風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

歴史秘話ヒストリア ~軍港・呉と戦艦大和~

2019-05-18 01:37:35 | テレビ

「あの戦艦大和を造った優れた日本海軍が最後は大真面目にこんなことを考える」

番組より。大和ミュージアムでボランティアガイドをされている兼森均さんの、人間魚雷「回天」についての言葉。大和も回天も呉で造られました。
あれほどの優れたアイデアと技術力をもって大和を造ることのできた同じ国が、戦局が悪化すると大真面目に回天のような兵器を造る。嘘のようだけれど、現実にあったこと。ということは将来再び起こりえないとは言い切れないこと。
子供の頃に回天について初めて知ったとき、狭く息苦しい鉄の塊の中で暗い海の底に一人沈んでいる恐ろしいイメージが頭から離れず、しばらく眠ることができませんでした。
同じく特攻兵器である「伏龍」についてテレビで知ったときは、あんな馬鹿げた無謀な作戦が国によって大真面目に研究されていたという事実がにわかには信じられなかった。訓練で命を落とした若者達があまりに哀れでやるせなく、しばらく重い気持ちをひきずりました(その訓練場は私もよく知る海岸でした)。

大和の最後についても同様です。
以下は生還者達の残した言葉。戦闘詳報は、戦闘直後に作成される報告書です。

生還者達は、この戦いをどのように書き記しているのでしょうか、…「参考事例(戦訓)」には、次のようなことが記されています。

戦況が行き詰まった際には、焦燥感にかられ計画準備に余裕がないということがしばしばであるが、特攻兵器を別として、今後残存駆逐艦等によるこの種の特攻作戦を成功させるためには、慎重に計画を進め、準備をできるだけ綿密に行う必要があり、「思ヒ付キ」作戦は精鋭部隊をもみすみす無駄死にさせてしまう、と書かれています。

また、大和を護衛した「第二水雷戦隊」の戦闘詳報では、作戦はあくまで冷静にして打算的でなければならない、いたずらに特攻隊の美名を冠して強引なる突入戦を行うのは失うところが多く、得るところは非常に少ない、と作戦そのものに対する厳しい批判が書かれています。…

4月7日の海戦の同日、後に戦争の幕引きを行う鈴木貫太郎内閣が誕生し、親任式が行われました。その親任式のあと、鈴木首相は控え室で大和の沈没を知らされたと言われています。

…4月30日、昭和天皇は、米内光政海軍大臣に対し下問され、「天号作戦ニ於ケル大和以下ノ使用法不適当ナルヤ否ヤ」と問われています。これに対し海軍人事局三戸壽少将と富岡第一部長は関係資料をもとに話し合い、「作戦指導ハ適切ナリトハ称シ難カルベシ」と結論付けました。…

そして、この作戦の4ヶ月余り後、日本は終戦を迎えることになります。

国立公文書館 アジア歴史資料センター

特攻が非人道的な決してあってはならない手段であることは大前提として、そういう多くの若者達の命を代償にするものであったにもかかわらず、その運用は場当たり的で計画性に乏しい「思ヒ付キ」作戦。なんだか今の日本の政治と重なるところがあるようで、気が重くなります。この根拠のない無責任な楽観性は日本人の国民性なのだろうか、と。こういう性質が変わらない限り、再び同じ道を歩み、同じ悲劇が繰り返されるような気がして仕方がありません。

番組の中の戦艦大和の製造と戦後の呉の場面には、宮崎監督の『風立ちぬ』を思い出しました。
優れた技術が人を殺すためではなく、人々の夢のために、幸福な生活のために使われる。そういう時代がずっと続いていきますようにと願ってやみません。私もできることを頑張ろう。

 戦争が終わった時には荒廃していた呉ですが、戦後早々にアメリカの企業から当時最大のタンカー建造を依頼されました。このことからも、呉の技術力、ひいてはその結晶の「大和」が海外でもどのように評価されていたか想像できます。大和建造の困難さとそれを克服した呉の技術者たちの優秀さと努力。やはり「大和」が呉の誇りとされるのは十分理解できます。

 しかし、一方で今も私の心を離れないのは『3300人もむざむざ戦場に行かして殺す命令を発する人は、どんな気持ちだったのだろう』という藤本黎時さんの言葉です。「大和」は特攻作戦の下、多くの将兵をともない海に沈みました。呉が造った悲劇の船はそれだけではありません。人間魚雷と呼ばれた「回天」。海軍と呉の関わりから起こった重い歴史的事実、悲しみもしっかり胸に刻みたいと思います。

 「技術」は人の暮らしを豊かにしますが、大きな殺傷力をもつ兵器も生み出します。戦争という、歴史と切り離せない恐ろしくも悲しい出来事によって「技術」が発達したという面は間違いなくあります。呉の町が、はからずも技術の光と影を体現していることにもやるせない気持ちになりました。

(井上あさひ  "世界の片隅"呉の奇跡

※NHKオンデマンド:歴史秘話ヒストリア「軍港・呉と戦艦大和“世界の片隅”の町 悲劇と復興

Comments (2)
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カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー

2018-05-08 21:31:41 | テレビ




絵画っていうのはただ単純に上手いとかどういう風に表現するかということじゃなくて、人間がどんな風に生きたかというのがどんな風に出るかによって、そのクォリティとか品質とか持久力とか何世紀も残るかどうかとかが決まるんだなということが、実感された感じがします。

(ヤマザキマリ)

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グレーテルのかまど

2018-05-07 23:01:27 | テレビ




私は愛情いっぱいに育ててもらったから 私自身もいつも幸せな気持ちを持って生きていられる
とてもうれしいし 感謝ですよね

(バレリーナ 森下洋子)

母に連れられ初めて観たバレエは森下さんのバレエでした
30年以上前のこと。

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世界一美しい星空の見える村 ~ニュージーランド星空紀行~ BSジャパン

2015-05-20 00:37:00 | テレビ




「本能で星空を美しいと思うということと、その星空が私達を生んでくれている、あるいはその星空の世界が私達の世界のスケールを遥かに超えた壮大な世界であるということ、その二つはなんか私達に他のものには代えられない感動を与えてくれている気がしています」

「(今回の撮影は)天候に恵まれなかった面もあるんですが、逆に雲と星空の対比とか、やはり夜空に現れるのは星だけじゃなくて雲だとか色んなものが現れますよね。単に星空だけを見るんじゃなくて、この地上の風景とか周りの空気感というものがとても印象に残りました。たとえばニュージーランドの空を再現するのであれば本当は星を見る上では邪魔な雲とか周りの景色の変化とか、もしかしたら風とか温度の変化とか、そういったものとセットになったときにはじめて「ああ、ニュージーランドの星空なんだな」と感じることができると思うので、僕はそういうその土地ならではの土地の感覚を表現することができたらいいなと思いましたね」

(プラネタリウム・クリエーター 大平貴之)





職場で鬱々する出来事があってかなり参っていたのですが、この番組とNZの思い出のおかげで少しだけ浮上することができました。。。 星空は心が洗われますね。。。

こちら↓は昨年の旅行で私が撮った写真@テカポです。
普通のコンデジの割に頑張ったと思いません笑?






で、こちら↓は一緒に行った友人が一眼レフで撮ったもの@クイーンズタウン郊外。
やっぱり一眼レフは違いますね^^;

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水谷豊、3人の“相棒”を語る

2015-03-12 10:29:08 | テレビ

どんな“相棒”と組んでも、杉下右京は変わらない。変化させようとも考えていません。なぜなら、右京は今を生きている人だから。人はその都度、その都度、出会った相手によって自然に変化していくもの。意識して変えるのではなく、自然な変化を期待しているのと、出会うんだったらいい人と出会いたいと思っています。
(水谷 豊)

って相棒、見たことないんですけど笑
寺脇さんも、ミッチーも、成宮くんも好きな俳優です~
水谷さんと伊藤蘭さんも、素敵なご夫婦ですよね

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2015年

2015-01-05 22:24:24 | テレビ

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします

年末年始は皆さまいかがお過ごしでしたか。
私はずーーーーーっと風邪で布団の中で過ごしておりました。。。
みゆきさんの紅白、素敵でしたねぇ~。
美輪さんも、もはや男も女も関係ない美輪さまという一つの生命体であることを再確認いたしました~。ぶらぼ~。
お二人の歌を聴きながら、あらためてアルカディアの舞台を思い出していました。
夜会を観てから、縁会2012-3のBlu-rayを買ったのです。この中でみゆきさんが「最後の女神」を歌われていました。
憶えていらっしゃる方も多いと思いますが、2008年11月に亡くなられた筑紫哲也さんのNEWS23のエンディングテーマだった曲です(1993-4年)。

以下は、筑紫さんが亡くなられたときにこのブログでご紹介させていただいた多事争論(NEWS23の中で筑紫さんが話をされていたコーナー)からの言葉です。
改憲の議論についても触れられていますので、新年を迎えるにあたって、6年ぶりにあらためて載せさせていただきますね。

そうそう、この年末は久しぶりに祖母と過ごしました。数年前に亡くなった祖父はシベリアの抑留者でしたが、祖母は東京で大空襲を経験しています。年を越しながら、遅くまで色んな話を聞きました。
今年は戦後70年。先日のニュースでは、今の20代の6割が戦争体験談を直接聞いたことがないそうです。


*****

弱者の問題として格差が捉えられ過ぎるのですが、そうではなくて「そういう人間は努力しないから悪いんだ」というような非常に非情な空気、とげとげしい空気がこの国に生まれていること、私はそのことの方が大きな問題だろうと思います。

そうやってお互いが険しい形で生きていく国を作るのであろうか、もう少し情のある国を作るのかどうか、これは今後の大きな課題であります。

(2006.9.19 筑紫哲也 News23  多事争論 「非情の国」)

*****

これから否応なしに憲法をどうするかという議論が始まりそうな雲行きでありますけども、憲法を改めるにしろ、そうしないにしろ、まず大事なことは何かと言えば、憲法に手をつけるということが大事(おおごと)だということであります。

それは、今の憲法がどうやって出来たかということを調べれば一目瞭然であります。若い歴史を知らない政治家はよく「これが占領軍の押しつけ憲法だ」などという簡単な事を言いますけれども、調べれば調べるほどそんなに単純な話ではありません。

例えば憲法の25条に「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文があります。これは占領軍が押しつけたものでも何でもありません。日本の民間学者が強硬に主張してこれを入れました。

それから今の教育制度、義務教育の制度も学校の先生達の強い要求によって26条、特に2項というものが入りました。そして、その当時の日本政府は終始、国民に主権を与えること。あるいは女性に参政権を与えることには抵抗し続けまして、天皇の地位が危うくなるということが分かって、初めて占領軍の要求に屈しました。

つまり、国民の側に当時の政府は立っていたわけではありません。にも関わらず、第9条については、その保守派のリーダーですら日本が敗戦の代償に理想的な、戦争をしない国を作るということについては、大変な情熱をその当時は感じていました。そういういろいろな事情があって出来た憲法であります。

スカートの丈を短くしたり、長くしたりするのとは理論が違います。どんな議論をこれから始めるにしろ、これが大事だということは、まず認識して始めたいものであります。

(2007.5.2 筑紫哲也 News23 多事争論 「大事」)

*****

 「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」

 日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

 今は週に1回、立命館大で講義し、あとは『源氏物語』を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。

 「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」

(2007年11月27日 筑紫哲也氏 インタビュー 毎日新聞)

*****

例えば、私が今年最大の出来事だと思っておりますサブプライムローンの話も癌と似ております。癌は元々は局部で起きた、自分の体の中で起きた事が全身に広がっていくわけでありますが、アメリカの低所得者向け住宅ローンという局部で発病したことが世界中に広がっていきました。

この出来事の最大の意味、教訓はこのところ日本を含めて世界中に支配的に呪文のように広がった1つの言葉。それが実は虚構=フィクションの上に成り立っていたという事を劇的に証明した事だと私は思っております。その言葉とは「自己責任」という言葉であります。

頭の良い人たちが金融工学の最先端のテクニックを用いて、それはサブプライムローンの債務担保の証券化というんですけれども、そうして起こした事が世界中に癌をいわば、ばらまいております。しかしながら、その責任を誰も取ろうとしないし、誰も取りようもありません。神様でしか責任の取りようもない事を含めて、何でもかんでも「自己責任」という事が世界中にすさまじい格差社会をつくりだしました。自分の能力がないから、あるいは努力が足りないから落伍するんだという形でそういう社会が正当化され、しかももっと悪い事には自分が原因でない事で起きた苦しい状況や弱者に対しても、大変情け容赦のない非常に冷酷な社会をつくりだしてしまいました。

私たちはこんな言葉の使い方から一刻も早く決別すべきです。そして、新しい年になって、私たちが目指すべきはもっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会。そういうものをどうやってつくるかということをこれから考え始めるべきだと私は思います。

(2007.12.24 筑紫哲也 News23 多事争論 「自己責任」)

*****

そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。

力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれています。

それを実際に、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。この18年間、人は変わったんですけど、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。

(2008年3月28日 筑紫哲也 News23 多事争論  「変わらぬもの」)

*****

「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて

 

最後の多事争論(2008年7月5日)


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Martin Luther King, Jr. - I Have A Dream 「私には夢がある」

2013-02-20 03:29:27 | テレビ

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin, but by the content of their character.

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。


(Washington, D.C., Autust 28, 1963)

肌の色で差別を受けてきた黒人の人達が今は黄色人種を差別する、という現状は非常に悲しいことです。
その裏には単純ではない事情や感情もあるのでしょう。
しかし、本人には全く謂れのない理由で他者から差別をされる痛みを誰よりも知っているのは、彼らではないのでしょうか。
それともその痛みは自分達だけの特別なもので、黄色人種は別だとでもいうのでしょうか。
キング牧師が命をかけて訴えたかったこと、変えたかったこと、行きたかった「約束の地」は、そんなものではなかったはずです。
また、黄色人種の間でも、同じ話です。
問題は、肌の色だけではありません。
「人格そのものによって評価される」、そんな世界に住むことが私の夢です。

※和訳はこちら(アメリカ大使館のサイト)

Martin Luther King - I Have A Dream



One day we will have to stand before the God of history, and we will talk in terms of things we've done. ……
It seems I can hear the God of history saying, "That was not enough! But I was hungry, and ye fed me not. …

(Washington, D.C., August 28, 1963)

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Martin Luther King's Last Speech: "I Have Been To The Mountaintop"

2013-02-20 03:28:57 | テレビ

二十世紀が終わる頃、TVでは激動の100年を振り返る番組がいくつも放送されていました。
なかでも特に秀逸だったのが、1995年にNHKが作成したドキュメンタリー『映像の世紀』。
私がキング牧師の最後のスピーチを初めて見たのは、このドキュメンタリーででした。
あのときTVから受けた衝撃は、今も忘れられません。
有名な"I have a dream"の映像は何度も見たことがありましたが、この映像を見たのはそのときが初めてでした。
キング牧師の1968年4月3日、暗殺される前日の演説です。
なんという表情でしょう。
なんという説得力でしょう。
演説を終えた後の、すべてを言い切ったというような、生き切ったというような、そんな姿も印象的でした。
キング牧師はこのとき39歳。
初めてこの映像を観てから18年。いつのまにか私もキング牧師の亡くなった歳に近づいてしまいました。
彼がその短い人生で成し遂げたことの重みを思うと、今の自分と比べて溜息が出ます。。。

アカデミー賞で映画『リンカーン』が話題になっているニュースを読み、久しぶりにこの映像を見たくなりyoutubeで検索したところ出てきたので、皆さんにも。
リンカーン。南北戦争の裏にあった事情は決して奴隷解放の綺麗事だけではなかったと言われていますが、そのあたりの部分が映画の中でどう描かれているかも、楽しみです。

※『映像の世紀』はNHKオンデマンドで観ることができます。ご興味のある方はぜひ。

Martin Luther King's Last Speech: "I've Been To The Mountaintop"



We've got some difficult days ahead. But it doesn't really matter with me now. Because I've been to the mountaintop. I don't mind.
Like anybody, I would like to live - a long life; longevity has its place.
But I'm not concerned about that now.
I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain.
And I've looked over. And I've seen the Promised Land.
I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the Promised Land. So I'm happy, tonight.
I'm not worried about anything. I'm not fearing any man.
Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord.

前途に困難な日々が待っています。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
神の意志を実現したいだけです。
神は私が山に登るのを許され、
私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、
ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

(April 3, 1968, at the Mason Temple in Memphis, Tennessee)

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The Adventures of Sherlock Holmes ~ITV Granada series & BBC radio series

2013-02-01 01:55:03 | テレビ

近所のツ〇ヤにGranada televisionのホームズシリーズが全巻揃っているのを発見し、歓び死にしそうです。
このオープニング!
何度観ても鳥肌モノ!
あぁ、Jeremy……(泣)

The Adventures of Sherlock Holmes (ITV Granada)



TVシリーズほど有名ではありませんが、このBBC radioシリーズ↓もかなりオススメですよ。
ホームズ&ワトソンの演技も素晴らしく、石畳を走る馬車の音から暖炉の炎のはぜる音、ティーカップの陶器の音まで、言うことなしの出来栄え。
映像はないのに、霧の街の様子や食べ物の匂いなどもはっきりと感じられちゃうからスゴイ。
イギリスのaudio bookは本当に侮れません。

The Adventures of Sherlock Holmes (BBC radio)



私はこの19世紀~20世紀初頭のロンドンの薄暗い雰囲気がたまらなく、ほんとにたまらなく好きで。。。
叶うものならBaker Street 221aに住んで、ワトソンとお友達になって、ホームズの日常の話なんかをいっぱい聞きたい(ホームズは絶対お友達になってくれないだろうから)。
ついでにロンドン留学中の漱石も、柱の陰からこっそり見たい(漱石も絶対お友達になってくれないだろうから)。
有名な話ですが、ホームズと漱石は同時代人なのですよ。
大英帝国の全盛期、ヴィクトリア朝の時代です。
ホームズは下宿の壁にヴィクトリア女王のVの字をピストルで撃ち、漱石は女王の葬列をハイドパークまで見に行っています。また漱石は、Baker Streetをしょっちゅうウロチョロしていました(師事していたクレイグ先生が住んでいたため)。
もちろんホームズはコナンドイルが生み出した架空の人物なわけですが、この事実(?)は両者のファンである私のような者のファン心理を非常に刺激するため、こんな小説まで書かれてしまったりしています。

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この国のかたち ~森光子さんと筑紫哲也さん~

2012-12-13 00:55:43 | テレビ

「今、時の流れが早いとよく聞きますが、それは平和だからです。
すごく辛いことが、もっといっぱい昔の日本にはありました。
でもそれを今の人たちに経験してくださいとは言いません。
ただ、それが癒されるような国が自分の国であるならば…少しはありがたいと思います。」

(森光子 ~追悼特別番組より)

この森さんの「癒されるような国」という優しい言葉は、筑紫哲也さんが生前に仰っていた「情のある国」という言葉にどこか通じるものがあるように思います。
たとえ戦争は起きていなくても、自己を顧みずに他者の批判ばかりしていたり、あるいは他者に対して異常なまでに無関心であったり、毎日膨大な量の食糧が廃棄される一方で餓死をする人がいたり、そして常に個々が孤独や不安を感じているような国は、決して「癒されるような国」とは言えない。

今日、ある事件の加害者の奥さんが今非常に苦しんでいるという内容のニュースに対して「そういう旦那を選んだ、そういう人生の決断をした自分自身の責任。誰も強制していない」というtwitterを見かけて、なんだかとても悲しい気持ちになりました。
確かにそれはそのとおりかもしれないけれど、現に苦しんでいる人間に対してなんて冷たい意見だろう、と。合理的ではあっても、情がない。
それを言っちゃあお終いでしょ、と思うのです。本人もこんな未来がくるとわかっていたわけではないでしょうに、それを自己責任と切り捨てるのは酷すぎる。
でもこういう考え方をする人は案外今の日本に多いのではないだろうか…とふと感じ、このお二人の言葉を思い出した次第です。
いつからこの国はこんな「冷たい国」になってしまったのでしょう。

「もっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会」、日本がそんなあったかい国になればいいなと、心から思います。

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