ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

おおさか東線中部2

2019年06月16日 21時19分47秒 | ウォーキング

もうかなり大阪市内の
中心地に近づいてきましたねえ。

でも淀川まではまだまだです
進んでいきましょう。



高架下を歩いていきます。
この辺りからおおさか東線は
片町線に合流していくため、
左へとカーブしてゆきます。

そう、新大阪と奈良をつなぐ
あたらしいおおさか東線といっても、
途中、東海道線、片町線、
関西本線の路線を通っていきます。
なので線路の形としては
いびつな感じになっています。

で、この左に曲がっていく
高架道路はというと、
こういう銘板を見ると



かなり古いものですねえ。
昭和44年に設けたものですから、
かつての国鉄が架けたものですねえ。

あれ?この高架道路のところに
奇妙な木片が入ってますよ。



どう見ても高架道路の中に
埋め込まれているように見えます。
これは何でしょうか。
高架道路作成者の記念品?
ここに何か秘密の扉?
う~ん、気になるので
ナニコレ珍百景に投書しておきました。



その高架線路は第二寝屋川を
こえる線路です。



しばらく線路を目印にしながら
歩いていき、こんな水害の案内板



とか見ながら、放出の駅の
手前の橋を渡っていきます。

そうして放出の商店街のあたりを
うろつきながら到着したのが



「放出阿遅速雄神社」です。



江戸時代中期の学者が式台神社の調査をし、
大阪に20社あるとし、
そのうち大阪市内が4社で
一つがこの阿遅速雄神社だそうです。



それを記したこの石碑が
大阪市の指定文化財だそうです。



境内には大きなクスノキが生えており、
それは天然記念物となっています。

公園の中をずずずーいと抜けていくと、
大きな家々の合間に
小さな公園がひとつありましたので、
ここでお昼ご飯としましょう。



今日はコンビニの冷麺を
食べ比べしたのではなく、
持参したお弁当をいただきました。

しかしねえさすがに都会の
家々の間にある公園です。
地面を見てみると、土の間に
ねじくぎが転がっていたり
するんですねえ。



さあではまた続きを歩いていきましょう。

こんなかなりシャッターだらけの



商店街を抜け、放出の駅に出てきます。



駅名の表示を見てみますと、
文字のフォントがこれまでの
ひがし線のものと異なっていますねえ。

コースはここから次の鴫野の
駅までは片町線沿いを
歩いていきます。



この辺りはもう京橋の駅が
近づいてきています。
京橋と言えばグランシャトー、
ではなく京街道なんかの
起点といわれていました。

京橋の駅から西の方へ
移動したところにある公儀橋です。

なんでも昔の橋はタコ坊主のような
擬宝珠が付けられていたそうで、
それは今も別のところに残されています。

交通のかなめであった京橋から、
鴫野、放出はもうすぐそばの
ところなんですね。
こんな道や線路沿いの道を
鴫野に向かっていきますと
「八劔神社」がありました。



大坂冬の陣ではこの辺りは戦場でした。
この辺りには徳川方の
上杉景勝が布陣していました。
その後、夏の陣で落城した大坂城は
家康によって建て替えられる
のですがその時の石垣の
石置き場になったのが
この鴫野のあたりだそうです。



いろんな刻印の入った石が
この神社に残っています。

線路に接して存在する神社でした。

街道近くのこの神社には、
これまでもいろんな人が
お参りしていったのでしょうねえ。

そしてここが鴫野駅です。



この辺りを通っていた
旧大和川と寝屋川が合流する
デルタ地帯ですね。

大和川付け替え工事以降に
干拓が進み水田地帯になっていました。
そんな水田にシギが群がっていた
ところから「鴫野」と
名付けられたともいわれています。


続く


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