ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ミセスdoironジム事情

2019年06月20日 21時36分34秒 | スポーツ全般

年を取ってきても、その年なりに
元気に過ごしたいと思っている。
そういう思いはdoiron家でも
夫婦で共有しているのだ。

まあ、あの4人の親の介護を通じて、
出来るだけ元気に年を重ねて
いかねばとしみじみと
思っているわけです。
親はいろんなことを教えてくれる
って本当やね。

おかげで、doironは大病の後からは
あんな激しい競技からは引退したものの、
それでも相変わらずあちこちに
歩きには行ってるし、
毎日のジム活動もできるだけ
かかさず行っているのだが、
実はミセスのジム通いも
意外にもずっと続いているのだ。

運動といっても、プールと自転車こぎですが、
まあそれなりにこなしては来ている。
doironがジムでふろに入って帰ってくるので、
自分も外で入浴すれば
家のお風呂もあまり使わないですむ
からという思惑もあるのでしょう。

ミセスは学生の頃は水泳の選手だったので、
若いころはよく運動をしたようなのだが、
社会人になってからは運動はほとんどなく、
静かな職場で淡々と仕事を
こなしているだけだったので、
簡単なジム通いでも多分社会人になってから
最強の運動人生になっているはずである。

そんなミセスなのだが、
最近は実はとても散歩に目覚めているのだ。
ポケモン遊びというのもあるけど、
なんといっても一日1万歩以上は
歩きまわるという散歩を目標にして、
頑張っているのだ。

歩数を一歩70cmとすると、
だいたい7キロぐらいだろうか。
何も遠くに行くわけではなく、
家の近所の公園なんかを
てくてくと歩いて距離を稼いでいる。

そんな風に、か細い運動量なのだが、
こうして運動の趣味が少しずつ
変わって最近はジムの運動量が
減ってきている状態となっている。

となると、やはり気になるのがジムの会費だ。

運動量が減っているのに
同じ会費を払うのもなあ
と見直そうとしたようだ。

結局いろいろと考えて、
「一時間会員」というのにしたようだ。
運動しなくても風呂は行けるしなあ
という気持ちがあったのだろう。

最初はねえそれでもジムで自転車こいだり、
プールを歩いたりして
慌ててお風呂に入って
まあ充実した感じだったそうなのだが、
慣れるにつれ運動量が
たまに少し増えたりして、
風呂に入ってあわただしく
ジムを出ていくこともあったりしたそうだ。

「まさか髪の毛ぼとぼとで
ゼイゼイとか言いながら
フロントに行ったりしてないやろねえ」

ときくと

「それはないけど、たまに
ドすっぴんで出ていくので
マスクは持って行かないとなあ」
とか言ってたなあ。

それに慌ててジムを出てくることが多いので、
下着なんかを忘れたら
こまるよなあとか思っているとのこと。

そうやねえパンツなんかに
名前書いてたら、フロントで
これ忘れものですよとか言って
渡されてもねえ。
なので、パンツに名前や電話番号は
書かずにいた方が良いようです。

ま、それはdoiron自身も
そんな感じなのですが、
まあ「これ忘れてましたよ」と
洗濯して渡してくれるんなら
それでもいいかあ
なんて思ってしまう得な性格なのです。

そんなdoironのことはさておき、
ミセスが通っているジムの状況は
今はそんな感じなのだ。

できるだけ長く、こんな風に
健康を心掛けて高齢生活を
続けていかなくてはなあと、
晩酌のノンアルコールビールを
飲みながら(減量中!)
会話しているdoiron家なのでした。


由良でのんびりゆら~り2

2019年06月19日 21時29分39秒 | 最近の出来事

先日テレビを見ていたら、
あの俳優の反町君が
海辺でカレーを食べるシーンを見ました。
ああ、なかなかいいものですねえ。
だったらdoironもあの白崎海岸に出かけ、
もう少し下見をすると同時に
カレーでも食べてみるかと思い、
またまた天気のいい日に
車で出かけていくことにしました。

湯浅御坊道路の広川でおりましたが、
今度はトンネルを抜けて
海辺に行くコースではなくて、
42号線を南下し、紀伊由良の駅当たりの
状況を確かめるべく走ってゆきます。

山を越えて由良の駅に到着しましたが、
どうもここには駐車場はなさそうです。
もし歩き旅で来るのなら、
電車かあるいはあの白崎海洋公園に
車をとめて、ぐるっと歩き回る方が
よさそうですねえ。

では、その海洋公園の方を目指しましょう。

まずは大浜海岸の方を目指していきます。
ここは海水浴場もあるようなので、
それも見ておきます。
山越えで海に出るとその海岸です。
周りに住宅地も多く、
お店なんかもありますから、
ここで泳ぐのも悪くはなさそうです。

そこからさらに海岸線を進んでいきますと、
白崎海岸の方に近づいていきます。



あ、なにか大きな岩が海辺にありますよ。
これが白崎のひとつの名物
「立厳(たてご)」といわれる大岩です。



海食洞の開いた岩門に波が
打ち寄せています。
岩門の中には遠く太平洋を旅する
でっかい船の姿が見えていたりします。



これはなかなかの迫力でしたねえ。
ミセスも感動してました。

そういえば昔、義父に誘われて
この辺りに来た時に
海の上に浮上している巨大な
潜水艦を見たことがあったなあ。




そんな話をしたら、昔のことを
思い出したようです。

そういう自衛隊の海洋関係の
施設もあるようなんですが、
それがどこなのか確認は
できなかったですけどね。

海の底ということではないでしょうけどね。

立厳からトンネルを抜けると、
白崎海洋公園の先日行った
駐車場に出ていきます。



さあ散歩しましょう。
今回も沖の石の上では
釣り人たちが魚釣りをしてますよ。



地震とかあって津波でも来たら
大変ですねえ。
船で簡単に近づけるようになって
いるんでしょうねえ。
いい魚が釣れるのかなあ。

えーっと、今日はdoironは
カレーでしたねえ。
時間もお昼だし、さっそく
昼食にしましょう。

今回も無人の海辺の休憩施設に座って、
持参してきた暖かいご飯に、
湯を沸かして作ったレトルトカレーをかけ、
ついでにエビ風かまぼこも入れて
持参してきたサラダと一緒にいただきます。



今回は運転もしてもらえるので、
な、なんと海辺でビール付きです。



反町君か木村君になったような
感じですねえ。doironにピッタシの
最高の昼飯でした。

食後の片づけをしてさあでは
港をくるっと回ってみましょう。

奥の方に行くと海辺の施設があります。
ここにはダイビング用のプール
なんかもあったようですが、
ここも台風で壊れていますねえ。

広い空き地もあります。
昔の採掘時の作業場だったんかなあ。
周りの白い岸壁を見ますと
ところどころに扉があったりするのは、
昔はここに軍の施設もあったそうです。



あ、奥の方に階段があって、



石段の上に登れるようになっていますよ。
行ってみましょう。

くるくると階段を上がっていきますと、
おお見えました。
海がどばーと広がっていますよ。



四国も淡路も見えています。



これが景色の案内板。
日御碕の方も見えていますねえ。
そうそうここの
石灰岩の中にはフズリナなんかの
化石も出るそうです。



いやあここは本当にすごい景色でした。
よく見渡してから駐車場に戻りました。

そうそう駐車場のところには
簡単な施設があります。
中に入ってみますと簡単な
展示館でしたね。

台風の被災状況なんかが
掲示されていました。
大きな被害をもたらしたんですねえ。

じっと内部も見てみると、
こんな石灰岩の層ができていますねえ。



一度ブラタモリにでも来てほしいですねえ。

さあこれで二回にわたった
白崎行きも終わりです。
そのうちにもっとここを
満喫できるような歩き旅なんかも
したいなあと思った
doironだったのでした。

ーーーーーーー

ここ「由良」という地域の名前は
「緩い」という言葉からつけられたそうです。
海辺の緩い山地に囲まれた平地
みたいな意味です。
淡路や京都の日本海沿いにも
「由良」がありますが、
そこと同じ意味ですね。

でもねえこの白崎だけは緩くはないですねえ。
切り立った岸壁がそびえるすごいところでした。

ぜひともまた来たいなあと思ったところです。


おーりとーり沖縄宴会

2019年06月18日 21時11分59秒 | 最近の出来事

石垣ツアーをしたときに、
大阪にある沖縄料理屋のことが
よく話題に出てきました。
ジダンがよくいくという
お店もあるということだったので、
それなら一度そこに連れていってよ
と頼んでいたのです。

で、ある5月の金曜日に
そこへ行こうと案内をくれました。

ウヒャーこれは楽しみです。
彼が行こうといってたお店は
「やまねこ」という名前だそうです。

たのしみやなあ、
でもなんで店の名前が
「やまねこ」なん?て
思いを走らせていたら、
その少し後に夢を見ました。

沖縄で「やまねこ」って言ったら、
屋根の上に置かれたりしている
シーサーの事やで、
という夢です。

なるほどと、その時は自分の夢で
納得していたのですが、
でもねえよく考えたらシーサーって
獅子ですよねえ。

沖縄でやまねこと言えば

「やまぴかりゃー」
すなわち
「イリオモテヤマネコ」という
絶滅危惧種のやまねこを
しめすんでしょう。

ああ、なんか夢にたすけられたあ
と思ってたらそんなことは
なかったんですよ。

沖縄みたいなあんないいとこ
すめたらいいなあなんて
夢見すぎてたんですかねえ。

そんなことなんかを考えながらも、
あの沖縄料理宴会をワクワクと
楽しみにしていたわけです。

でそれを楽しみにしつつ、
ジムなんかでも

「ジダンと沖縄料理に行くねん」

と話していたら、ジム友のちえちゃんが
「わあ、私も行きたい」と言い出しました。
「せっかくやから行ってみたいよ~」
といわれまして、結局皆さん
仕事帰りに大正で
合流することになったわけです。

あ、当然私は遊び帰りの
合流なんですけどね。

おおさか東線を歩いて
ゆっくりと大正に向かいました。

新大阪駅から向かいます。
着いたのが予定より30分くらい前です。
せっかくですからこの辺を
少し歩いてみましょう。

あ、まずはお店の場所を
確認しておきましょう。

やまねこ、やまねこっと。

あ、ありました。



すぐに見つけましたよ。
駅から超近のお店です。
まあ後で行くからね~と言いつつ、
ちょっと大阪ドームの方へと
歩いていきましょう。



大きな川が見えてきましたよ。
これが木津川ですかね。
その向こうに大阪ドーム、
あ、今は京セラドーム大阪ですかね、
が見えていますよ。

そんな大正橋のあたりを
ウロウロしつつ、公園で
缶ビールを一つ予行演習で
飲んでおきましょう。

今日は暑かったしね。

シートを広げて一人で宴会し、
そこを片付けようとしたときです。
ひとつ事件が発生しました。

そうあの自慢のおづみんの
シートの片隅に、ワンコのう×こが・・・。

ああこのまま持って帰れないし、
洗うところもないし、
ということで残念ながら
ごみ箱に放棄してきました。

うう~悲しい。

おづみんちゃんさようなら。
ななまる君ありがとう。

オリオンビールで悲しみを洗い流してやる。
と決意も新たに、
再度合流地点に向かう
doironだったのでした。

少し早くついたジダンと、
大正の商店街周辺を見て歩きました。
え~っと、ここがジダンの
行きつけの風呂屋で、
ここがジダンの行きつけの
お土産購入のお店です。
となかなかコアな案内です。

でもねえ、お土産屋は良かったですよ。



こんな沖縄胡椒なんかも売ってたし、



シマラッキョウもここで手に入ります。

普通は八百屋でも売ってるのかなあ、
それはちょっとわかりませんね。

で、そのうちにちえちゃんも来て
全員合流となりました。
では「やまねこ」に突入しましょう。

まだ明るいけど・・・



ここのメニューはもうほんとに
沖縄料理ばかりのお店です。

オリオンビールで乾杯しつつ、



ジーマーミ豆腐、



海ブドウ、シマラッキョウ、



モズクの天ぷら、



ミミガーなどをいただきましたよ。



後半は泡盛なんかも登場し、
盛り上がりました。
いやあ沖縄料理はなかなか
いいところですねえ。

またそのうちに来てみよう
なんて考えつつ、
大正の夜はふけていったのでありました。


おおさか東線中部3

2019年06月17日 21時01分00秒 | ウォーキング

あ、きのう鴫野の地名の
由来を書きましたねえ。



そういえば一つ忘れていました。

「放出」の由来を書いておきましょう。

諸説あって、次の三種が
よく言われています。

一つ目は、当時の天皇が
馬を放っていたところから
ついた名前だという説があります。

そしてもう一つが、
訪ねた「阿遅速雄神社」に
熱田神宮から盗んできた
劔を新羅の僧がここに
「放」り「出」したところから
ついた名前。

そして最後が旧大和川の水を
碑をつくって「放」ち「出」した
ところからついた名前ということです。

よく聞く変わった地名ですが、
昔からの由来のある
名前だったのですねえ。

そしてその先の鴫野の駅から、
道を選びつつまずは
城東区役所の方に向かって
進んでいきます。



区役所の手前で左に曲がり、
おおさか東線の高架のところまで来たら、
その東側を右折し
線路に沿って進んでいきます。



きれいな歩道が続いていますねえ。

途中「野江」も通っていきます。
野原の「野」、岸を意味する「江」で
昔のこの地域の水の状態を
表しているという説があるところです。



ここには京阪本線も通っており、
地形がややこしいです。
うろうろとさまようように歩き、
ようやくJRの線路を
見つけたなあと思ったら、
親切なことにその壁に
JR野江駅の案内が大きく書かれていました。



線路沿いを歩くと、ここが野江駅です。



いやあ、まだまだ歴史の浅い駅ですねえ。
オープンしてからまだ二か月
くらいしかたっていません。

放出駅が管理しており、
一部無人の時間帯があります。

ここから道はしばらく線路の
西側を進んでいくことになります。

う~ん結構田舎道ですねえ。



新しくひがし線が開通したことで、
沿線の人は騒音とかは大丈夫なんですかねえ。



JR西日本のHPなんかを見てみても
そんなに苦情があるような
感じはないですねえ。
開通により生活が便利になった
というようなイメージが
強いような気がします。

ところどころで線路をくぐったりしながら、



東西の道を北上してきます。



あ、ここはメダカ屋さんですねえ。
道のところに水槽がいっぱい
置かれています。
黒メダカ、緋メダカ、蛍光色のメダカ
など様々なメダカが並んでいますよ。
思わず見入ってしまいました。

そういえば、この大阪ひがし線の
最初のころに行った久宝寺緑地の近くでは
昔、黒メダカが住んでいたなあ。
そんなことを思い出しました。

なおも線路沿いを、
こんな低いトンネルや地蔵さんとか



見ながら進んでいきますと、



小さな川に出ます。
これは城北川かなあ。



少し線路から迂回して橋を
渡っていきますと、



おおここにも駅の案内が
大きく記載されていました。



今回最後に訪ねる予定の



「JR城北公園駅」です。

ここもまだ二か月目の駅ですね。
ここからさらに北向いて
進んでいきますと、
ああなんか淀川っぽい雰囲気が
してきました。
においかなあ。

こんな公園から堤防に上がって



いきますと、おお淀川です。



この辺りは以前淀川歩きの時に
もちろん通っていますねえ。

今日はまあここまでとしましょう。

河原で休憩していた高齢者の人に、
ここから電車に乗るとしたら
どこに行けばいいでしょうかと聞くと、
バスばかり案内するんです。
地下鉄とかないのかなあ
と思ったのですが、
駅となったらやはり先程の
城北公園駅が近いようです。
戻っていきました。



今日はこんな感じで歩きましたよ。



結構距離も稼いで14キロでした。

この日は、ジダンとジム友と
沖縄料理の予定でしたので
大正へ移動。
そのことはまた別の日に書きましょう。

ーーーーーーー

おおさか東線もほとんど歩きました。
あと残りは神崎川北部部分ですねえ。
新しく電車が通ったところは、
古いところに新しい刺激が
加わったところ。
これからどんな風に町が
変わっていくのか、
そんなことを考えつつ歩いた旅でした。

おしまい


おおさか東線中部2

2019年06月16日 21時19分47秒 | ウォーキング

もうかなり大阪市内の
中心地に近づいてきましたねえ。

でも淀川まではまだまだです
進んでいきましょう。



高架下を歩いていきます。
この辺りからおおさか東線は
片町線に合流していくため、
左へとカーブしてゆきます。

そう、新大阪と奈良をつなぐ
あたらしいおおさか東線といっても、
途中、東海道線、片町線、
関西本線の路線を通っていきます。
なので線路の形としては
いびつな感じになっています。

で、この左に曲がっていく
高架道路はというと、
こういう銘板を見ると



かなり古いものですねえ。
昭和44年に設けたものですから、
かつての国鉄が架けたものですねえ。

あれ?この高架道路のところに
奇妙な木片が入ってますよ。



どう見ても高架道路の中に
埋め込まれているように見えます。
これは何でしょうか。
高架道路作成者の記念品?
ここに何か秘密の扉?
う~ん、気になるので
ナニコレ珍百景に投書しておきました。



その高架線路は第二寝屋川を
こえる線路です。



しばらく線路を目印にしながら
歩いていき、こんな水害の案内板



とか見ながら、放出の駅の
手前の橋を渡っていきます。

そうして放出の商店街のあたりを
うろつきながら到着したのが



「放出阿遅速雄神社」です。



江戸時代中期の学者が式台神社の調査をし、
大阪に20社あるとし、
そのうち大阪市内が4社で
一つがこの阿遅速雄神社だそうです。



それを記したこの石碑が
大阪市の指定文化財だそうです。



境内には大きなクスノキが生えており、
それは天然記念物となっています。

公園の中をずずずーいと抜けていくと、
大きな家々の合間に
小さな公園がひとつありましたので、
ここでお昼ご飯としましょう。



今日はコンビニの冷麺を
食べ比べしたのではなく、
持参したお弁当をいただきました。

しかしねえさすがに都会の
家々の間にある公園です。
地面を見てみると、土の間に
ねじくぎが転がっていたり
するんですねえ。



さあではまた続きを歩いていきましょう。

こんなかなりシャッターだらけの



商店街を抜け、放出の駅に出てきます。



駅名の表示を見てみますと、
文字のフォントがこれまでの
ひがし線のものと異なっていますねえ。

コースはここから次の鴫野の
駅までは片町線沿いを
歩いていきます。



この辺りはもう京橋の駅が
近づいてきています。
京橋と言えばグランシャトー、
ではなく京街道なんかの
起点といわれていました。

京橋の駅から西の方へ
移動したところにある公儀橋です。

なんでも昔の橋はタコ坊主のような
擬宝珠が付けられていたそうで、
それは今も別のところに残されています。

交通のかなめであった京橋から、
鴫野、放出はもうすぐそばの
ところなんですね。
こんな道や線路沿いの道を
鴫野に向かっていきますと
「八劔神社」がありました。



大坂冬の陣ではこの辺りは戦場でした。
この辺りには徳川方の
上杉景勝が布陣していました。
その後、夏の陣で落城した大坂城は
家康によって建て替えられる
のですがその時の石垣の
石置き場になったのが
この鴫野のあたりだそうです。



いろんな刻印の入った石が
この神社に残っています。

線路に接して存在する神社でした。

街道近くのこの神社には、
これまでもいろんな人が
お参りしていったのでしょうねえ。

そしてここが鴫野駅です。



この辺りを通っていた
旧大和川と寝屋川が合流する
デルタ地帯ですね。

大和川付け替え工事以降に
干拓が進み水田地帯になっていました。
そんな水田にシギが群がっていた
ところから「鴫野」と
名付けられたともいわれています。


続く


おおさか東線中部1

2019年06月15日 21時14分27秒 | ウォーキング

え~二日前に大阪ひがし線の
久宝寺から俊徳道までの
南部を歩きました。
それに続いて今回は
俊徳道から淀川までの
中部を歩きに行きましょう。

天王寺から関西本線で
久宝寺まで行き、
そこから東線の各駅停車に乗って
俊徳道へと移動していきます。



この俊徳道は近鉄大阪線も
近くを通っているので、
駅から下りたときの
方向感覚がわかりにくいです。

ひがし線の北部方向はこちらやなあ。
するとこっち方面に
進んでいこうとなっていきます。

ナビを入れて方向も確認しながら
進んでいきます。

大きな病院なんかの横を抜けていくと、



ああもうすぐに駅に出ますね。

ここが河内永和の駅です。



俊徳道との距離が500mくらいですから、
貨物の長距離列車だと
二駅にまたがりそうな感じですねえ。
この駅は今度は近鉄奈良線と
交わっていますねえ。

駅もすぐそばですから
JRと近鉄の乗換駅でも
あるわけですねえ。

この河内永和の駅名はというと、
かなりいろんな歴史の中で
作られてきました。

この地域にあった3つの地域が
ひとつにまとまる時に
争いを収めて永く平和であるように
ということで永和(ながにご)村
と名付けたそうで、
それが布施村ができた明治時代に
「えいわ」というようになった
とのことです。

そしてまたこの駅はほかにも
歴史を持っています。

この駅の名前はもともとは
人ノ道駅として開業されていました。
それは「ひとのみち教団」が
仮本部をここに建てていたときです。
でも昭和の始めころ、
この教団の代表が不敬罪でつかまり
教団は解散。

結局いろいろと変遷があって
最終は「河内永和駅」と
名前を変えたという
歴史も持っているのです。

そのひとのみち教団というのが、
現在のパーフェクトリバティ(PL)教団です。



そんな河内永和の駅を過ぎて、
住宅街を歩いていきますと



「鴨高田神社」があります。

平安時代の古社で大坂夏の陣で
焼失したけれども、
徐々に再建されたといわれています。
寺内には古い灯篭や狛犬が
残されているそうですが、
こんな石碑もありました。



塩川正十郎、あの塩爺書の
「御大禮記念」の碑です。

ああ、そういえばあの行仙の
囲炉裏のある山小屋にも、
塩川さんの揮ごうした扁額があったなあ。



クマに注意の張り紙と一緒に
貼られていましたねえ。
首藤さんと一緒に行った
あの山小屋が懐かしいです。
また行ってみたい気がしました。

その神社を出たら、
今度は長栄寺というお寺がありました。
電車なんかよりずっとずっと
古い時代からここにあるお寺ですねえ。



でも今日はそんな電車の訪ね旅です。

お参りして進んでいきましょう。

お寺を出てこんな道を
前方のおおさか東線の線路に
向かって進んでいきます。

ああこんな石票が並んでいますねえ。



ん?ちょっと何か奇妙な
模様がありますよ。



よく見ると蛾のようですね。



これは変わった模様だと思って、
あとで調べて見たら
ウンモンスズメという蛾でした。
緑色のまだら模様で、
まるでジェット戦闘機のような蛾ですねえ。

ケヤキやアキニレの葉を食べる
静かな蛾なんですがねえ。

そんな蛾に感心しながら
住宅街を高架線路と平行に
進んでいきますと、あ、



広い道ですねえ。
見覚えのある道だと思ったら、
中央大通りでした。



大阪城公園から森の宮の横を
通ってくる道路ですね。
上には阪神高速東大阪線が通っています。

ああ、もうこんなところまで
来ていたんですねえ。

高架線路のところで道路をこえて
北側の車線に出ると、
そこにひがし線の駅があります。



高井田中央駅です。

続く


おおさか東線南部3

2019年06月14日 21時05分46秒 | ウォーキング

次に目指す駅は、
JR長瀬駅なんですが、
その長瀬の元となる神社が
ありますので寄っていきましょう。



しばらくまちなかを東向いて
進んでいき、やってきましたのが
この神社。



長瀬神社です。

もともとこの地域には
長瀬、大蓮、衣摺、吉松、柏田、
俊徳、横沼などの地域がありました。
それらすべてを合わせて
ひとつの村である長瀬村に
することになりました。

すると一町一社ということで、
これらの地域にあった産土神を
一つにまとめようということになり、
ひとつの長瀬神社ができた
という経過があります。

各地の産土神のご加護のある
神社ということになりますねえ。
お参りしていきましょう。

そしてそこから北の方を向いていきますと、
長瀬川という水路のような
川が流れています。



地図を見ますとこの川に沿って
進んでいくと、ちょっと方向が
おかしくなりますから
修正していかなくてはなりませんね。

もう少し経路を西の方に
修正していきましょう。

そしてやがて到着したのが
JR長瀬駅です。



ここも駅前の広場は広いですねえ。
これから乗り降りする人も増えてゆき、
駅前の雰囲気も変わっていく
かもしれませんねえ。

何年カ後に再度歩いてみたら
面白いかもしれませんね。

ここからまたひがし線の高架下の
道を北上していきます。



あ、高架の上をまえから
電車が走ってきましたよ。
みると貨物車でした。



長いですねえ、どんどん貨物が
続いています。

え~いま日本で一番長い
貨物の長さってどれくらいなんでしょうか。

調べてみたら貨物車で最も長いのは、
520mなんだそうです。
けん引する貨物を入れても
550mくらいかなあ。

見てたら一キロくらい
続いているように見えるんですけど、
そんなことはないんですねえ。

ちなみに、乗客が乗る電車で
一番長いのはどれなのかわかりますか?
それはねえ・・・じゃじゃーん、





新幹線の16両編成で400mなんだそうです。

日本の電車輸送ってすごいですねえ。
この線路沿いの道から見える
東側当たりの地名を俊徳と言います。

河内国・高安に住んでいた俊徳丸が、
高安から四天王寺へ通った
道筋の地名ですねえ。
その先の近鉄大阪線との
交点あたりにその俊徳の
名前を付けたJR俊徳道があります。





ああ、なんか昔、司馬遼太郎館を
訪れたときに、この道を通ったり
しましたねえ。

そのあたりで時間を見ると、
午後2時くらいになりました。
よっしゃー、今回はここくらいまでに
しときましょか。



こんな経路で、約12キロを歩いてきました。



で、ここまでおおさか東線は
この3月に開通と書いていましたが、
じつは放出~久宝寺の間は
2008年に開通していましたよ。

ただ新大阪からの便は来ていない
ということで、中途半端な
開通だったのです。

そして2019年3月に
新大阪~放出間が開通し、
新大阪から奈良への直通便が
通るようになって、
おおさか東線の実質的な
開通ということになったものです。

この沿線の人々の活動も
いよいよ本格的なものに
これからなっていくでしょう。

ーーーーーーー

今回歩いた久宝寺から俊徳道
そしてそこから先、
まだまだ大阪市内を抜けて
淀川を越え神崎川を越えて
新大阪につながっていくわけです。

そんなまちまちの様子を、
すぐに確認しに続きを
歩きたいと思って帰宅していった
doironなのでした。


おおさか東線南部2

2019年06月13日 20時44分59秒 | ウォーキング

そんな加美の工場地帯を過ぎたら、
前方にひがし線の
高架道路が見えてきました。
道路は地下街になっていますが、



その側道に入っていって
線路沿いに進みますと



そこにあるのが、ひがし線の駅





「新加美駅」です。

この線の駅名は行書体のフォントで
作られているようですねえ。
線路は貨物線があったのですが、
人の乗り降りがこれまでなかったので、
駅の周りは少し寂しい状況です。

ここから高架下の道が
続いていきますが、
加美の街中をちょっと見学していきましょう。



加美小、加美中などの学校の
ところを抜けていきますと、



お岩地蔵というのがあります。



昔「お岩」という人が地蔵をお世話するとともに、
児童の菩提を弔っていたところから
こういう名前になっているそうです。

加美には地名として加美北、
加美東などの地名がありますが、
この辺りは加美正覚寺といいます。
こういうお寺があるからですねえ。



お寺の信仰が地名になっているから
まあ昔からの地域なんですよねえ。

その先にあったのが旭神社。



この辺り渇水により農業被害の
起こることが多く、
そのための雨水対策としての
神様を祀る神社です。

水に関連して、この地域が
平野川の上流にあるところから
上→加美が名前になっている
という説もあります。
加美は「神」様からきている、
というわけではなさそうですね。

大和川の付け替えとかから見ても
この辺りの生活と水は
大きく関連していたんでしょう。

さあ、ではまたひがし線の方へと
向かいましょう。

こんなすごい柱のある家や



雑草が見事に育った空き地、



夏祭りの始まりを告げるという



北向き地蔵尊、加美正覚寺公園





なんかを眺めつつ高架下の方へと
戻っていきます。



あ、ローソンがありますよ。
実はこの日は朝の情報番組で
各コンビニが扱う冷やし中華の
特集をしていました。
ここの麺は三層構造である
とかいろんな特集をしていたので、
今日はこんな冷やし中華を
飯にしようと考えていたのです。

なのでここのローソンで
冷やし中華を買い、
どこかそれを食べる公園でも
ないかと歩いていたら、
いきなりひがし線の駅に到着しました。



「衣摺加美北駅」です。



東大阪市衣摺と大阪市加美北に
またがる駅で、こんな名前が
付けられたのでしょう。

「衣摺」とは河内木綿を染色する
人々の住むところだったそうです。

JR西日本がこの線の開通の
約2年前につけた名前だそうです。
この駅もまだ新しい駅です。
周りにぼちぼち商店が
できかけていますが、
駅前広場が広くすこし殺風景な感じです。

その駅前広場の隅っこに腰掛けて、



コンビニから持ち続けていた
冷やし中華をいただくことにしましょう。



え~っと座り込んで、
冷やし中華いただきますの
用意をします。



まずは麺を出してきてそこに
スープをかけて麺をほぐしていきます。



柔らかくなったら、そこに具をのせていき、



さらにその上にマヨネーズを
かけていきましょう。



ローソンの中華は一番おなか一杯になる
という評価でしたねえ。
いやあ、おいしかったです。

しゃがんで食べていたら、
お母さんに手を引かれている児童に

「あ、おっちゃんラーメン食べてる」

と指摘されてしまいました。
いやあ、この子どもは、
増えつつある高齢者の暮らしの中で、
嬉しそうに駅前の広場で
冷やし中華を食べているという
世の中を垣間見るようなシーンを
目撃したんですねえ。

お母さんにこっそり
「あんなおっちゃんになったらあかんよ」
なんて指摘されていませんように。

まあこれでローソンの冷やし中華は
いただきました。

次回はファミマかセブンイレブンのを
食べてみることにしましょう。

駅を少し観察したら、
さあではまたひがし線を
北上していきましょう。



続く


おおさか東線南部1

2019年06月12日 20時43分12秒 | ウォーキング

5月14日に大阪ひがし線淀川以北
というブログを掲載しています。

今年の3月16日に新大阪と
奈良をつなぐ線として
貨物線を改修して
おおさか東線が開通しました。
この線の一部を歩いてみた
というブログです。

実はこの歩きは3月の22日に行いました。
ひがし線が開通して1週間後の頃です。

歩いたのは淀川と神崎川の間の部分。
4キロぐらいでしたねえ。
まあ新しい線路とはいえ、
昔から貨物船のあった線路ですから
周辺の道路もそれに合わせて
動いていますねえ。

その時の4キロくらいは
大体線路沿いに合わせて
移動することができました。
なので他の区間もまあ地図と
現地を見ながらたどっていけるだろう
と歩いてみることにしましょうか。

まず最初は久宝寺駅から
北上していくコースをとりましょう。
天王寺駅から関西本線に乗って
すぐに久宝寺駅に到着です。



ここは昨年の夏に河内を
歩いた時のゴールでしたね。
ということは、doironの歩きは
河内と新大阪をつなぐことになるのですねえ。
変なつながり。

まずは許麻神社から
久宝寺緑地の方へと歩いていきましょう。

駅前の広い道を北向いて
歩いていきます。
あ、マンホールは八尾市ですねえ。



八尾市の「八」にちなんだ
八角形を中心にして、
外側には、市の花「菊」と
河内木綿の実を配しております。
そして内部には、姉さんかぶりの女性が、
糸車で河内木綿の糸を紡ぐ姿を描いています。

昔の文献にも河内木綿は
「久宝寺木綿」ともいわれ、
この久宝寺の畑の7割は
綿の生産だったそうです。

その先の「久宝寺」という交差点から
右奥に入っていきますと
厳島神社、許麻神社と続いていきます。





この辺りは寺内町なんかも
旧跡として残っていましたねえ。



こんな案内看板なんかも
かすめて通っていきましょう。



本当はその久宝寺交差点を
左へ行けば新加美駅へと
向かうのですが、
ちょっと寄り道しようと思っていた
ところがあったのです。

それは久宝寺緑地。

ここはランニングの熱心な
公園でしたねえ。
今もそうかなあ。
特に女子の市民ランナーが
強かったですねえ。

どんなところで走っていたのか
ちょっと見学していきましょう。

広い道路に出て緑の方に
向かっていきますと、
その緑地の南側に出てきます。



そして通路を進んでいくと、
ここが陸上競技場です。



こんな施設も使って走ったり
しているんでしょうねえ。

doironの昔の練習はよく
大泉緑地で行っていました。
あそこはこういう陸上競技場はなくて
一周3013mの
緑いっぱいの周回道路がメインでしたねえ。

10周走る30キロ走なんかは
厳しい練習だったなあ。

この久宝寺もそんな外周道路走
なんかもしてたのかなあ。

公園の中も歩いてみましょう。



ここも緑が多いですねえ。
こんな階段道や道路を走り、



時には坂道でアップダウン走
なんかもしたのかなあ。

まあ、特に女子は大阪国際への
出場権をかけた厳しい練習を
していたんでしょうねえ。

あ、向こうに花が一杯咲いている
エリアがありますよ。
行ってみましょう。



今の季節だから「バラ園」かなあ
と思ったら、シャクヤク園でした。





今日はおおさか東線の旅でしたが、
ちょろっと寄った公園で
きれいな緑や花も
いっぱい見れたのはよかったです。

それではひがし線旅を続けていきましょう。

公園を出て神武町の交差点から
北向いて進んでいきましょう。
ここは工場地帯ですねえ。



その入り口のところに加美遺跡
という看板が立っていました。



弥生時代から古墳時代前期のころの
墳丘墓が見つかったそうで、
今も工場群の下には
それが保存をされているそうです。

続く


由良でのんびりゆら~り1

2019年06月11日 21時17分19秒 | 最近の出来事

先日和歌山県に車で遊びに行った。

行ったのは白崎海岸。
海辺に石灰岩の大きな岩が
露出しているちょっと変わった岬なのだ。



以前、義父母が御坊に住んでいたころに
一度行ったことがある。
義父がここでの魚釣りが好きで、
何度か行っており景色が
とてもきれいだといっていたところだ。
でももう遊びに関して
どんな所かだったか
という記憶はあまりない。

調べてみると、最近ではこのあたりの
海辺の道が「新日本歩く道紀行100選」の
「絶景の道」に認定されたとか。
いい所だったら歩きに行くかあ、
と考えたのだがまあここまで
お店や自販機、そしてトイレの状態など
何も知らずにいきなり出かけるのは
ちょっと遠すぎるなあと考えていた。
まあたいがいそんな感じやけどね。

でも先日、御坊の実家の方に出かけるときに
一度車で寄ってみるかあと
思い行ってみることにしたのだ。
天気の安定した日を選んで
出かけることにした。

湯浅・御坊道路の広川ICでおりて向かう。

このICは熊野古道の
王子のあるところでしたねえ。
ぐるぐる道路を回って降りていくと、
国道42号線の交差点に出ていきます。
このまま42号線を南下していくのも
いいのですが、ちょっと海辺の道まで
行って移動していくために、
目の前に見えている大きなトンネルの
道に入っていくことにしました。
湯浅の広川ビーチ方面への移動道だ。

トンネルを出てみかん畑の中を
どんどん進んでいくと、
海辺の道に出ていくのでそれを左折、
海岸線を走っていくことになります。

海は静かですねえ。
でもこの辺りはもう太平洋に
面していますねえ。
遠くには淡路や四国の島々が見えています。

衣奈海岸のあたりでいったん
新道の山方面に入りますが
またすぐに降りてきます。

道路を走っていると、民宿なんかも
結構あるようで、どうもこの辺りは
「クエ」が名物のようです。

看板が、食え~と言ってます。

そこから少し狭い道なんかで
すれ違いがむつかしいような
ところも通ります。

ああ、今度買う新しい車は今より
3cm横幅が大きいからなあ。
新車で来る時は気を付けましょう。

やがて前の方に見えてきた石が
白くなってきたなあと思ったら、
白崎海洋公園に到着です。



この辺りは昔は日本セメントの
石灰岩採掘場所でしたが、
今はもう公園として生かされています。

いろんな評価をされていますよ。

最初に書いたように、
新日本歩く道紀行100選のひとつのほか
「日本の夕日百選」、
「日本の渚 なぎさ百選」にも選ばれているほか、
平成22年4 月には、
読売新聞の「平成百景」(19位)に選ばれました。
駐車場に車をとめて歩いてみると、
あ、和歌山夕陽朝日100選にも
指定されているようです。



それからちょっと奥の方にある
ログハウスのあたりが工事中です。
この夏くらいにオープンするようです。



でもそれは新設されたんじゃなくてね、
昨年、doiron家の屋根の瓦を吹き飛ばした
あの台風によって、この辺り一帯が
大荒れになったそうで、
その修復のための工事だったのです。

でもいいですねえ、あんなログハウスに
みんなで止まったら楽しそうですねえ。
夏の合宿なんかもいいかもしれません。

ここにはオートキャンプ場もあったそうですから、
そんなところも回復されるのですかねえ。
また確認しときましょう。

海岸線を歩いていくと、
休憩スペースなんかもいろいろとあり、
そのどれもが無人でした。



わあこの景色を独り占め
だあって感じですねえ。

持参してきた弁当を食べ(写真忘れた)、
のんびりと時間を過ごしました。

でもまあ、今日は御坊の実家に行く
途中ということで、しばらくして
ここを出発。
後日あらためて訪ねてこよう
と思いながら、岬を後にしました。

いいとこ見つけたなあ、
事前に行っといて正解だったなあ。
なんて思いながら海辺を車で移動した
doironだったのでした。