辺の公園なんて
無人だろうなあと思ったら大間違い。
たくさんの家族も遊んでいますし、
なかにはテントまで張って
遊んでいる人もいます。



ここで夜を迎えたのかなあ。
街中じゃないので夜の星が
きれいかなあって思いますが
どうなんでしょうねえ。

そしてこの公園には昔紹介しましたね。
伽羅橋がこちらに設置されています。

これが橋柱で、



この先に伽羅を敷き詰めた橋が
設置されています。



ほんとに伽羅かどうかはわかりませんが、
木の橋があります。
そしてその周りには、
最近この歩きの中でも何度か
登場した小高石橋の頭もありますねえ。



まあ、歩く人のことを
あまり意識せずにこんな
海辺の先の公園に設置されています。

公園内には池もあったり
グランドもあったりと、
結構整備されていましたね。

コースはまだまだここから
続いていくのですが、
大阪ガスの入り口が
見えたところくらいから、
戻っていくことにしましょう。



来る時は南側の歩道を
歩いてきたのですが、
帰りは北側の歩道を進んでいきます。



左側には石油関連会社も
続いていますね。
煙突から蒸気と一緒に炎も
出ているときは、doiron家からでも
西の空が赤く見えますねえ。

高石大橋を戻り、
高師浜丁のゴリラの置かれた
公園を通って行きます。



doironの息子も歩き始めたころに、
ここでよく遊びましたねえ。

それからもと来た道を抜けて、
今回の旅も終わりです。

歩いた歩数は23815歩で
20kmでした。

それを地図に落とすと
こんな感じ。



ほお、地図もだいぶいい感じの
分布図になってきましたねえ。

でもねえここで左足首が
かなり疲れていますねえ。
少し休憩をして、
足を休めるようにしましょう。


お仕事自粛中の臨海道路1

2020年06月07日 20時42分22秒 | ウォーキング

家から半日くらいかけて歩く
という運動も、順調に進んでいます。

とりあえずまあ仕事を
ほとんどしていないので、
その分を歩くことに重点的に
注げばこういう運動は
さほど大変なことではない。

毎日、プレッシャーや圧力に耐えて
頑張って仕事をしている人に比べれば、
こんなんは全く遊びなのであるから、
さほどほめられたことではない。
まあこんなdoironでもそういう
仕事の時期を過ごしてきたといえば
そうなんで、今はもういわゆる人生の
おつりみたいなものである。

さて、そういう遊びも浜寺、和泉中央、
大鳥大社、久米田池、カンカン場と
続けてきました。



こんな実績というか遊び痕跡の
地図を見ながら次はどこにするか
と考えてみました。

まあ遊びを計画する楽しい時間でもあります。

外でおいしい生ビールのジョッキ
なんかは飲めないので、
お家で音楽聞いたりしながらつらつら考えます。

ミセスには「あ、なんかまた計画してるな。
顔でわかるで」と指摘されたりしながらね。

で、今回は高石の臨海の埋め立て地
なんかを歩いてみるかと
計画したのであります。
ここはねえトライアスロンバイクの
平地走行の練習なんかでよく行きましたね。
土日なんかだと広い道に
ほとんど車も走っていないし、
信号もあまりないので
快適にバイクすることができましたねえ。

家から近いので、長ければここを
5往復なんて練習が多かったなあ。

まあ、1往復だけの短時間の練習でも
夏場のレースにむけて
あらかじめ日焼けを作っておこう
という思惑もあったりしました。

そんな埋め立て地を歩いてみよう
ということで、今回のコースに選びました。

コース選択、事前の調査、歩き、
ブログとこういう何重にも
重なる遊びなわけなんです。

それに場所によっては歩いた地域での
買い物なんていうおまけも
ついたりしますしね。

では、いつもの格好で出発していきましょう。

ただし、今回はちょっとコースが
長いような気がしますし、
自販機も少なそうなので
水はたっぷり持っていくことにしましょう。

まずは、家の近くの池を埋め立てた
町方面から進んでいきましょう。



ああ、ここは昔親父が自転車に
当て逃げされ、肩の骨を折った
場所ですねえ。

年を取ってから3度骨折したでしょうか。
年をとってもかなり
歩き回ってましたからね。

近所の友達が、高石駅前で
ストレッチやってる高齢者がいたので、
みたら親父だったといってました。

まあいつもウロウロしている息子も
しっかり血をひいているのでしょう。

そんな事故現場を見つめながら、
いつもの花見の公園を
目指して進んでいきます。

南海本線もこの辺は高架になって
整備されましたねえ。
いつもこういうところに
絵を描いているグループがいますねえ。



あれはねえ、元我が町内にいた人で、
おづみんをデザインした人が
中心になって絵を描いている
人達の絵だと思うよ。
あちこちに任されて描いているようです。

そんな南海本線をこえて、
まだ店内飲食のやっていない
マックを横に見ながら、
いつもの花見の公園に差しかかります。



残念ながら公園の駐車場は
閉鎖になっていました。



ああ、またこの公園の片隅に咲く、
ハマデラソウの観察は歩くか
自転車でこないといけないですねえ。

その公園を抜けて、今回は
臨海道路沿いの歩道を進んでいきましょう。



やがて道は臨海スポーツセンターの
交差点に出ていきます。
今日のコースはここから
高石大橋を渡り、高砂という町名のついた
埋め立て地へと入っていきます。

この日は土曜日でしたので、
あまり人もいませんね。
それにコロナのせいで、
余計に人出も抑えられており、
臨海の広い道もガラガラ。
なんかとても寂しい雰囲気です。

続く

 


カンカンは首藤さんの職場2

2020年06月06日 20時50分30秒 | ウォーキング

岸和田市に入ってすぐに、
左側に「夜疑神社」があります。



名前からして「夜を疑う」と
何かを連想させそうな名前ですが。
もともとは「八木」神社です。



古代の豪族である八木氏が
祖神である布留多摩命を
祀った神社とされています。

この地域のだんじりが祭礼時には
ここに集まるそうです。
あ、そういえば昔この辺りに
何回か飲みに来ましたねえ。



そして中井町西の交差点にきました。

ここは、中央公園にゴールする
昔の千亀利マラソンの
ラスト1キロ地点でしたね。

3時間1分でゴールした時は
やはり一番のサブスリーの
チャンスで、あと残っているのが
まだ5分くらいあったのに、
公園に入ったところで
両足がつって仁王立ちに
なってしまったのを思い出します。

悔しかったなあ。

そんな中央公園の
ランナー入り口がここでした。



今の季節だとつつじに
囲まれてきれいですねえ。

いっときはよくここに
走りに来ましたねえ。

土のグランドではスピード練習。
周回道路では持久走を
良くしましたねえ。



そんな公園のはずれの所には
「兵主神社」があります。



昔の能の面を持つ神社で、
その大きな宮から「和泉大宮」の
名前の元となった神社です。

そこからしばらく行くと、
藤井町の交差点に出ます。
これを右折すると、
南海本線の和泉大宮の駅に
出てゆきます。



高校の頃は南海本線で
この駅も通過して
通っていましたが、
ここの駅に降りることは
一回もなかったなあ。

今は意外ににぎやかですねえ。
そのまま旧国道もこえて、
さらに海の方に行きます。

張られてある紙なんかを見てますと、
コロナのせいで祭りの関連の
行事が出来ないように
書かれています。
今年のだんじりは一体
どうなるんでしょうねえ。

臨海の道路が見えてきました。
このあたりをカンカン場と言います。
カンカンとは秤量する
機械のことなんですね。



まただんじりのやりまわし場
としても有名ですね。
昔、我が町に初めて下だんじりが
やってきたとき。
doironの担当は前板の
真ん中に乗り足で踏む
ブレーキでした。
踏むタイミングも、強さも
よくわからず、何がなんだか
わからずやりまわしの交差点が
近づくたびに口の中がカラカラに
なっていたのを思い出します。

そんなカンカン場の臨海道路の
壁にはだんじり曳行をする
人の姿なんかがいっぱい
描かれています。

この場所の海辺あたりが、
首藤さんの会社があった場所です。
とりあえずは、カンカンモールに
タッチして、臨海地区を
目指していきましょう。

このあたりの埋め立て地は
大阪鉄工金属団地ていうんですね。
埋め立て地に入ってすぐの
ところにもうお目当ての
会社がありましたよ。



首藤さんは複数の会社に
関連されていたようで、
山や旅行に行く時の案内書や
四国八十八か所の案内書
なんかも使い古した会社の
封筒に入れてくれていました。

そこにある会社を見ていると、
ああなんか見覚えのある名前ですねえ。



一時業績が苦しいときなんかは
ステンレスの表札なんかも
作られていたようで、
エイで宣伝とかされていたし、
doironも知り合いに
話を進めたこともありました。

でもまあきれいに持ち直し、
神戸のあの鉄人28号を
作ったり、泉大津市の駅前の
ステンレススチールの置物
なんかも作られたようです。

それらは今もちゃんと残っています。

ああ、会社が見れてよかったです。
50年以上を彼はこの会社で
過ごしたんですねえ。

さあでは帰っていきましょう。
臨海から旧国道26号線に出て
北上していきます。

あの泉州マラソンのコースの
逆行ですね。
あ、ここの病院は昔知り合いが
入院していたのでよくきましたね。
それから春木川を越え、
ラ・パークを過ぎて忠岡町に
入っていきます。



大津川を越えたらもう泉大津です。
駅前を抜けて山の方に移動していけば、
往路で通った消防署の
方に出ていき、無事に
帰宅したdoironだったのでした。

歩いた歩数は24236歩で
距離はちょうど20kmでしたね。

首藤さんの会社も見れて
大満足の歩きでした。

 


カンカンは首藤さんの職場1

2020年06月05日 20時47分05秒 | ウォーキング

さて次はどこに行こうと
ビールを飲みながら考えました。



これまでの歩いた地図を見てみますと、
岸和田のカンカン方面には
まだ行ってないなあ。

あちらの方といえば、
昨年亡くなった首藤さんが
働いていたという会社がある。
彼はそこの役員をしていて、
「いい会社やねん」といつも
おっしゃってたなあ。

マラソンや山の友達なんで
彼の会社に行くことなんて
一度もなかった。
なので、かれがなんと50年間かけて
働き続けた会社を
見ておこうかというのを
今回の目標にしてみることにしたのだ。
お酒を飲んでると感傷的になりますな。
でもこうして目標を定めると
あきらめずに歩きつづけられるんだよね。

彼と知り合った最初のころ、
彼の金属関連の会社の名前は
「北海グループ」と名付けていたので、
そんな名前の入ったランシャツを
着てはったから、doiron
彼のことをもともとは
雪国の漁師だったんじゃないか
と思っていたのだ。

付き合いだして、山の話や
レースの話はしても
あまり仕事の話はしなかったのだが、
折に触れて彼がしゃべってくれた言葉から、
九州から集団就職で
大阪にやってきて働きだしたんだ
ということを知りました。

九州から電車に乗って
家族に見送られて大阪に
出てくるときの話は
なんかとても哀愁のある話でした。

しかしまあ最初はやはり
北国の漁師だと思っていたのに、
九州出身の金属関係の会社員だと
知って驚きましたねえ。

まあこっちの勝手な
思い込みなんですけどね。

会社での彼の役割は経理、
人事関係の仕事を良くされていた
記憶がありますねえ。

厳しい人だったのかなあ。
いやあ彼のことだから
優しかったのでしょう。

そんな彼の会社のことを
今更ではありますが、確認しておこう
と思ったわけですね。

彼のお葬式の日に葬儀場へ
早朝全社員が来ていたのは
忘れられません。

そんな歩きになるわけですが、
今日のコースはおおむね
決めておきましょう。

板原で大津川を渡り岸和田の
中央公園の横を通ってゆきます。

そして和泉大宮のところから
海の方へと向かうコースを
選択してゆきましょう。

では出発です。

この日は5月の1日です。
メーデーの日ということですが、
まあたいていはGWで
休んでいるところは多かったですね。

今はコロナのせいで
休みみたいな感じですけどね。



家を出てすぐに通る、めいっぱい
開業していたパチンコ屋さんも
さすがに休みです。



右手にウェルシアの薬局が見えてきますね。
コロナ騒ぎの始まった頃に
マスクの要求で業績が上がるだろう
と思って買った株でいい思いを
させてもらいましたねえ。

そしていよいよアルザ通りの入り口です。

テニスコートもお休みのようですが、
さすがに消防署は休むわけにはいきません。



バッティングセンターの
交差点から大津川の方に
向かっていきます。



ここの北公民館は一時通った
こともありましたねえ。
そしてカシミヤで有名な
毛織物屋さんを抜けてゆきます。



昔からずっとトライアスロンを
やってた友達がここで働いてますねえ。
コロナ騒ぎ以降休みも多いみたいで、
この日も駐車場は
ガラガラでしたから休みの様ですねえ。

公園橋のところで左折してゆきます。





このあたりは熱心に整備を
されている人がおられるようで、
いろんな花が植えられたり
していますねえ。





槇尾川の板原橋と牛滝川の
中板橋を渡ったら右折し、
中央公園に出ていく道の上部に出たら、
階段を降りて進んでいきます。



このあたりは忠岡町ですね。



マンふたは市の木クスの葉っぱと
市の花サツキをあしらってます。

ここの町長とは地域の新聞の取材で
町長室で1時間くらい
話をしたことがあります。

地元のことをとても意識した
そんな人情のあつい町長だった
という印象でしたね。

中央公園に向かうこの道は、
交通量の割に広くて
歩道を歩いていても
気持ちよかったです。

最近よく目立つのは家の前で
子どもと遊んでいる親が多いですね。

この日も車洗ったり、
バトミントンしたり、
縄跳びしたりと皆さん
子どものために頑張っている様子でした。

忠岡町は日本一狭い町です。

500mくらいで
通り過ぎて岸和田市に入ります。

続く

 


再び広報で何やかや17

2020年06月04日 20時58分43秒 | 仕事

歩きもたまっているのですが
今日は広報紙の話題で
すこし気分転換を。

広報紙の6月号が出ました。
ここんところ、コロナのせいで
取材が止まっていて
原稿送付が出来ていませんでした。
なので、もう二か月ちゃんとした掲載が
ありませんでしたね。

で、そんな中で6月号の配布です。
そういえば、今月号には
今回のレポーターの継続採用の
記事が載っているはずです。
まあたいていは駅に行き
置かれてある広報紙で掲載を
確認しに行くのですが
今回はすっかり忘れていました。
でもねえ、ありがたいことに
友だちからメールが来て掲載に
気が付きました。
いやあ、ありがたいありがたい。
早速駅まで出かけてゆきましたが
まあたいていは車で行くのですが
今回はてくてく歩いて行きましたよ。

今回の記事はレポーターである
自分の紹介ですから
写真を送らないといけなかったのです。
タイマーでも行けるのですが
ミセスに無理をいって
撮影もしてもらいました。
タイマーとミセス撮影の
二枚を送りましたが
さて、どちらが掲載になるでしょうか。

駅について広報紙を手にとると
うう~、ミセス撮影の分が
掲載されています。
く、くやしい!



まあしかたないか
被写体がいいしなあ
なあんちゃって。

でもさあ、本当にこういうことを
メインの仕事にしている
フリーライターさんや
クリエイターさんなんかも
同じように仕事が減ったんやろなあ。
取材や現地調査もできなかっただろうし
大幅に仕事が減ったんでしょうねえ。
こういう仕事って
国の支援対象にはならないのかなあ。
なんかそんな風に社会のすみっこ迄
考えていくと
いろんなところで通常の暮らしに
支障があったやろなあ。

毎日仕事もして
たまには飲み屋も行って
生ビール片手に馬鹿な話をして
普通に過ごすことが
どれだけ幸せなことなのか
心から実感したコロナ騒ぎでした。
と、過去形で書いてもいけませんね。
薬もワクチンもできて
早く安心して暮らせれるような
そんな日々が来ることを
今はねがって止みません。


もう一度大鳥大社へ2

2020年06月03日 21時06分59秒 | ウォーキング

知り合いの娘がやっている
コンビニに立ち寄りましたが、
残念ながら不在でした。

皆さんも機会があれば
立ち寄ってあげてください。
トイレだけ借りて失礼します。

さあ、大鳥大社はもうすぐそこです。
前回は道を間違えて、
仕方なく浜寺公園の方に
行ったのですが、今回は
ようやくたどり着きましたね。
ここが正面入り口です。



「大鳥大社」と記載されていますねえ。

ここには日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の
御霊である白鳥が飛来して、
この地に留まると一夜にして
種々の樹々が生い茂った
千種の森があります。

この千種の森という地名は
残っておらず、郵便局の名前に
「千種」が入っているのと
鳳駅前の開発に「千種の夢園」と
名前を付けている程度だそうです。

では境内の中に入っていきましょう。

和泉の国の一之宮ですから
境内は広いです。

中にどんどん入っていくと、
平清盛がここで歌った歌碑
なんかも立っていますね。



突き当りの神社がそうかというと、
違っています。



ここは摂社で「大鳥美波比神社」と
書かれています。

あれ、本殿はというと
その手前を左折ですね。
日本武尊と大鳥連祖神の
2柱を祭神としています。



日本武尊の像もありましたね。
そして神社のずっと奥の方に
生えているのが



「根上がりの大楠」



という御神木です。
根の部分の穴に楠神霊を祀っていました。



まだ電車も走っていない昔の人は、
こうして大鳥大社に歩いてきて
お参りしたんですねえ。

大鳥まで歩いていくなんて
とんでもないと思っていたけど、
意外に簡単にここまで
来れるものですね。
そりゃそうですよねえ
doiron の御先祖はリヤカーひいて
大阪市内まで植物販売に
出かけていたもんねえ。

だから今日は頑張って一日かけて
大鳥大社をお参りだあ、
なんていう日を作って
いたりしたんでしょうね。

さて、では帰りましょう。

同じ道を通って帰るのではなくて、
ここからは熊野街道を
通って帰りましょう。

大社から大鳥駅の方に
向かっていきます。

「千種の夢園」の案内看板が
この辺に立っています。

 



阪和線の踏切を渡り、



鳳駅を右奥に見ながら
商店街の方に入ってゆきます。



ああ、ここのお店は熊野古道を
歩いているときに昼食で
入ったお店ですねえ。

今のねえこんなコロナの
時代じゃなかったら、
冷えた生ビールを一杯
なんてのも良かったのになあ。

はやく友達なんかとお店に行って、
「乾杯!」とかやりたいなあ。

あ、公民館の前には
熊野街道の案内板もありますねえ。



たしか昔に見たかなあと
思っていたらやはり
7年前のブログに掲載していましたね。

そうして鳳商店街を出たら、
今度は複合施設の
「アリオ」の横を通って行きます。



ああ、そうかあアリオに行った帰りに
この道を車で通るのは
こんな位置関係だったんですね。

アリオには映画観賞やモンベル、
ユニクロ、ロフトなんかで
よく行きますね。

そこから先には富木神社の
案内もありますが、
今日はパスです。

富木の交差点から高石街道



といわれる道に入っていきましょう。



こんな花々で飾った家なんかも
ありましたねえ。



そして阪和線の踏切を越えて、
高石の方に入ってゆきます。
さらに南下し、臨海に出ていく
道路のところから側道にはいって、
助松団地の中に入ってゆきます。

もう家は近いですね。



森町を抜け、せきの地蔵に
お参りして帰宅ですね。

この日歩いたのは、21687歩で17km。
意外に近かったんですね。
まあ17kmを意外に近いんや
と思えるほど、歩く足はできてきたようです。



さて明日はいよいよ
5月に入ろうかという頃です。
もう少し頑張って歩いて
筋肉を育てましょう。

体が動きやすくなってくると、
気持ちが晴れてきますねえ。
あしたは、一度岸和田カンカンまで
行ってみるかなあ。と考えつつ
庭の片隅でビールを飲んでいる
doironなのでしたあ。

 


もう一度大鳥大社へ1

2020年06月02日 21時04分45秒 | ウォーキング

今日は再度リベンジで
大鳥大社を目指します。

まあ普通にここに参るには、
車で行くかあるいは阪和線に乗って
いくかのいずれかでしょう。

むかし阪和線に乗って
「鳳さんに行くねん」とか言って
家族で出かけたことがありました。

もうあそこの商店街は
夢のようなところだった
記憶がありますね。

最近行ったのは、
やはり熊野古道を歩いているときでしたね。
堺からずっと歩いてきて、
鳳を抜け信太山に行った
というときでした。

それ以来になりますね。

でももう一つ気になることがありますね。
そう「おおとり」というときに
「大鳥」と「鳳」の二文字が
あるんですね。
その違いは何なんでしょうか。

もともとおおとり大社というのは
「大鳥」でした。
正式名は「大鳥神社」ですね。
地名ももともと「大鳥郡」
という名前でした。
でもこの大鳥郡は広くて、
中にある各村が合併した時に
「鳳町」という名前になったそうです。
住所で言えば大鳥郡鳳町みたいな感じでね。

ここでは神社の名前は俗にいう
「大鳥大社」に統一しています。

ではいつもの装備で
頑張って歩いていきましょう。

今日は、森の散歩道から
歩いていきます。



ていうても、これは以前歩いたのと同じ
南海中央線ですね。



地元ではこんな名前を付けて
呼んでいるようです。

この道の入り口当たりでは、
村の10歳くらい上の
高齢者によく合います。

早朝から歩きまわっている
おっさんで、何度か徘徊老人と
間違われて警察官に
職務質問されたり、
家まで案内させられたり
したことのある人です。

最近はもうそんなことは
ないようですから、
警察内で情報が回っているんでしょうねえ。

こんな顔したおっさんは
平常人やで、みたいなね。

ああ、もしかしたらdoiron
そんな情報の片割れに
入っているのかもねえ。

そんなおっさんにあって、
「どこ行くねん?」て
聞かれたので「大鳥大社まで」
といたら不思議そうな
顔してましたなあ。

きっとねえ、この人おしゃべりで、
またあちこちでdoironさんは
耄碌しかかってるでなんていう
噂をまき散らすように
するんやないやろなあ。

僕のヘッドフォンを補聴器と
言ってた人やからなあ。

そんなおっさんに
「行ってくるわ」と別れを告げて
歩き始めます。

助松団地を抜け、
高石市に入っていきます。



ああこの辺も何回か通りましたねえ。
道路に面して飲食店がよくあり、
テイクアウトの看板を
店の外に置いています。

ああ、ここは中華かあ、
「トリから」うまそうやなあ、
スパゲティのテイクアウトは
どうするのかなあとか考えてたら、
さっき昼飯を食べたばかりなのに
おなかがすいてきましたよ。

今日は歩いたら、帰ってビールだあ。

近所でおつまみ買って
帰ろと思い描いてしまいます。

やがて高石市役所の横を通り、



義母さんが亡くなった病院も
過ぎてゆきます。



やがて道は狭くなってゆきます。
前回はこの交差点から



中に入っていったので、
今回はもう少し東側の
筋に入っていくことにしましょう。



国道26号線の一本西側の道は
意外に広くてまっすぐです。



ずっと前方に線路の高架が
見えていますねえ。
あれがJRの羽衣線ですね。
前回間違えたように
南海本線では決してありません。



そしてその高架に出たところで、
車が多くて嫌なんですが、
26号線の歩道に出てゆきましょう。



歩道の横にある、
ずっと昔から半分埋まったような
ため池の横を歩き、
たどりついたのが浜寺南町3丁の交差点。

ああもうここに来たら
間違いようがないですね。
この交差点を右折して
山向いて行くと大鳥大社です。



そうそうこの道の途中にある
セブンイレブンが友達の娘が
やっているコンビニです。

少し立ち寄っていきましょう。

続く

 


久米田池へ

2020年06月01日 20時38分19秒 | ウォーキング

さあ、休養も済んだし
今日も頑張って歩きましょう。

まあ頑張ってというのは少し違うかなあ。
楽しんで歩く、と言った方が
まだあってるかもしれません。

今日の目的地は、東西南北距離的に考えて、
久米田池あたりで
いいのではないかと考えました。

まあここもバイクなんかで
行った記憶もありますし、
2011年にはコウノトリも
現れたというニュースが流れましたので、
取材にも行っています。

そしてそれよりもっと前には、
ラン友がこの池の周回マラソンで
優勝するというニュースも流れましたねえ。

それなりに記憶のある大池です。
水面積は大阪府で最大です。
田に籠める者は水であることから
籠田(こもだ)から久米田になった
といわれています。

そんな池を目指して今日は
ここへと歩くことにしましょう。

家を出て、今日はジムに向かって
いくような感じで歩いていきます。



ジム友と飲みに行く時は
よくこの道を自転車で行ったなあ
なんて思い出しながら進んでいきます。

ここは「和気道」といわれ、
その昔doiron家の前を通り、
和泉市和気の妙泉寺へと続く道なのです。

ヘッドフォンを耳にさし、
帽子にマスク、今日はそれに
サングラスもつけて歩き始めています。
このままコンビニに入っていったら、
一年前なら強盗にみえるような格好です。

さすがにお茶を買いに
コンビニに入る時には
サングラスは外すようにしましたがね。

熊野街道と並行して走る
30号線沿いに大きな道標が立っています。



そこを入っていきますと



500mくらいで妙泉寺の横に出ます。



この妙泉寺では腰から下に
ご利益があるそうで、無事に元気に
歩き回れますように、とお祈りしておきました。

その妙泉寺から田舎の道を
南西の方角に歩いていきます。



なんかこの道も古いですね。
こちらの南の方から妙泉寺へと
向かう昔からの道だったかもしれません。

道はやがて松尾川を越えます。
この川は少し下流で、
牛滝川と合流しその後大津川
となっていく川です。



上流で松尾寺あたりから
流れ出す川なのでこんな名前なんですね。

またのちにこれをさかのぼる
歩きもしようと思っています。

その松尾川の前川橋を渡り進んでいくと、
水たまりの上に立派な
お堂が築かれていますよ。



そしてその先で牛滝街道を越えてゆきます。



さあこの辺りの多治米から
池尻のあたりは古い村で、
ちょっと注意が必要です。

ま、そのうちに池につくだろうと
思っていたら、あの大鳥大社の時のような
ことがあるだろうから
しっかりと方角を見極めながら
行かないといけませんね。

場所のわかるところで、
空を見上げて太陽の位置関係を
しっかり確認しておきました。



歩き始めるとすぐに菅原神社が
ありますね。寄っていきましょう。

こんな百度石も建ってましたよ。



そしてこれが牛滝川です。



大雨のときなんかはすぐに
氾濫しそうになるので
警戒されていますね。

水量が多いわりに川幅が狭いような感じです。

でもまわりはかなりさみしい
感じのするところで、
こういう場所にはこんなおっさんが
集まってきたりするのかなあ。



ここの橋は牛神橋といわれています。
この川にはほかにも久須神橋とか
神の名前のついた橋があります。
水害から人々を守ってくれよ
というような思いでつけられた
名前なんでしょうねえ。

歩いていると、道沿いに
青空のプールがあります。
こんなところは夏は営業しているのかなあ。

結構立派なプールです。

その横にちょっとくたびれた
赤い社の地蔵さんもありました。



そんなのを眺めながらも
地域を見誤らないように、
太陽の位置を頭に入れて
進んでいきます。

畑にはえんどう豆がぼちぼち
収穫の頃になってきましたようですねえ。



何とか多治米の村中を
ごにょごにょあるいて、
上に久米田池の堤防が見えてきました。



出ましたあ久米田池です。



池の周りは2.6kmでグルリンと
回ることができます。
多くの人が散歩で歩いている
周回路を歩き回り、最後に久米田寺に
お参りしておきました。



さあではまた帰りも同じ道を帰りましょう。

この日歩いたのは23694歩。
距離的には19.1kmでした。
地図にポイント一つ追加です。



さあポイントを増やしてゆきましょう。