ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

おおさか東線中部3

2019年06月17日 21時01分00秒 | ウォーキング

あ、きのう鴫野の地名の
由来を書きましたねえ。



そういえば一つ忘れていました。

「放出」の由来を書いておきましょう。

諸説あって、次の三種が
よく言われています。

一つ目は、当時の天皇が
馬を放っていたところから
ついた名前だという説があります。

そしてもう一つが、
訪ねた「阿遅速雄神社」に
熱田神宮から盗んできた
劔を新羅の僧がここに
「放」り「出」したところから
ついた名前。

そして最後が旧大和川の水を
碑をつくって「放」ち「出」した
ところからついた名前ということです。

よく聞く変わった地名ですが、
昔からの由来のある
名前だったのですねえ。

そしてその先の鴫野の駅から、
道を選びつつまずは
城東区役所の方に向かって
進んでいきます。



区役所の手前で左に曲がり、
おおさか東線の高架のところまで来たら、
その東側を右折し
線路に沿って進んでいきます。



きれいな歩道が続いていますねえ。

途中「野江」も通っていきます。
野原の「野」、岸を意味する「江」で
昔のこの地域の水の状態を
表しているという説があるところです。



ここには京阪本線も通っており、
地形がややこしいです。
うろうろとさまようように歩き、
ようやくJRの線路を
見つけたなあと思ったら、
親切なことにその壁に
JR野江駅の案内が大きく書かれていました。



線路沿いを歩くと、ここが野江駅です。



いやあ、まだまだ歴史の浅い駅ですねえ。
オープンしてからまだ二か月
くらいしかたっていません。

放出駅が管理しており、
一部無人の時間帯があります。

ここから道はしばらく線路の
西側を進んでいくことになります。

う~ん結構田舎道ですねえ。



新しくひがし線が開通したことで、
沿線の人は騒音とかは大丈夫なんですかねえ。



JR西日本のHPなんかを見てみても
そんなに苦情があるような
感じはないですねえ。
開通により生活が便利になった
というようなイメージが
強いような気がします。

ところどころで線路をくぐったりしながら、



東西の道を北上してきます。



あ、ここはメダカ屋さんですねえ。
道のところに水槽がいっぱい
置かれています。
黒メダカ、緋メダカ、蛍光色のメダカ
など様々なメダカが並んでいますよ。
思わず見入ってしまいました。

そういえば、この大阪ひがし線の
最初のころに行った久宝寺緑地の近くでは
昔、黒メダカが住んでいたなあ。
そんなことを思い出しました。

なおも線路沿いを、
こんな低いトンネルや地蔵さんとか



見ながら進んでいきますと、



小さな川に出ます。
これは城北川かなあ。



少し線路から迂回して橋を
渡っていきますと、



おおここにも駅の案内が
大きく記載されていました。



今回最後に訪ねる予定の



「JR城北公園駅」です。

ここもまだ二か月目の駅ですね。
ここからさらに北向いて
進んでいきますと、
ああなんか淀川っぽい雰囲気が
してきました。
においかなあ。

こんな公園から堤防に上がって



いきますと、おお淀川です。



この辺りは以前淀川歩きの時に
もちろん通っていますねえ。

今日はまあここまでとしましょう。

河原で休憩していた高齢者の人に、
ここから電車に乗るとしたら
どこに行けばいいでしょうかと聞くと、
バスばかり案内するんです。
地下鉄とかないのかなあ
と思ったのですが、
駅となったらやはり先程の
城北公園駅が近いようです。
戻っていきました。



今日はこんな感じで歩きましたよ。



結構距離も稼いで14キロでした。

この日は、ジダンとジム友と
沖縄料理の予定でしたので
大正へ移動。
そのことはまた別の日に書きましょう。

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おおさか東線もほとんど歩きました。
あと残りは神崎川北部部分ですねえ。
新しく電車が通ったところは、
古いところに新しい刺激が
加わったところ。
これからどんな風に町が
変わっていくのか、
そんなことを考えつつ歩いた旅でした。

おしまい