ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

みちのくおっさん3人旅12

2017年11月22日 21時39分23秒 | 最近の出来事

瑞巌寺というのは俗称です。
正式名はというと
「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、
臨済宗妙心寺派に属しているそうです。

かつては比叡山延暦寺に
比肩される寺として
「延福寺」という名だったそうです。

その後いろんな経過を経て
今の名前になっています。

まあお寺も時代に合わせて、
いろんな変遷があるんですねえ。



ここの広い参道沿いには、
「復興地蔵堂」が作られていました。





瑞巌寺の中に入っていきますと、
ちょっと変わった感じのするのが、





こんな大きな磐をくりぬいた
お堂が結構ありましたね。
首Dさんがとても関心を持ってはりました。

でもねえ、doironは3度ほど
ここにきてるんですがねえ。
ちょっと印象が変わりましたねえ。
こんな感じやったかなあ。
なんか印象が仙台市内の
伊達政宗の墓「瑞鳳殿」と
かぶさってますねえ。

こ、これは脳梗塞のせいなんでしょうか。

お寺の施設内や宝物殿なんかも





しっかり眺めて、
まあここの観光はこんな感じですね。
土産物屋とか見学しつつ









そのあとは五大堂の方にも行きました。



松島が初めてのお二人には、
五大堂の先から見える



海の景色が印象的だったみたいですねえ。



それにしても、
ここも外人が多いですねえ。

五大堂には、海面が見渡せるような感じで
スケスケの橋が架かっています。



名前は「すかし橋」というのですが、
ここを渡るすれ違いのときに、
傘をよけようともしない
外国人も多かったなあ。
なんか自分さえよければ
それでいいみたいで不愉快でした。

ここは世界遺産という
わけでもないのになあ。

日本3景の一つみたいな
文句で売り出されているんですかねえ。

さあ、それではここの観光も
終わりです。
帰りの飛行機は夜おそい便で
ありますので時間があります。

そこで最後に、
あの東北の震災の後を
確認しに行きましょうと、
高速道路で空港も過ぎて
ずっと南の方の山元インターまで行きました。

そこから空港に向けて、
海岸線を移動していきましょう。

そのあたりに残っている村々も、
そこそこ復興は進んでいるようです。
でも過去の姿を知らないから
むつかしいところもあるのですが、
小学校から帰る子供が歩いていたり、
新築の新しい家が建っていたりします。

でも中には、津波を受けたままで
壊れたままの家も
ところどころに残っています。
たぶん住人はもう被害を受けて、
所有権がややこしくなっているような
家もあるんでしょうねえ。

以前、行ったところで
周りに家の基礎が
ずらーと並んでいるすごいところは、
一斉に開発され公園のように
なっていましたね。

慰霊の小山に登り、
じっくりと眺めてきました。



それにしてもこの辺の開発地には
パトカーが結構います。
あとで考えたら、
僕らが行った後
皇室関係の人の訪問もあり、
警戒していたんでしょうねえ。

海の家も何もない海岸線を走り、
現地の復興の気配を
感じた時間となりました。

さあでは空港へと向かいましょう。

ガソリンを満タンにした
レンタカーをまず返して
空港へと送っていただきます。



さあここではかねてから
計画していた牛タンの晩飯です。



米沢牛、蔵王牛、牛タンとまあ
贅沢な旅行に締めくくりです。

三人で牛タンをつつきながら、
飛行機待ちです。
それでもまだまだ時間もあったので、
空港の片隅で宴会が始まりました。



「今回は天気悪かったけど、
紅葉がたっぷり見れてよかったねえ」

「温泉がみんな豪華で最高やったね」

「旅館の飯もよかったけど、
選んだ昼飯もジャストミートやったねえ」

などといいながら、
今回の東北での最後のひと時を
過ごしました。

台風が何とか間に合うような感じで、
少し遅れた大阪便に乗り、
空港で飲んだお酒で熟睡し、
あっという間に関空についた
おっさん三人の旅。

これにておしまいです。

これで今回の旅行は終わりです。
しかしおっさん3人の
人生の旅は続いていくのです。

おしまい

さあて、明日から今秋の
ドジ旅日記が始まるよ。
今回はどんな陰謀との闘いか
場所はどこなのか
助っ人は誰なのか
お楽しみに~