よく勘違いしている人がいます。人々は平等に愛すべきだ、と怒りまくるグループの話です。生身の人間が愛に差別をしたくなくても、差別してしまう生物である真実に気づいていないようです。<何々運動>の動きは人類社会を豊かにし、かつ、その運動は必要なものですが、日常生活で面と向かって相手にもつと自分を愛してくれ、と叫んでも、無理な場合が沢山あります。鏡にむかって叫んでいる自分をみせてあげたい、愛してくれ、と叫ばれても無理なのです。そのように生身の人間が自然に振る舞えば、愛の深さ、質、大きさは当然違ってきます。そこに愛の孤独感がうまれ、 修行が始まり、人々は成長していきます。:<NPD8:愛の差別論:57-2>:
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