生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大部、前ですが、私達のNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会が奈良京都への旅をしたことがあります。その理由について少々、解説をしたくなりました。今までこのブログで、奈良の神社仏閣を書いてきましたが世界各地にパワースポットでの色々の心理学的な現象も、この日本でも、何故、これらのパワースポットが癒しの場所として話題になるのか、その原因について思索していきます。まず、その定義ですが、ここでは「そこに立つと心が癒される場所」と定義しておきます。或人は癒されますが、或人はかえって、心が乱されます。何故でしょうか?この原因について暫く考えます。富士山が世界文化遺産に指定されましたが、その指定要件の一つに「富士山信仰」がありました。私はこの「富士山信仰」という精神文化を大事にしている世界遺産の条件に対して心から敬意を表しています。奈良京都の古来からある神社仏閣に立つと心が平安感に満たされる人、あまり感じない人、様々です。何故、パワースポットが生き甲斐の心理学で重要なのか、その理由を解説していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
東大寺の歴史は膨大なものですが、私は聖武天皇がこのお寺を建立するまでの行基との歴史を考えてみたいと思います。飛鳥奈良時代の仏教は天皇、貴族、豪族の独占のような香りがあり、魂の救いを必死で求める庶民には手に届かないようなものでした。行基という庶民派のお坊様が大勢の人々に愛され、聖武天皇があこがれるような素晴らしお寺・知識寺を河内に建ててしまいます。政府の力を借りないで、です。行基が庶民の力で見事に建立したのを見て、さてこそ、と何かを感じます。今まで権力側から迫害されていた行基を逆に活用する時代に変貌していきます。行基と庶民は旨い具合に聖武天皇に取り込まれていき、日本の宗教界も大きく変貌していきます。全国に国分寺がうまれ、日本人のアイデンティティ形成を形作っていきます。東大寺と日本人の性格形成は深い繋がりがあるようです。もののあわれ、甘えの構造、汚れと禊、恥の文化、わびさび、幽玄美、この6つの日本人のアイデンティティは現代人の幸福感とストレスのありようを支配しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を大事にしているか、していないか、その事自体が分からないのが普通です。仕事をして生きている人が前提ですが、自分で働き生き抜いている、その事自体、当然といえば当然の生き方ですが、そんな人生を生き抜く場合でも、自虐とまではいかなくても、自分を大事にする意味をしっかりと意識化しておく必要があります。解釈がよくないと、どんな幸せな環境にいましても不満だらけで、はたで観ていても何と我儘な人だろう、と思うのですが、本人は感謝する事もなく不満だらけ。文句ばかり言うのです。感謝する心がないようです。感謝をしない人を自虐性のあるタイプといってよいでしょう。キツイ言い方と思うでしょうが、自分を大事にする第1歩が感謝なのです。この愛と感謝の領域が生育史にないと、どんな難しい博士号を取得しましても自分を大事にする意味は不明のまま生きていく羽目になります。知識と体験の解釈は正比例しません。体験の解釈の上手な子供も沢山います、そのような子供達はどんな難しい場面に遭遇しましてもいつも明るく元気に生き抜いていきます。その理由は生育史での解釈の指導が本当に良かったのでしょう。体験の解釈はいつも明るく元気になるような解釈を努力していくと、身についてきます。考え方を変えるか、解釈をかえるかすると、世界が変わります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分で自分の首をしめる、という言葉があります。しかし、本人がその事を意識化出来ないと、多分、永遠にそうなるでしょう。いつも自分を苦しめるように、何故か生きていくのです。「自虐性の個性」といいますが、その原因は生育史にあります。自虐しないと心がおちつかないのです。自虐性があるかどうかのチェックポイントは沢山ありますが、自分で自己分析する時は、過去の思い出を二つ意識化してみます。一つは何とものんびりとして楽しく温泉に入って美味しい料理をいただいた時のような幸福な場面を思い出します。もうひとつは一番嫌な場面を思い出します。この両極端の場面から自分の心のありようを意識化する以外方法はありません。出来ればこの自己分析を「生き甲斐の心理学」のテキストを読みながら振り返るのです。特に第1章の自己愛のページを大事に読んで下さい。自虐性という領域は自己愛の領域ですので、自分を大切にする、という愛の意味を意識化しないと無理です。この自己分析を生き甲斐の心理学のベテランに聴いてもらいながら、自分で分析する手法を根気よく勉強して下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現場に立ちますと当然、何かを感じます。感じ方はその人の生育史の違いから全部違うと思いますが、私の場合は暖かいものを感じました。私の生育史からの独断と偏見で読みこんだ歴史書の気分そのままで御陵に立ったからでしょうが、とても気分が良くなったのを思い出します。聖武天皇は複雑な人物で光と陰の濃厚な天皇です。解釈はばらばらですが、日本の歴史では欠く事の出来ない天皇です。東大寺建立の天皇は現代にも大きな影響を与え続けています。その御陵に立つ時、実に大きな気を感じました。複雑な歴史はありますが、何故か私はこの御陵が好きです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年10月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
聖武天皇の皇后・光明皇后の自筆には「積善の藤家」と刻印されているそうですが、いつのころからか光明皇后は藤原氏が沢山の善行を積んでいるのでご加護下さいますようにと祈りを始めています。天然痘が流行し藤原不比等の4人の息子達が殆ど同時に死んだのは長屋王の祟りだ、と思ったようですし世間もそう感じていたようで、藤原氏の悪行の数々を物部系、蘇我系の旧支配階級の子孫は、どんな気持ちで藤原氏を考えていたのでしょう?光明子は、この贖罪意識を敏感に感じ取り、法華滅罪之寺を建立したばかりでなく、法隆寺の東院伽藍夢殿を建立したとの梅原猛学説もあります。さてこの法華寺には光明子がハンセン病患者の身体を洗ったと言われている「カラ風呂:現存の建物は室町時代のものらしい」がありますが、このお寺を訪ねた時、皆様は何を感じるでしょう?私も億万長者ならお寺を建てたい気分です。お寺を立てたら自分の魂が救われるような気分になるのでしょう。
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