ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

おおさか東線中部1

2019年06月15日 21時14分27秒 | ウォーキング

え~二日前に大阪ひがし線の
久宝寺から俊徳道までの
南部を歩きました。
それに続いて今回は
俊徳道から淀川までの
中部を歩きに行きましょう。

天王寺から関西本線で
久宝寺まで行き、
そこから東線の各駅停車に乗って
俊徳道へと移動していきます。



この俊徳道は近鉄大阪線も
近くを通っているので、
駅から下りたときの
方向感覚がわかりにくいです。

ひがし線の北部方向はこちらやなあ。
するとこっち方面に
進んでいこうとなっていきます。

ナビを入れて方向も確認しながら
進んでいきます。

大きな病院なんかの横を抜けていくと、



ああもうすぐに駅に出ますね。

ここが河内永和の駅です。



俊徳道との距離が500mくらいですから、
貨物の長距離列車だと
二駅にまたがりそうな感じですねえ。
この駅は今度は近鉄奈良線と
交わっていますねえ。

駅もすぐそばですから
JRと近鉄の乗換駅でも
あるわけですねえ。

この河内永和の駅名はというと、
かなりいろんな歴史の中で
作られてきました。

この地域にあった3つの地域が
ひとつにまとまる時に
争いを収めて永く平和であるように
ということで永和(ながにご)村
と名付けたそうで、
それが布施村ができた明治時代に
「えいわ」というようになった
とのことです。

そしてまたこの駅はほかにも
歴史を持っています。

この駅の名前はもともとは
人ノ道駅として開業されていました。
それは「ひとのみち教団」が
仮本部をここに建てていたときです。
でも昭和の始めころ、
この教団の代表が不敬罪でつかまり
教団は解散。

結局いろいろと変遷があって
最終は「河内永和駅」と
名前を変えたという
歴史も持っているのです。

そのひとのみち教団というのが、
現在のパーフェクトリバティ(PL)教団です。



そんな河内永和の駅を過ぎて、
住宅街を歩いていきますと



「鴨高田神社」があります。

平安時代の古社で大坂夏の陣で
焼失したけれども、
徐々に再建されたといわれています。
寺内には古い灯篭や狛犬が
残されているそうですが、
こんな石碑もありました。



塩川正十郎、あの塩爺書の
「御大禮記念」の碑です。

ああ、そういえばあの行仙の
囲炉裏のある山小屋にも、
塩川さんの揮ごうした扁額があったなあ。



クマに注意の張り紙と一緒に
貼られていましたねえ。
首藤さんと一緒に行った
あの山小屋が懐かしいです。
また行ってみたい気がしました。

その神社を出たら、
今度は長栄寺というお寺がありました。
電車なんかよりずっとずっと
古い時代からここにあるお寺ですねえ。



でも今日はそんな電車の訪ね旅です。

お参りして進んでいきましょう。

お寺を出てこんな道を
前方のおおさか東線の線路に
向かって進んでいきます。

ああこんな石票が並んでいますねえ。



ん?ちょっと何か奇妙な
模様がありますよ。



よく見ると蛾のようですね。



これは変わった模様だと思って、
あとで調べて見たら
ウンモンスズメという蛾でした。
緑色のまだら模様で、
まるでジェット戦闘機のような蛾ですねえ。

ケヤキやアキニレの葉を食べる
静かな蛾なんですがねえ。

そんな蛾に感心しながら
住宅街を高架線路と平行に
進んでいきますと、あ、



広い道ですねえ。
見覚えのある道だと思ったら、
中央大通りでした。



大阪城公園から森の宮の横を
通ってくる道路ですね。
上には阪神高速東大阪線が通っています。

ああ、もうこんなところまで
来ていたんですねえ。

高架線路のところで道路をこえて
北側の車線に出ると、
そこにひがし線の駅があります。



高井田中央駅です。

続く