現在の世界人口が65億人とすると、愛の世界は65億通り存在しています。さて愛の世界が65億通りあると言う事は、どんなに仲が良い二人でも、愛し方、愛され方を思索する必要がある、と言う事です。さて、私が相手をどんなに愛しても、相手が迷惑ならば諦める必要があります。諦めどころの目安はどこにおくべきでしょうか?相手から愛されていて、どんどん迫られた場合に、どう対処すべきでしょうか?答えは<自己実現への道>。自分が悔いのない人生を歩んでいくその方向への同志ならば、とことん愛し合う価値がありますが、自己実現への道が違う場合は友達の範囲内に置くべきでしょう。<二人の愛の世界は同じであるべきだ>と勘違いすると悲劇がはじまります。どんなに愛し合つている二人でも、愛し、愛される方法が違う事を意識した方が確実に幸せになれます。時々、立ち止まり愛し愛される内容を二人で再確認しつつ生きていきたいものです。神仏との愛の世界も同じ事で、時々神様との愛を確認すべきでしょう:<NPD8:愛の差別論:57-4>:
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