ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子道13 完歩しました

2019年06月03日 20時55分32秒 | ウォーキング
広い境内のあるこの多神社のあるあたりは、



今も「多」地区といわれています。
昔の祭神の子孫の名前が
地域の名前なんですねえ。
地名にも歴史がそこはかとなく含まれてます。

では飛鳥川の方に戻っていきましょう。

この辺りの川には鳥が
いっぱい飛んでいるのと、
亀が驚くほどたくさんいます。



doironがあちこちのぞきながら
歩いていきますと、少し先の方で
亀が驚いて水に飛び込んでいきます。

いいのにい、何もしないから
平和に暮らしていてくれたらいいのにねえ。
それにしてももうほんとに
多くのカメがいます。
今まで見た中では、四天王寺の
亀池に次ぐ多さでしたねえ。
やはりこの辺はなんか栄養豊富なんでしょうねえ。
すみませんねえ、
平和な亀生を乱しちゃったりして。
 
道はここでは左岸を進んでいきます。

河原には緑が多いので、
中に入ると亀に食べられたり、
鳥につつかれたりして
危険ですからいやいや地盤も
安定してないし、蛇もおるだろうから、
こういう案内看板もつけられています。

自然はいっぱい、でも子どもは危ない。
こういう矛盾におとなの心は揺らぎますねえ。
 
クサフジには蝶が舞い、
 
 
遠くの畑にはあれはレンゲじゃないよなあ、



シバザクラかなあ。
なんかもう現実離れしたような
雰囲気で、こんな駅までの
道標なんかもう本当に

ここの世界とつながっているのかどうか
わからんなあって感じです。

住宅街の裏の道を歩いていきます。
熱心に花も植えていますねえ。
アジサイみたいな花も咲いていますし、

これは何の花ですかねえ。

もしかして「カイドウ」の花?
太子道といういわば街道のところだから
こんな花?なんてことはないかねえ。



あ、ここには飛鳥川の
掃除の案内が立っています。
う~ん、これくらいの川を一般人が
どんな掃除をするのかなあ。
いっぱいいる亀も大騒ぎでしょうねえ。
まあきれいにしてくれるのですから
ありがたいですが、
気を付けて掃除してくださいねえ。



聖徳太子はこんな気持ちのいい所を
通りながら、17条の憲法を
ぶつぶつと考えていたのかなあ。



周りの田んぼでのんびりと
畑仕事をする人たちを見ながら
歩いていると、ちょうど川をこんな
風船のダムで止めよう
としているのを見かけましたよ。

このダムは今まで何度か
見かけたことがあるけど、
実際うごいているのは初めて見ました。

ここから道を右に回って
住宅地の中に入っていきます。
ここが八幡神社で、ここに大きな

クスノキがあります。
樹齢500年と言いますから、
聖徳太子は見ていませんね。
神社の社殿を覆いつくすように
そびえています。

「薬王寺の大楠」という名です。

薬王寺はこの地域の名前ですね。

ここにあるお寺である
「蓮休寺」がそのお寺の
後継寺ですねえ。
そしてその先にあったのが
「保津環濠集落」です。

まあこれも中世から近世の集落ですねえ。
残念ながら聖徳太子のころには
まだできていないようです。
大体時代は500年後半から
600年前半の人ですからねえ。
もうその頃のものは
何も残っていないでしょう。



ウワーここに都村の
道路元標がありましたよ。
え~これでdoironが持っている
13本目の道路元標ですねえ。



ここから近鉄田原本線の
黒田の駅の横を通って行きますと、



前方にこんな地蔵堂が見えてきました。



ああ、ここは以前田原本の
太子道を歩いた時に出てきた
ところですねえ。
これで歩いた太子道が、
明日香と法隆寺でつながりましたねえ。
今回歩いたのはこんな感じ10キロでしたね。
太子道はこの区間だと全部で30キロくらいかな。

のんびりした田舎道を
聖徳太子と二人で歩いているなんて
想像を加えながら、
1500年くらい前の時代に
思いをはせた気持ちよく歩けた道でしたね。
 
太子道完歩です。
 
おしまい