ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 槇尾山施福寺2

2017年11月10日 21時23分19秒 | ウォーキング

手すりにするようにと
鎖も付いた階段を上っていきます。



すると前方からたくさんの
人が降りてこられます。
年配の方々が多いですねえ。
平日やもんなあ。

降りてくる人と「ようお参り」と
あいさつしてると、
おお~なつかしい。
四国八十八箇所を回った時に、
同一ツアーの仲間であることが
分かるようにはる
会社のシールをみんな貼られていましたね。

ツアー客ですねえ

しかしこういうツアーで回ると、
この坂道を知らない人は
驚いたでしょうねえ。

ツアーなんやから
「超然絶後のロープウェイとかないのか
、ウェ~イ!」とかいう客も
いるんやないですかねえ。

2丁を過ぎ、



1丁のところまで来ると、



この辺りから背後の街々が
遠くに見えてきますねえ。



そしてこの位置に、
愛染堂がありました。



空海が得度した場所ですな。

むむ~そそしたらさあ、
隣村にある散髪屋さんは、
「doironの剃髪所」ですよねえ。



むかし家からここまで
走ってきたときは、
この石段が最後の超絶登りですねえ。

一歩ずつ上っていきますと、
おおようやく施福寺の
建物が見えてきました。



あ~登り切ったと思っても、
ここは槇尾山の山頂じゃないですからね。
槙尾山頂にはまだ山道を
進んでいかなくてはなりません。



むかしここから槇尾山辺りを
ウロウロしたことがよくあります。

この時にも強烈な思い出が
一つあります。

じつは植物の検索図鑑を
持ってきており、
パッと見つけた花を
探りつつ歩いていました。

検索図鑑とは、
例えば葉は対生か互生か、
茎は四角いか、などの
特徴を追って行って
最終的に花の名前に
たどり着くという優れものの本です。

花の勉強をしなきゃと思って
買い込んでいた本です。

岩山の下で、全く名前の知らない
花に出会いました。
これはもう検索図鑑で
調べてみなくてはと
作業を始めたんです。

いろんな特徴を順に追っていくと
一つの花にたどり着きました。

その写真と現物を比べてみると、
おお~まさしくその花です。

「ヒメハギ」という花でした。



この時はうれしかったですねえ。

この経験以来、花の名前を知ることは
doironの趣味の一つになっていきました。
検索図鑑がボロボロになるまで、
この頃はよく山に行き、
花とたわむれましたねえ。

そんな時に行ったのが
槇尾山の山頂です。
ちょっと足場が悪いので
注意参考の場所でしたね。

今回はそんな場所への
ピークハントではありません。

施福寺で「朱印」をもらうことでしたね。

一緒に持ってきたおまいりセットで
まずはお参りです。
四国で学んだように、
ローソク、線香をあげ、
三十三所用の納札も納めます。

賽銭を入れ、お祈りしたら、
納経所へ行きましょう。

もう先ほどのツアーの客も
いないの急がなくていいのです。

1300年の記念印を
押してもらって300円払い終了です。

で、このときに納経者が
「今は秘仏の馬頭観音も見れますよ」
と案内していいただいたのですが、
まあ今回は置いときましょう。

ここは近いのでまたまた来るときも
あるでしょうしね。

それにまた槇尾山辺りも
ウロウロしたいと思っている。

あ、そうそうネットを見てたら
この辺りの大好きな登山者と
このお寺の人たちとは
あまり付き合いがよくないそうですね。

お寺が、案内を外したり、
行き止まり場所を作ったり、
鉄条網をはったりと
かなり登山者との関係がよくありません。

個人の山で、立ち入りを
制限してるのかなあ。
そのあたりのことは
よくわかりませんが、
行くとなったら注意が必要ですね。

さあ、では先ほどの参道を
今度は余裕で降りていき、
一番下で満願の滝の方にも
参っていきましょう。



最後にホトトギスの花なんかを



眺めながら、てくてく歩いて、



三十三所の12社目のお参りから
帰るdoironなのでした。

おしまい


西国三十三所 槇尾山施福寺1

2017年11月09日 21時11分28秒 | ウォーキング

四国の八十八箇所も終え、
今はというと熊野古道の残りもあるが、
主に西国三十三所について
朱印帳を持って回ったりを
していることが多い。

でもねえこれらの三十三所の
お寺にはこれまでも何回か
行っていることが多いんだよね。

だから新鮮味ということでは
若干かける部分も多い。

そう、何度か行ってるものの
実際に朱印を打ってもらうのは
初めてとなる寺が多いのだ。

今回いった槇尾山などは、
多分これまでの人生の中で
一番多くの回数行ったお寺だろう。

実際に家から走って行ったことも
限りなくあるし、
車で遊びに行ったことも多い。

走るのを引退してからも、
和泉の山の方にできた道の駅から
てくてくと歩いていったことも
よくあるというなじみ深い山だ。

だけれども朱印をいただくのは、
今回が初めてだ。
急激な登りの始まる登り口から
ブログをかき始めよう。

そもそもこの槇尾山は役行者が、
あちこちにお経を埋め尽くしていって、
ここには最後のお経(巻の尾)を
埋め尽くしたところから
巻尾山と言われそこから
この山の名前が来ているという
由緒の古い山だ。

そんな修験者の道場に
行満上人が弥勒菩薩を安置したのが
始まりというお寺が、
西国三十三所4番札所の槇尾山施福寺。



この寺は難所の一つといわれている。

入り口の売店から急激な坂が始まるのだ。



結構急な坂で、足腰の悪い人には
参れないようなところである。

ここまで朱印を集めてきて、
この山に来てあきらめた人も
きっといるに違いないやろねえ。

昔母親つれて家族で来た時も
しんどそうに歩いていたな。

でも考えたら今のdoironより
若い母親だったけどね。

山の入り口あたりには、
いろんな看板が立てられている。







ああお寺参拝や山の良さを
伝えようとしているのだが、
それにしてもここはやたら看板が多い。

始めてくる参拝者は、
これに励まされて
がんばって上がっていくのかなあ。

大阪緑の百選の石なんかを



眺めながら、急な坂道を
頑張って登っていくと、
山門のところに出てくる。



ここの仁王さんは結構迫力があるよ。

息子が超小さい頃は
この仁王さんがこわくて
泣いていたことをいつも
思い出すなあ。

その仁王さんの周りには
小さな草鞋の願掛けが
ぶら下がっている。

ばあちゃんのあしが悪くなったときに、
知り合いがここに願を
かけてくれたのも思い出す。

まあ何度も来たところだから、
いろんなことで人生の部分部分に
関連しているところなんだな。

今の季節はアキチョウジが咲いているな。



花の形が「丁」の字の形に
なるところからこの名前になってるよ。
で、山門のあたりには、



山頂あたりまであと6丁と
これはまあうまくできている。

丁というのは長さの単位で、
今では1丁=360尺、
約109m位を表している。

数は一つずつ減っていくので、
体力消耗度の目安になっていきますね。
ということはここから
650mは離れていることになる。

そして次は残り5丁。



この辺りからはさらに階段が
急になっていきますねえ。

前方に高齢者のおばあさんが
はあはあ言いながら
歩いてはりましたねえ。

無理したらあきませんよ。
下手したら山頂につく前に、
弘法大師さんに出会いますからね。
ゆっくり、ゆっくり登ってくださいね。

4丁まで行きますと、
いろんな建物も少しずつ現れます。
ここは空海姿見の井戸ですねえ。



そう、なにせここはあの四国でお世話になった
空海さんが得度した場所、
すなわち髪を剃り坊主になった場所
だといわれています。

この先には、愛染堂があり、
どうやら彼はここで剃髪をされたそうです。

剃髪場所かあ、
薄毛にはありがたいんだか
どうなんだか。

続く


しゃっくり特効薬

2017年11月08日 21時01分22秒 | 生活

少し前ですか、風邪を引いたかな
と思えるほど、のどがイガイガしていました。

しかしどうも体調はさほど悪くなりません。
のどが痛くなるほど
いっぱいしゃべったり、
大きな声でカラオケを歌ったり
したわけでもないしなあ。

まあ、たまに訪れる加齢による
疲れなのかなあと思ったりしていたのです。

で、そんな疲れのある日に、
「シャック!」と一発シャックリが出たのです。

ああ、横隔膜がけいれんしているぞ
と最初は優しく思っていたのですが、
10分続き、20分続きとなってくると
「うっとおしいなあ」となってきます。

30分続くともうこれは
維持でも止めてやる、
と力が入ってきます。

息を止めてみたり、
手の甲のツボをもんでみたりします。
でも結局止まらず、
2時間くらいしてようやく
止まったという感じでした。

あー苦しかった。とほっとしました。

以前、萩を走った時は30時間くらい
シャックリがとまらなかったことが
ありますからねえ。
あの時に、ランナーで走っていた
お医者さんに、こんなのって
治す薬あるの?てきいたら
「あるよ」といってはりました。



ま、そんなことを思い出しながら、
その日の晩飯を食べてみると、
「シャック」とまた出てきました。

あ~まただ。

で、またいろいろやってみたのですが
止まりません。
湯呑のコップを向こう側に
口をつけて飲む、とかいう説も
試そうとしましたがあきません。

萩のエイドでこれをやった時は、
眠気で意識もうろうとしてるように
思われたなあ。

で、今回もあ~仕方ないかと
あきらめつつ止まるのを待ちましたが、
この時はさすがに止まりません。

う~ん、このままの状態で
寝れるのかなあと心配しつつ
寝床に入りましたが、これがねえ、

寝れるのです。

ヒックといいながら寝ている
doironをミセスは目撃して
どえりゃー驚いたそうです。

ま、そりゃそうですよねえ、
世界中じゃ何十年もシャックリが
続いている人もいるくらいやからねえ。

寝れることは明らかです。

で翌朝、起きてみたら
ちゃんと止まってました。
ホッとしましたが、
あ~でも朝飯食ったら
出るかなあと不安でした。

でも大丈夫、今度は出ませんでしたね。

で、その日は別の健診日だったので、
医者に行ったときに、
シャックリ止める薬あったらほしいなあ
といいますと、
「わかりました」とのことでした。

で、手に入れたのが頓服的に飲む

「セレネース」



という薬です。

あ~これでもう僕は残りの人生を
シャックリと過ごすなんていう
不幸なことにはならなくて済みます。

どれどれと薬の説明を見てみると、

「この薬は、脳に働いて神経の高まりを抑え、
幻覚、妄想などの精神症状を改善するお薬です」
と書かれているではないですか。

あれ~、僕のしゃっくりは幻覚?
話をしているのは妄想?

「めまいやふらつき、眠くなる」
などとも書かれています。

あ~どうやら気分を穏やかにして
シャックリを止めるという、
副交感神経に作用するのかいな。

不安や緊張を抑える薬やね。

こりゃあ、気持ちをゆっくりさせて
眠るのにちょうどいいぞ、
とミセスに説明していると

「そんなどこでも寝るような
のんびりしたあんたに
こんな薬はかえって毒やで」
といいよるのです。

む~なんてことを言うんだって感じですな。

まあ、そんな作用は別にして、
とにかくこれでシャックリしたまま
布団に入ることもないでしょう。

最近は、止められない長いしゃっくりが
早く出ないかなあ、
などと考えているdoironなのでした。


嵐山神社巡り4

2017年11月07日 22時44分05秒 | ウォーキング

とりあえず、コンビニに入って
あったかいコーヒーでも飲みましょうか。



現在位置を確認もしないといけないからね。
するとこの辺りは、計画通り
地図も「明星町」のあたりですねえ。

ということは、この近くにもう
最後の目標神社である

「車折神社」

に近いはずです。
お昼も過ぎたので
おなかもすいたけど
あとこの神社だけ行って、
渡月橋近くのところで
お昼にしようと考えました。

で、三条通と呼ばれる道を
東向いて歩いていきますと、
ああ、ありました。
ここがその車折神社です。





昔後嵯峨天皇が牛車に乗って
この前を通ろうとしたときに、
牛が動かなくなり、
車の引き棒が折れたところから

「車折(くるまざき)神社」

と呼ばれるようになったとのことです。

社名は車裂神社と
書いたこともあるとのこと。

ここは学問の向上、商売繁盛、
借金の返済なんかに効果が
あるとされています。

中に入っていきますと、
水神社があります。



むかし大堰川
(桂川のことをこの辺りでは大堰川という)
がよく荒れて、
それを鎮めるために
竜神様にお願いしていた
神社だそうです。

秦氏はそんな川のために、
罧原堤なんかを築いたんでしょうねえ。

昔から川のある所は荒れることが多く、
川沿いに多くの神社なんかがあったようやね。
近所の岸和田や和泉あたりの
川の近くを見ていても
それはよく感じますね。

参道を歩いていきますと、
ああ、この神社は赤い棒に
お名前を書いてお祈りする
ようになっているんですね。



フムフム。



ん?エGザイル・・・、
雛Kあきこ・・・、
林家S平・・・。

うわ~、テレビに出ている人たちの
名前だらけです。
懐かしい名前なんかも
いっぱいありますよ。

というのもここには、
芸能道の祖神といわれる
天宇受売命(あめのうずめ)を
祀っており、芸能・芸術の分野で
活動する人々より崇敬を受けているそうです。



うつぶせにした槽(特殊な桶)の上に乗り、
背をそり胸乳をあらわにし、
裳の紐を股に押したれて、
女陰をあらわにして、
低く腰を落して足を踏みとどろかす
という踊りを踊ったという人。

むむ~むかしはすごい人がいたんですねえ。

その人に向けての芸能人の
お参りの多いところです。

じっと見て回ればかなり
面白いかもしれませんが、
数が多くてねえ。

興味があれば行ってみてくだされ。
あなたのごひいきの
芸能人の名前を見つけるかもねえ。

さあ、これで目的としていた
4神社の参拝はすべて終わりました。

京都というと見どころが多すぎて、
こうしてあらかじめ決めていかないと、
もう大変なことになるような気がしますねえ。

ではここから嵐山の方に
向かって進んでいくことにしましょう。
嵐山まで1.5キロくらいの
三条通を車に気を付けながら歩いていきます。

渡月橋が近づくにつれ、
外国人密度がぶわーと上がってきます。
そして桂川沿いに出たところでは、
もう大変な数の観光客が目に入ってきます。

お土産屋さんはもう中に
入れないくらいいっぱいです。
食堂なんてとてもとても。

まあこの辺は物価が
観光客プライスになっているから、
あまり入りたくはないですけどね。

で、これが渡月橋。



渡るときはこんな感じです。



ここから渡月橋の向こうを眺めてみると、
こんな感じで人があふれていますよ。



doironはあらかじめ計画していた、
渡月橋向こう側の堤防に出ている
食堂で食事です。



京都風情も全くない
ラーメンとビールで乾杯です。



まあ、ここで無理に中途半端な和食を
食べるよりこれでいいんじゃないですか。

屋外のテーブルで
のんびりいただきました。

このあと嵐山の駅から
電車に乗って退散です。



「関西の神社をめぐる本」
に乗ってた神社をめぐる
嵐山歩き旅、ほかにも
いろいろ見どころが
ありそうなのでまた別の機会に
ぼちぼちと出かけることにしましょう。

おしまい。


嵐山神社巡り3

2017年11月06日 21時13分35秒 | ウォーキング

駅の方へ戻って、
今度は右の桂川を



「松尾橋」で渡っていきます。



桂川というのはもちろん
淀川の上流河川ですね。



この奥の嵐山では渡月橋のかかっている川です。

大きな川ですねえ。
渡っていくと、なんかもう
普通の住宅地のようなところに
入っていきます。

道路標識を見ますと

「罧原堤」



と書かれてあります。
これは嵐山から松尾まで続くこの桂川の
堤防のことを言います。







「罧原」はふじはらと読みます。

なので藤原氏が関連した堤防か
というとそうではなくて、
前回書いた「秦氏」が川の洪水を防ぐために
作られた堤防なのだ。

周りの状況や河川から見上げる
堤防の様子なんかがよくて、
よく撮影の地に使われたりもするようだ。

ここを歩くのも楽しいのかもしれないが、
今回は神社の巡り旅で来ているので、
これを歩けば目的の2神社を
見逃してしまうのでここもまた
別の機会に来ることにしよう。

さらに東向いて歩いていくと、



梅宮大社の表参道に到着します。



ここからみた神社の姿がこれ。



大きくて立派な明神鳥居ですねえ。

ここは、梅宮神に祈願したことで
子どもを授かった皇后の話で、
子授け・安産の神とされていますし、
酒解神などの祭神の名から
酒の神としても知られています。



また先ほどの雨から行くと
条件は良かったようですね。

先ほどの松尾大社とは
少しストーリーは異なりますが、
こちらも酒の神だったわけですね。



ここにも酒の神輿庫が
こうしておかれています。

祭神の右わきの方に
「またぎ石」という岩があり、
これをまたぐと子供ができる
といわれています。

これがその石。



またこの神社は猫が多いことで
知られています。
猫の写真番組もここで作られたそうですよ。

そう思って社務所の方を見ると、
棚の上に猫がドデーンといましたねえ。



さすがでした。

そうして梅宮神のお参りを終え、
今日ののこりは跡1社です。

少し離れていますが、
嵐山周辺をてくてくと歩きながら
訪ねていくことにしましょう。

しずかな村中を、あっち行ったり、
こっち行ったりしながら
歩いていきます。

あ、なんか古い家の片隅に
自動販売機があるぞ
と思ってよく見たら、
なんと野菜の自販機です。



いやあ、こんな自販機もあるんですねえ。



驚きました。

この辺りは「千代の古道」なんて
名前が付けられているんですねえ。



そうして住宅街を抜けていきますと、



前の方に川が見えてきました。



「有栖川」です。



なんか芸名とかによく使われる
名前ですので不思議な感じですねえ。

あの有栖川有栖なんかも
この近くにいたという話を聞きました。

コースはこの川沿いを
上っていくように計画しています。

本当に堤防とかあるけるかなあと、
不安だったんですが、
実際に行ってみると結構立派な
堤防道があるようです。



田んぼと川に囲まれて
気持ちよく歩いてくださいね。

そのうちに右側の川と並行して、
左に決行立派な流れが出てきます。

田んぼや畑用やなあと思いつつ
見ていますと、あれ?

川の中に植物が生えているぞ。



その姿はまるであの醒ヶ井の
地蔵川でみた「バイカモ」です。



え~京都市内には今は一つもなく
絶滅種といわれているのに、
こんなところに残っていたら
すごいニュースだぞ。

写真にも取って帰ってから
調べてみました。

そしたらネットの中にも
「有栖川」にバイカモなんて言う
ニュースもいくつかありましたが、
公的なページが一つもないのです。

さらに調べようと、
醒ヶ井の写真と比べてみたら、




葉っぱの形がかなり違っていました。

ネットをさらに探してみたら、
よく間違われるのが
オオカナダモという植物らしいです。

残念、仕事引退してあちこっち
歩き回ってるおっさんが
バイカモを大発見!
なんて記事にはなりませんでしたね。

とまあそうしてるうちに
doironは嵐山近くにたどり着いたのでした。

続く


嵐山神社巡り2

2017年11月05日 22時12分29秒 | ウォーキング

前に賀茂神社を歩いたときに勉強した
「賀茂氏」は京都において
「東の厳神」として、
京都の根底にかかわっていた
という話を勉強しましたねえ。

そう賀茂氏というのは
葛城の葛城古道のあたりに
本貫を置く「鴨氏」のことでしたね。

「東の・・」というからには
「西の・・」もあるんではないか
と思いますよねえ。
そう、あるんです。

「西の猛者」と称される「秦氏」です。

もともと京都には「賀茂氏」がいたのですが、
のちに大陸出身の「秦氏」がやってきました。
秦王朝の始皇帝の後裔とする
弓月君の子孫を称したことから
「秦」を名乗った氏族ですね。

まあいわば渡来系一族だったわけです。

で、渡来系一族というと
もう一つ「漢族」とうのがいますが、
漢族は工作などの技術者集団で、
秦氏は農民集団であった
といわれています。

そんな秦氏が古代から奉斎していたのが、
こん回2つ目にやってきた松尾大社です。

電車を降りて桂川と反対方向を見ますと、



松尾大社の看板や石標の間が
白い布でおおわれています。



工事中なんやあ。

中はどうなっているかなあと
思いつつ進んでいきますと、
ああ中は大丈夫でしたね。



本殿の後ろも少し工事をしていましたが、
前はそのままです。
お参りをしておきましょう。

この神社の背後にある
松尾山山頂付近に大きな磐座があり、
そこで行っていた神霊を
同地に移したものが
この神社の創建だそうです。

なので背後の松尾山は大切な山で、
登るのにはお祓いを受けたうえで、
有料で登っていくことになります。

本殿の横に案内があり、
登り口がありました。



どれくらいの山なんでしょうかねえ。

でねえ、こんな山には
かなり興味があるんだよね。

山としても登ってみたいけど、
なんか人の思いがこもった
山って興味あるなあ。

桜井にある大神神社も
同様の取り組みがあるんだよね。
あの神社は背後の三輪山が
ご神体となっているところ。

ここにも絶対近いうちに
登ってみなくてはと思っているのです。

あとこの神社は「酒」の神として
信仰されています。

神社で酒の神というのも
ちょっと違和感がありますが、
お神酒とかいうのもあるしなあ。

先ほど行ってきた長岡京の
天満宮のそばには、
境内向いて酒屋もあったもんなあ。



この神社には「亀の井」という
松尾山からの湧水の泉があります。



この泉の水を持ち帰り、
酒に入れておくと酒が腐らない
といういわれがあり、
今もそういう風習は続いているそうで、
それが「酒の神」信仰に
つながったんだといわれています。

境内の隅には、大きな酒だるを
100樽並べたこんな神輿庫が
置かれています。



下戸の人がみたら酔いそうな感じですな。

あ、ここには七五三の
子供たちもきているのかなあ。



そして朱印帳を記入するところもありました。

今回持ってくるのを忘れた
朱印帳なんですが、
この世界も入り込んだら
いろいろと奥が深いようです。

ネットで見ていると、
この朱印帳は各神社なんかでも
いろんなおしゃれなものを
売り出しているようです。

京都でも竜が描かれた、
東福寺や建仁寺のものや
あの鳥獣戯画のウサギやカエルが
描かれた高山寺のものもあります。

北野天満宮なんか梅の花満開の
朱印帳だったりします。

ではこの松尾大社のものも
あるかというと、あるんです。
この酒を並べた神輿庫を
バックに描いたものです。
こんな感じ。



これから、朱印帳を買って
集めようと思う人なら
ネットでこんなサイトを見てみたら、
人気10作品とか
そんなページもあるようです。

さあ、では朱印帳を忘れたdoironは
貴重をあきらめて、
次の神社に向かいます。

つぎはここから歩いて桂川を超え
1キロほど離れた梅宮大社を目指します。

続く


嵐山神社巡り1

2017年11月04日 21時11分06秒 | ウォーキング

ジムで自転車をこいでいるときだ。
トレーナーが面白い本を見せてくれた。

「関西の神社をめぐる本」。



この本の中に京都嵐山方面の
おもしろい神社のことが
書かれてあったので、
帰宅してからコースを
検討して巡る旅をすることにした。

まずは電車で向かったのが長岡京駅です。



神社巡りなのでここの
長岡天満宮をまずお参りに
行くことにしました。

でもねえ、この神社は阪急京都線の
すぐそばなので、この電車で行ったら
歩く距離がほとんどありません。

なのでJRの長岡京まで行き、
歩く事にしたのです。

といっても距離は一キロほどですがね。

広い道路が東西に続きます。



その途中にあったのが、
今回お目当ての一つだった
「西国街道」の横断です。



京都から下関へと続く
全長約570キロの街道を横切るのです。

最近では神戸でも
この街道を通りましたね。
以前、天王山に行ったときも
通りましたねえ。
それがこの長岡京の東西の道を
南北に横切っていきます。

駅前からしばらく歩いていきますと、
この「長岡京駅前」交差点に、
ででーんと道標がありましたねえ。



ここが西国街道の長岡京です。

大勢の侍が通ったんやろねえ。
それを横切ってさらに西に
進んでいきますと
阪急京都線の踏切に出ます。

もうこの辺りから長岡天満宮の
鳥居が見えていますねえ。



菅原道真が政争に敗れ九州へ向かうときに、
この神社のところで
「我が魂長くこの地にとどまるべし」
という言葉を残したところです。

彼の九州行きにお供した人が
道真からもらった木造を
道真死後にご神体としたのが、
この天満宮の始まりなんだそうです。

この神社に入っていくには、
この鳥居のところからまず



「八条宮智仁親王」が築造された



「八条ヶ池」の水上橋を渡っていきます。



「あっ!」ここでdoironは
大きな忘れ物に気付きました。

四天王寺で少し前に買った朱印帳です。
まずは曽根神社で記帳してもらい、



さあではここから少しずつ
神社の朱印を集めていこう
と思っていて、今回は
最初の機会だと思っていたのにねえ。

うっかり持ち忘れてしまいました。

まだ持ちなれていなかったからやなあ。
これからは忘れないようにしなくちゃねえ。

でもまあ朱印集めは
スタンプラリーじゃないので
こんなのんきな集め方で
いいのかもしれないねえ。

水上橋のあたりで植えているのが、
樹齢100年から150年の

「きりしまつつじ」。



横には若い次世代のつつじも
得られているそうです。
これが咲いているときの映像です。



花の季節は大変にぎやかだそうですよ。

この花は長岡京市の市の花にもなっています。
なので、ここのマンふたは
きりしまつつじかというと
そんなわけではなく、
もっと庶民に身近なこの辺り特産品の
たけのこというのが面白かったねえ。



そのあと拝殿でしっかりお参りし、
さあでは次の目標点へ向かいましょう。
コースはここから歩いてもいいのですが、
ちょっと遠いかな。

なのでこの時はあと3か所回る
神社の位置を考えて、
ちょっと電車に揺られていくことにしましょう。



阪急京都線の長岡京の駅まで
歩いていきます。



この辺りはかなり都会風ですねえ。
そしてそこから京都線で、
「桂」の駅まで行き、
そこで嵐山線に乗り換えとなります。

ははーん、なるほどねえ
嵐山線の電車ってこんな風に
「桂」が起点になっているんですね。

そして今回のコースで降りる駅は
目的の神社の名前がついています。

阪急嵐山の終点の一つ手前の駅

「阪急松尾大社駅」です。



駅は桂川と大社にはさまれたところにあります。
降りると、結構白人の人たちが
多いですねえ。

では、ここから歩きコースになります。
まず最初は松尾大社へと入っていきましょう。

続く


山麓リボンの道27 板宿へ

2017年11月03日 21時14分02秒 | ウォーキング

弁当を食べる場所の条件はというと、
まず日陰があることがいいですねえ。
もちろん座れる場所もね。

まあだいたい100均の
ソファをいつも持っているので、
段があれば楽に座れますね。

そして季節にもよりますが、
温かい頃は虫などが
少ないところがいいですねえ。

冬は風があまり当たらないところ。

まあ条件的には
そんなところがいいですね。

と考えると、町の中を行くことの多い
リボン通りなんかだと
公園なんかになることが多いですね。

今回もそんな公園を探しましたら、
ああ、ありました。

マンションの周りの整備したところに
作られた小さな公園ですね。



ここでお弁当を広げましょう。



オクラ、焼き鳥、ちょっとした煮物の
お弁当です。うまい~
飲み物はそろそろ
暖かいものが欲しくなってきますが、
まあこの日はコンロも
まだ持っていないので、
コンビニで仕入れた
温かいコーヒーということにしましょう。



いやあ、それにしてもうまい。

食べることの楽しみを
感じますねえ。
最近は感じすぎて、
ちょっと減らさなあかん
体になっていますがねえ。

まあ、来月大腸の検査で
食事を超減らすので
それがいい機会になればいいなあ。

大腸検査なんて今まで
受けたこともなく嫌いやけど、
まあこれでまた一つ大人になれる
とあきらめると同時に、
なんか楽しいことはないかと
別の楽しみを探そうとしてる
doironなんですがね。

まあ、とにかくこんなお弁当で
一息ついたら、コースを
進んでいきましょう。

高取山に向けてドヒャーと
登ってきた反動で、
ここからみちはずんずん下っていきます。



道にこんな刻みが入っているほど急坂です。

おっ、こんなところに
「白富大明神」がありますよ。



そ、それにしても狛犬が
大きすぎませんか。



中に入るのにこんなに
狭い思いをします。
稀勢の里ならむつかしいよなあ。

そしてまた更にこんな
「五位ノ池神社」も。



珍百景を思い出しつつ、

じゃん
じゃん
じゃん
じゃん
じゃん
じゃん

じゃーん。



狭いよねえ。

とまあそんな罰当たりなことを
考えながら歩いていきます。

ここのコースの取り方もむつかしいなあ。
団地の中を抜けていきますよ。



昼下がりの団地の中を歩く
おっさんになってしまいます。
なんか変なビデオになりそうな
フレーズですねえ。

あ、もうこりゃ今回は
頭がヘロヘロになっています。
疲れがたまっているのかなあ。
ぼちぼち退散した方が
よさそうですねえ。

この辺りから帰りの駅へと
向かいましょうか。

目指すは「板宿」の駅です。

最初は「いたじゅく」と
読んでいたのですが、
正解は「いたやど」でした。

名前の由来は二つあって、
一つはその昔、菅原道真が
大宰府に流刑になった時に、
ここで仮の宿を取ったそうです。

その時、急な事なので
村人が急いで板で宿をつくりました。
そこから板宿と言う
地名が付いたという話。

でも板で宿ってどんなのかなあ。

もう一つが、板井戸村が
なまって板宿になったと考えられている。

「いたいど」→「いたやど」。

う~ん、ま、どっちでもいいか
って感じやな。

商店街の中を歩いていきます。



あっ、こんなローソンもありましたよ。



ポンタもちゃんとつくようです。

この日はトータルは約7キロですが、



高取山という山も
途中まで登りましたね。

で、駐車場のある駅で降りてからも
1キロほど歩くのでいいでしょう。
電車に少し揺られて
最初の駅に戻ります。



その長田からてくてく歩きながら、
かえり道のパン屋でお土産を買いました。



「神戸そばめしロール」です。



これがねえ、なかなかうまかったよ
と報告しつつ、
この後車でビューンと帰ったのでありました。

おしまい


山麓リボンの道26 高取山

2017年11月02日 21時31分46秒 | ウォーキング

その風呂屋の入り口には、
こんな張り紙がありました。



ここは42mの標高です、だって。

こ、こんな山の中で、
ど、どんなことに役立つ
防災張り紙なんかねえ。

で、そこから今度は階段を上がって
いきますとコースに出ていきます。

この辺りは意外ににぎやかな
住宅地ですねえ。



あ、ここには平盛俊塚があります。





盛俊は平清盛の側近でありました。
戦いの中で盛俊は、
いったんは源氏の小平六をねじ伏せ、
首を取ろうとしたのでありますが、
相手に「降参人の首を取るのは卑怯」
となじられると許してやったそうです。

そうして、油断しているところを
討たれたそうです。
盛俊に限らず平家人は
総じて戦場でもお人好しであった
というお話なんだそうです。

さあ、そんな住宅街を進んでいきますと、

コースは苅藻川にそって進んでいきます。



その先で「林山橋」を渡って右折し、



山方面に登っていきますと
「西山公園」に入っていきます。



ここは桜の名所らしいのです。
一か所歩いても季節によって
全然違う景色になったりするんやろねえ。



一度歩いたところでも
季節を変えて歩いたりすると
またいいのかもしれないなあ。



公園を歩きつつ、
そんなことを考えながら
景色を眺めていたら、
むむ~また道を間違えてしまいました。

地図ではこんな広い道に
出ないのになあ。



またまた運動会の開かれている
小学校の横を抜け、



次の目標値である高取山の方に
向けられた登り道を
上がっていくことにしました。



リボン通りって坂道も多いけど、
こんなコースの間違えやすい
道も多いなあ。



昔からの道のように
素直に続いていく道ではなくて、
現代の人が無理やりつなげようと、
ギクシャク付けた道の流れが
あるように思いますねえ。

しっかりと歩いていかなくてはね。

さてでは、山に向かって
ぐいぐいと登っていく
道を進んでいきましょう。

ああ、この家は玄関柱に
高取神社の名前が入ってますよ。



高取山といえば、
六甲全山縦走路の一か所ですねえ。
いろんな神社が多く存在するこの山は、
地元の人たちから熱く
信仰されているそうだ。



そうそうこの山の名前だが、
面白い説がある。

ある時、海の水にこの山が浸されたあとに、
この山の木からタコを捕まえたところから
「タコ取り山」から来ている
という説がある。

昔の民謡と合わさった
ちょっとおかしなネーミング由来だ。



もうなんか足がやばくなるほど
強烈な上り坂を
うんうん上がっていくと、



ようやくこんな登山口のような
ところに出た。



はあはあ、しんどかったよ~



脳は大丈夫か、
心臓は元気か?
ついつい体の状態を
確認してしまいますなあ。

さあではここから山道を
上がっていきましょう。



ちなみに、リボン通りの道は
この山の頂上まで
続いているわけではありません。

途中の清水茶屋というところまでで
引き返すというか
下山していますからね。

途中、こんな神社や



石造、





小さなお堂なんかを



多くこえていきます。

そうしてやっとたどり着いたのが
清水茶屋です。



ここが高取山登山の重要な基点で、
こういった高取山登山回数の表
なんかが張られています。





多い人で2万回以上。
まいにちのぼっても
50年以上かかる多さです。

う~ん金剛山を思い出しますねえ。

登り口あたりに、
シュウカイドウの花が咲いているのも、



金剛山によく似ていますね。

ね~元気だったらビャーと
山頂まで走っていくんですがねえ。

高取神社はとても景色の
いい所らしいですよ。

また別の機会に行きましょうかね。

で、今回は地図通りに
ここから右の道を下っていきましょう。



ぐいぐいと下っていきますと、
町との境目あたりに
大きな鳥居が建っていましたねえ。



登れない人はここから
参拝しておくんでしょうねえ。

ま、この辺のところから
眺める景色も結構迫力ありますねえ。

さて、地蔵もたくさんある





信心深い道をさらに下っていきましょう。

あっ、手作りピザだって。
doironだって作りまっせー



この辺りでけっこうおなかが
すいてきましたので、
今回は持参している
お弁当を食べる場所を探しましょう。

続く


山麓リボンの道25 長田から

2017年11月01日 21時20分22秒 | ウォーキング

なぎさ海道を歩いたときに、
電車の中で阪神高速の神戸線が
まもなく工事中になるという案内を見ました。

うひゃあ、こりゃあ車で
あっち方面に行くのは
ちょっと混むやろなあ。
避けやななあと思っていたのです。

でもその工事が始まる前日、
気候も良さそうなので
「今のうちや」と思い立って、
久しぶりの神戸山麓リボン通りを
歩いてみようと出かけることにしたのです。

しばらくこっち方面には
いきにくいから今のうちにねという感じでね。

そんな神戸の街々をつないで
歩き回るリボン通りも、
これまでブログで24話を書きました。

八幡様が多かったですねえ。

なので今回は25番目の
ストーリーとなっています。

コース的には前回、今年の2月に
鵯越(ひよどりごえ)を超えて
長田まで歩いたので、
今回はその続きとなりますね。

まずは長田まで車で行き、
その駅の近くに駐車場を探し、
そこから歩くことにしましょう。

神戸に行くときは松ノ浜から
高速なので便利ですねえ。
それほど混んでいない
そんな湾岸線を降りて、
長田へ向かいます。
すいててよかったなあ。

まずは駅の近くの駐車場を探しましたが、
周りにはないですねえ。

どこかにないかなあと探しつつ、
少し周りをウロウロしますと、

あ、どうやら土曜日なので
この辺の小学校は運動会のようです。
なんか交差点近くに
たくさんの人がいますねえ。

で、そんな交差点を少し過ぎたところに
ちょうど一台分の駐車場がありました。

最大料金設定もある駐車場です。

ここにしましょう。

長田駅までは一キロほどありますけどね。
まあこんな距離も稼ぎましょう。
ナビをセットして、さっそく出発です。

人のたくさんいた交差点を超え、
しばらくアップダウンのある街中を
地図を見ながら歩いていきますと、

おお~この踏切が前回の最終地点です。



ここにこの道標がありました。



前回はこの道標のところで
左に曲がって駅へ行ったので、
今回は右に曲がる方向で、
続きのこんな道を歩いていきます。



このリボン通りは名所的というと
若干少ないコースなんですが、
ところどころでお寺や自然が見られます。

ここでも途中、明泉寺という
ところがありますので、
ちょっとコースを外れて
苅藻川の滝見橋を渡っていきましょう。





これが見えている滝のことかなあ



とか思っていたら、
そこからちょっと道を間違えて、
個人の敷地の中に入っていってしまいました。

「どこ行くん?」

と注意されてしまいましたよ。

「実はこのお寺を探しているんですが」
というと、そのおっさんは
はっきりわからないとのこと。

へ~こんな近所に住んでても
寺のことなんかはあまり
知らないものなんですねえ。

古そうな家だったのになあ。
どうやらこっちかなと道を修正して
進んでいき、右に少し曲がると



おお~こんな看板を見つけました。



なあんや、こんなん近所に住んでたら
すぐにわかるのになあ
と思ってしまいますねえ。

価値観の違いなんですかねえ。

で、その明泉寺にはいっていきます。
ここは、またまた出てきました
僧の行基が建てた寺で、



本尊も行基の作といわれていました。
しかし、その本尊の聖観音も
阪神淡路大震災で破損し、
いまは住職の師匠が彫っている
とのことだ。

また、ここは平知章の墓があるそうだし、





地元の墓も多く並んでいる。
地元のしっかりした寺院なのでした。

さあ、コースを外れてここに来たので、
また谷底を流れる苅藻川を渡って
向こう岸へ行かないといけません。

歩いていたら、谷底へ降りていく
道がありましたので
そちらに行ってみましょう。

すると、その谷底にこんな風呂屋がありました。



ひなびた感じでいいですねえ。
地元の人たちの愛される温泉なんでしょうねえ。

続く