日が暮れたなら天を見なさい。絶えず動かない北極星は旅の道しるべになります。
世を渡る場合には誠の心が道に迷わぬための磁石になります。
曲がった道に入ったと不安になった時は自分の誠の心に問うてみなさい。
天が与えた良心はいつもあなたたちを導き、守ってくれることでしょう。
(秋山好古)
日露戦争で日本を勝利に導く活躍をした秋山好古は、その後陸軍大将、教育総監など軍の要職を歴任。
そして軍人最高の名誉職である元帥にならんとしていた65歳のとき、郷里の松山の知人から「松山北予中学(現松山北高等学校)で校長が不在となったので名前だけでも貸してほしい」と頼まれる。
しかし好古は「日本人は地位を得て退職すると遊んで恩給で食うことを考える。それはいかん。俺でも役に立てば何でも奉公するよ」と答え、名前だけ貸すことをよしとせず、故郷松山に移り住むことを決める。
重い糖尿病を患い歩行もままならなかったにもかかわらず、彼は家族を東京に残し、たった一人で生まれ育った城下の小さな生家に住んだ。
彼のこんな言葉が残っている。
「余が育成した優秀な士官の半数以上が旅順にて死んでしまった。今生きていれば沢山の良い将校が生まれていたとつくづく思う。未曾有の大勝利は国難に殉じた戦死者の賜物である。戦死者の遺族に対しお気の毒と存じ日露戦争後はつとめて独身生活をしている」
好古が校長として就任したのは大正13年。
第一次世界大戦に勝利した日本は、まさに軍国主義への道を突き進んでいた。
大正14年、政府は「陸軍現役将校学校配属令」を発する。
これにより軍事教練が必修科目となったが、好古は「生徒は兵隊ではない」と言い、軍事教練は最低限に抑えた。
また、学校職員が軍人時代の位や勲章の数などを尋ねたとき、「俺は中学校の校長である。以前の位階勲章など話す必要はない」と切り返したという。
北予中学の校旗に描かれているのは、北斗七星と北極星。
上にご紹介した言葉は、陸軍大将にまで昇りつめながら常に国際協調を説き、若者の教育に日本の未来を託した好古が、生徒たちに残した言葉。
淳さんにとって世界は広い。
あしには――深いんじゃ。
(NHKスペシャルドラマ 『坂の上の雲』より)
当時仕事が忙しく通しで見ることのできなかったこのドラマを、先日NHKオンデマンドでようやく見ることができました。
すごくよかった。。。
原作についての感想は以前ここで書いたとおりですが、ドラマの方は原作で気になったロジェストウィンスキーの描写部分が強調されておらず、一方で私の好きなシーン(子規の亡くなった夜に虚子が月明の句を詠む場面、ラストの雨の坂の場面etc)が非常に美しく映像化されていて、大満足でした。
脚本の野沢尚さんが執筆途中で亡くなられたのは大変残念でしたが、最後までとてもよくまとめられてあったと思います。
広瀬武夫のロシアのエピソードもよかったなぁ。
もっくんや菅野美穂ちゃんの演技も、相変わらず素晴らしかったし。
漱石は、はじめは「ちょっと違うんじゃ…?」って思いましたが、最後にはコレはコレでアリかも、と思えました。小澤征悦さん、好きなんですよ(笑)
香川照之さんの演技の素晴らしさは言うまでもなく。
原作のもつ清々しい空気がよく表現されていたドラマだったとおもいます。
それにしてもつくづく、司馬作品の映像化は出来のいいものが多いなぁ。
これまで映像化されたなかで個人的オススメは『新選組血風録』(原作:同名の小説と「燃えよ剣」)、『竜馬がゆく』、『蒼天の夢』(原作:「世に棲む日日」)です。
これに今回この『坂の上の雲』が加わりました。
ちなみに上記は、そのまま私の好きな司馬小説トップ4でもあります。
司馬さんは「坂の上の雲」の映像化を「戦争賛美と誤解される」との理由で最期まで許可しなかったそうですが、日本国民はそんな表面的な見方しかできない人間ばかりではないと思いますよ。天国で安心してくださっていていいです、司馬さん。
原作も、どんなに旅順陥落や日本海海戦のシーンが華々しく描かれていても、それが華々しければ華々しいほど、私の印象に残ったのはラストの悲しい眞之の姿でした。というかこの作品のどこをどう読めば「戦争賛美」になるのか逆に教えてほしいくらいです。
しかし一方で、そのような浅薄な読み方しかできない人達がいるのも、残念ながら事実なのでしょう。
このドラマ化にしても(原作にはなかった)反日的表現が入っていることばかりを声高にいう人達がいます。その情報を聞いたうえで私はドラマを観ましたが、あれのどこをどう観れば反日的なのか、、、。誤解を受けることを承知で言いますが、戦争という状況下ではああいうことは多かれ少なかれ実際に起きていただろうと私は思っています。日本人だけでなく、どこの国においても。
目に余るほどプロパガンダ的であったり悪質な描写ならともかく、そうでないのなら、もっとこの作品の本質に目を向けないともったいない。
司馬さんはいつだって「人はいかに生きるべきか」を描いていた作家だったと、私は思います。
そしてこのドラマは、そのテーマをじつによく表現していたと思います。
一度きりの人生を生きるひとりの人間として、日本人として、感じることの多いドラマでした。
私達はいかに生きるべきか、私達が生きるこの国をどんな国にしていきたいのか。
感情に任せるのではなく、しっかりと地に足をつけて、まずは学ぶべきことを自身で学び、自分の頭で考え、そのうえで主張すべきことは主張し、いい国のかたちをつくっていきたいものです。
子規のように、眞之のように、漱石のように、ひとりひとりが今できることを、着実にしていきましょう。
So high up in the air
With feathers bright and fair
No wealth nor power can make
My heart filled with such joy
Want to spread my wings and fly
Away into the sky
How I dream to be so free
No more sadness no more pain
No more anger no more hate
How I dream to have those wings and fly into the sky
("Wings to Fly")
前々から観よう観ようと思いつつ先延ばしになっていたハイビジョン特集「天空のアクロバット ~ブルーインパルスの男たち~」(2010年1月放送)を、NHKオンデマンドでようやく観ることができました。
昨年息子さんが自衛官を目指してる職場のパートさんと世間話をしていたときに入間航空祭をオススメされまして。いつか一度は見たいと思っていたブルーインパルスをいい機会だから見に行ってみようと気軽に行ってみたところ、言葉を失いました。人混みにも言葉を失いましたが^^; 、そのカッコよさに。
人生で見たカッコいいものベスト3が書き換えられた瞬間でございました。
あのパフォーマンス。芸術としか言いようがありません。エンジン音もカッコいい!
カッコいいものは無条件にカッコいいのだと痛感。
そして大空を飛ぶ鳥みたいで、本当に気持ちよさそうだった。
でも見ている方は気持ちいいけれど、パイロットたちはとても真剣に操縦しているのでしょうね。
またあんなに完璧に飛んでいた彼らも、最初からそれができていたわけではなく、大変な訓練を乗り越えて出来るようになったのだとこの番組を見てわかりました。
このハイビジョン特集、素晴らしかったです。
隊長の山口氏がブルーインパルスを去るときに言った「楽しいと思ったことは一度もありません。遊びじゃないからです。寂しいという気持ちはまったくありません。もう十分やってきました」という言葉が印象的でした。
そしてブルーインパルスの隊長は代々言葉を残していく慣例があるのですが、彼の残した言葉は、『心』。
自衛隊やブルーインパルスのようなものからは最も遠い言葉のようですが、命の危険を常に伴う極限の世界で仕事をしている彼らにとって、実はそれは何よりも大切なものなのかもしれないな、と思いました。
きっと彼らだけでなく、いつ何が起こるかわからないこの時代に生きる私たちにとっても。
この番組が放送されたのは震災前ですが、今見ると、泣きそうになります。
ブルーインパルスの本拠地が松島であることを思い合わせると、なおさら。
ラストのスーザン・ボイルの歌声も涙が出るほど美しくて、本当によくできたドキュメンタリーでした。
なので、この番組自体は大変すばらしかったのですが、最後に自衛隊の広報さんに一言だけ言わせていただきたい。
最近の自衛隊の宣伝方法、少々やりすぎじゃありませんか・・?
電車の中のテレビで見かける、自ら“クールな自衛隊”を売りにしているCMにちょっと疑問を感じます。
世間が彼らをカッコいいと騒ぎ立てる分には度を越さなければノープロブレムですが、“カッコいいからみんな自衛隊に入ろう!”的に若者を集めるやり方は、どうも違うんじゃないかとおもいます。
とはいえ若者がみんな自衛隊に入るのを嫌がるようになってしまったら、そのときは徴兵システムにせざるを得ないのでしょうし、難しいですね。。。
★★★
こんなのもどうぞ↓
トップガンの曲、めちゃくちゃ合いますねー。
パイロットの皆さんも、自然体でいい雰囲気。仕草も言葉使いもハキハキしていて綺麗で、こういう人達って見ていて気持ちいい。
山口隊長はやっぱり素敵な方ですね。
そしてキムタク。ファンではないけど、ちょっと尊敬。。すごいなぁ、この平常心。
私も乗ってみたいけど、絶対にムリだわ。
普通の飛行機でさえ全くダメだし・・・(飛行機恐怖症の旅行好きという困り者)
私には、はじめにシベリアがあった。この体験や記憶を再現することはできないが、ここにあった絶望こそ、私を何かに目覚めさせるきっかけとなった。生死を超えるこの世界で知った、人間を人間たらしめている根源的な力こそ、私を突き動かすものである。
(宮崎 進)
先週の日曜美術館は、シベリアの抑留体験をキャンバスに刻み続けた88歳の画家・彫刻家 宮崎進さんの特集でした。
絶望、鎮魂、そしてその底から生まれる希望を描く宮崎さんの言葉を、ここにご紹介したいと思います。
捨て犬のように兵達は俘虜になった。生きることだけを考える虚ろな日々は、立つか、しゃがむか、うろうろするばかりだった。
およそ60万人の日本人がシベリアへ連行され、6万人近い人々が命を落としたシベリア抑留。
一昨年に亡くなった私の祖父も、シベリア抑留者でした。
もうすぐ私達は65回目の終戦記念日を迎えます。
この時期各テレビ局で様々な戦争関係の番組が特集されます。
戦争を経験した人々が年々減ってゆき、戦争の悲惨な記憶が薄らいでゆくなか、様々な企画展があちこちで催されています。
一年のうちのこの数日くらいは、「戦争」というものとじっくり向き合ってみるのもいいのではないでしょうか。
媚とかへつらいとかそういうものはいらないですよ。自分自身でありたいと思う。人間ひとりひとり、そのままで、ありのままでありたいと、そういう風に思うんですけどね。
子供の頃は 木々の間を流れる風が見えたし
そよ風の中に歌が聴こえたわ。
私の名前を呼ぶ歌があったのよ。
子供じゃなくなってからは 挫折の味を知ってしまった。
すべてが再び巡ってくることを ようやく信じられるほど大人になった。
そう 今 私はここにいる。
私は自由だとやっと言える。
もしその問いが私をここまで導いたのなら
私は生きるべき生き方をしている。
(宮崎さんが好きなSuzan Boyleの"Who I Was Born To Be"の歌詞)
やっぱり自由というところにすべてをかけているところがいいですよ。
そういう風にありたいと思います。
自分は自分としての生き方があるはずなのに、それが見つからないもんだから、うろちょろ、うろちょろしているわけでしょう。
自分の生き方を見つけ出して、そのように生きたいと思うのが普通ですよね。
いつか、そこに見えてくる不思議なもの。やって来るかもしれないし、何も来ないのかもしれない。ただそのことのために仕事をする。自然に、心のままに。ただ、あるようにありたいのである。
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
(太宰治 『グッド・バイ』作者の言葉)
お久しぶりでございます。
すっかりご無沙汰で、それでも毎日多くの方にご訪問いただき、本当にありがとうございます。
みなさま、お元気でしたか?
春、ですねぇ^^
上の引用は、太宰の未完の遺作『グッド・バイ』、作者の言葉より。
“或る先輩”とは皆さんご存知のとおり井伏鱒二で、原文は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」。
ここでいう“花”はやっぱり桜、なんでしょうかね・・・?
中国だと違うのかな?
桜以外に考えられない私は、つくづく日本人。
さて。
今回更新しましたのは、例によって皆さんにオススメしたいものがあるからです。
先月深夜にTBSテレビで放映されていた『BUNGO -日本文学シネマ-』。
観られた方も多いかもしれませんが、太宰、芥川、谷崎、森鴎外、梶井基次郎の短編小説をショート・ドラマ化したものです。
昨年12月に訪れた斜陽館が撮影に使われたと聞いたのでDVDに録画しておいて、それを先日観たのですが。
うーん、すばらしい出来。。。
最近の近代文学の映像化、ほんとうまいねー。
もっとも、芥川の「魔術」と、梶井基次郎の「檸檬」はちょっと微妙・・・でしたが。残り4つはとても良かった!
特に太宰の「グッド・バイ」、めっちゃいい。
未完のあれをあんな風に纏めちゃうなんて、制作スタッフ、ぐっじょぶすぎる。
山崎まさよしも、すごくよかった。
女にだらしなくて、優しくて、身勝手で情けない男がぴったり。
別れる女性に告げる「グッド・バイ」の言い方も、どういう風に言うのかな~と思っていたら・・・、おお、そう言いましたか。すごくいいじゃないの。
ラストの終わり方も大好き。明るいラストと、これを最後に太宰が死んだ事実と、山崎まさよしの「ア・リ・ガ・ト」の歌詞とで、あったかいような、切ないような、悲しいような、でも人生ってやっぱりそんなに悪くもないなっていうような、不思議に前向きな感じが残って。
あと、お酒を飲むシーンでお店の看板がさりげなく「ル・パン」!ファンサービスばっちり。エンドクレジットの映像もル・パンの太宰の写真と同じだし。やるなぁ。
一部地域はこれから放送のようですし、DVDも発売されるようなので、まだ観ていなくてご興味のある方はぜひぜひオススメです^^
そうそう、テーマ曲(いきものがかり「真昼の月」)も、とてもよかったですよ。
それではみなさん、また次回の更新でお会いしましょう。
「さよならだけが人生」という訳は私はあまり好きではありませんが、どんな関係にもいつか“必ず”さよならは来る、それだけは真実です。
だからこそひとつひとつの出会いを、繋がりを、大切に生きなければならないのだと思います。
春はそんなことを改めて思い出させてくれる季節です。
「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」
日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」
今は週に1回、立命館大で講義し、あとは『源氏物語』を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」
(筑紫哲也氏 インタヴュー 2007年11月27日 毎日新聞)
昨年末、友人が癌の手術を受けました。
勉強家で、多趣味な、一緒に旅行も行ったりする、とても気の合う友達です。
これまでは、このままずっとおばあちゃんになっても同じようにわいわいやっているんだろうなーと当たり前のように想像したりしていたので、癌になった後、その友人が自然に口にした「5年生存率」とか「再発可能性」という言葉に内心どきっとしました。
彼女が先かもしれないし、私が先かもしれない。
明日かもしれないし、50年後かもしれない。
残された時間がどれだけなのかは誰にもわからないけれど、ひとつだけ確かなことは、誰にとっても、時間は有限だということ。
誰ひとりとして、例外はないということ。
どんなに長くてもせいぜいあと数十年。
それなら、怒ったり嘆いたり卑屈になったりするよりは、できるだけ楽しく、素直な、明るい気持ちでいたいものだと思います。
ところで、この『源氏物語』は、ご友人の瀬戸内寂聴さん訳のものでしょうか。
私は昔与謝野晶子訳で挫折したので、瀬戸内訳で再チャレンジしてみようかしら。
、、、、、、ていうか、思い出した。
本棚、もう本が1冊も入らないのだった。
、、、図書館で借ります、、、(T T)
そだ、もひとつ。
新渡戸稲造。
みなさま、5000円札の顔にもなったこの人、どんな人かご存じでしょうか?
はずかしながら、わたしはずっと名前くらいしか知らなくて、むかし岩手を旅行したときに記念館のようなところへ行って、そこではじめて興味を持ったんですよ。
大学入試で面接官から将来の希望を聞かれて、「太平洋の橋となりたい」と言った人。
百姓みたいな名前と『武士道』なんて右ちっくな著作タイトルからはかけ離れた、とてもグローバルな生き方をした人です(『武士道』もなんと英文で書いています)。
これから否応なしに憲法をどうするかという議論が始まりそうな雲行きでありますけども、憲法を改めるにしろ、そうしないにしろ、まず大事なことは何かと言えば、憲法に手をつけるということが大事(おおごと)だということであります。
それは、今の憲法がどうやって出来たかということを調べれば一目瞭然であります。若い歴史を知らない政治家はよく「これが占領軍の押しつけ憲法だ」などという簡単な事を言いますけれども、調べれば調べるほどそんなに単純な話ではありません。
例えば憲法の25条に「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文があります。これは占領軍が押しつけたものでも何でもありません。日本の民間学者が強硬に主張してこれを入れました。
それから今の教育制度、義務教育の制度も学校の先生達の強い要求によって26条、特に2項というものが入りました。そして、その当時の日本政府は終始、国民に主権を与えること。あるいは女性に参政権を与えることには抵抗し続けまして、天皇の地位が危うくなるということが分かって、初めて占領軍の要求に屈しました。
つまり、国民の側に当時の政府は立っていたわけではありません。にも関わらず、第9条については、その保守派のリーダーですら日本が敗戦の代償に理想的な、戦争をしない国を作るということについては、大変な情熱をその当時は感じていました。そういういろいろな事情があって出来た憲法であります。
スカートの丈を短くしたり、長くしたりするのとは理論が違います。どんな議論をこれから始めるにしろ、これが大事だということは、まず認識して始めたいものであります。
(2007.5.2 筑紫哲也 News23 多事争論 「大事」)
国家の横暴から国民の権利を守るのが憲法。
そこにうたわれているのは私たち一人一人の権利です。
憲法改正(改悪?)は法律改正とは異なり、国民投票です。
是とするか否とするか。
投票日直前におろおろすることのないよう、まちがっても棄権なんてことにならないよう、普段からすこしずつ勉強しておかなきゃなぁとおもいます。
以下には、前文、9条、97~99条をご紹介。
ほかの条文については、こちらのホームページなどで見ることができます。
■前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
■第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
■第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
弱者の問題として格差が捉えられ過ぎるのですが、そうではなくて「そういう人間は努力しないから悪いんだ」というような非常に非情な空気、とげとげしい空気がこの国に生まれていること、私はそのことの方が大きな問題だろうと思います。
そうやってお互いが険しい形で生きていく国を作るのであろうか、もう少し情のある国を作るのかどうか、これは今後の大きな課題であります。
(2006.9.19 筑紫哲也 News23 多事争論 「非情の国」)
例えば、私が今年最大の出来事だと思っておりますサブプライムローンの話も癌と似ております。癌は元々は局部で起きた、自分の体の中で起きた事が全身に広がっていくわけでありますが、アメリカの低所得者向け住宅ローンという局部で発病したことが世界中に広がっていきました。
この出来事の最大の意味、教訓はこのところ日本を含めて世界中に支配的に呪文のように広がった1つの言葉。それが実は虚構=フィクションの上に成り立っていたという事を劇的に証明した事だと私は思っております。その言葉とは「自己責任」という言葉であります。
頭の良い人たちが金融工学の最先端のテクニックを用いて、それはサブプライムローンの債務担保の証券化というんですけれども、そうして起こした事が世界中に癌をいわば、ばらまいております。しかしながら、その責任を誰も取ろうとしないし、誰も取りようもありません。神様でしか責任の取りようもない事を含めて、何でもかんでも「自己責任」という事が世界中にすさまじい格差社会をつくりだしました。自分の能力がないから、あるいは努力が足りないから落伍するんだという形でそういう社会が正当化され、しかももっと悪い事には自分が原因でない事で起きた苦しい状況や弱者に対しても、大変情け容赦のない非常に冷酷な社会をつくりだしてしまいました。
私たちはこんな言葉の使い方から一刻も早く決別すべきです。そして、新しい年になって、私たちが目指すべきはもっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会。そういうものをどうやってつくるかということをこれから考え始めるべきだと私は思います。
(同 2007.12.24 「自己責任」)
今の世紀がはじまった頃、21世紀は「心の時代」になるだろうと言われていました。
「物の時代」だった20世紀と対比した言葉です。
うつ病患者も自殺者数も減る気配はなく。
ヴァーチャルな世界はどんどん広がっているのに、生身の人間同士のつながりは希薄になってゆくばかり。
まさしく「心の時代」です。
人と人との関係がいやでも密だった昔ならいざ知らず、今の時代、心は、放っておいたら枯れてしまいます。
枯れてからじゃ、遅いんです。
よほど強く生まれついていれば別でしょうが、はたしてこの世界にそんな人がいるんでしょうか。
このブログのサブタイトルにも通じますが、そんな人、私はいないと思っています。
人と人とのつながりも、心と心のつながりですから、同じです。
水をあげないと、枯れてしまう。
人と人とのつながりが作るのが、社会です。
まえに命の別名を心だと歌った中島みゆきさんの歌をご紹介したことがありましたが、その歌が主題歌だったドラマが野島伸司さん脚本の『聖者の行進』です。
ちなみに私、ドラマは全編は観ていません。何回かは観ましたが、その際どすぎる描写は観るに堪えなかったのです(なので小説で読みました)。
ですが、これは、現実です。ほとんどの人が興味を示さない分野の現実です。
依然として彼らのような人間の受け皿が圧倒的に不足している現実。(障害者に限らず)弱者に無関心な、弱いことに責任があるかのような考えが蔓延している社会。
ご都合主義に見える非現実的なラストは一連の野島作品に共通していることで、この作品に関していえば、野島さんのメッセージだと思います(他の作品についてはなんともいえないものもある。。。)。「パンドラの箱の底には希望が残っている」と、私も信じたいです。
ただ、これも野島作品に共通することですが、学生の集団心理の描写は極端すぎました。エリート校か否かにかかわらず、実際にいじめがこれだけ蔓延しているんですから誰一人救いの手を差し出さない現実は理解できますが、それでもそこに残る良心は、一律では言えないはず。
でも、それでもなお、意義あるドラマだったと思います。この頃の野島作品、すきだったんだけどなぁ。。。以下にご紹介するのは、ある老弁護士のことば。
ちなみにこの老弁護士、ドラマではいかりや長介さんが演じていました(長さん、、、;;)。
「強くなることはないです。弱い自分に苦しむことが大事なことです。人間は元々弱い生き物なんです。それなのに、心の苦しみから逃れたくて強くなろうとする。誰か自分より強いものにすがろうとする。言葉を真似し、ファッションを真似する。自分をなくすんです。強くなるというのは鈍くなるということです。痛みに鈍感になるということです。自分の痛みに鈍感になると人の痛みにも鈍感になる。所詮は錯覚なのですが……。強くなったと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感で優しさや思いやりを失う。いいんですよ、弱いままで。自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。人間は弱いままでいいんです。いつまでも……。弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい」
(野島伸司 『聖者の行進』)
「論」も愉し
近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也
(Web多事争論 公開に寄せて)
そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。
力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれています。
それを実際に、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。この18年間、人は変わったんですけど、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。
(News23 多事争論「変わらぬもの」 2008年3月28日)
2007年5月、筑紫哲也さんはNews23で癌を告白されました(番組を見た夜に書いたブログはこちら)。
筑紫さんが亡くなったことはロンドンで知りました。
筑紫さんが亡くなられたときには特番があったでしょうし、多くの方がブログも書かれた思うので今更だとは思いますが、私なりに思うことなどを少し書いてみようと思います。
起業家とジャーナリストを比べるのもなんですが、Steve Jobs氏のようなスピーチもすごくいいけど、筑紫さんの話し方を見ていると、日本人独自の魅力というものはちゃんとあるなぁと思います。
いい意味での真面目さとか、誠実さとか、穏やかさとか。
プレゼンテーションはもちろん上手にこしたことはありませんが、最後に意味を持つのは結局は人間性ですよね。
その人がどういう人生を歩んできたか、どういう風に生きているか、どういう意見を持っているか。
Jobs氏にしろ、筑紫さんにしろ、その言葉に説得力があるのは、努力と知識、経験に裏付けされた、ぶれない自分の意見をきちんと持っているからだと思います。
私は、同じ2007年にこんなブログも書きました。
ただの本の感想文ですが、その余談で、ある元国連大使の方が言っていた言葉をご紹介しました。
もう一度、ここに載せておきます。
政治のこと、経済のこと、日本のこと、世界のこと、もっとちゃんと知りたいなぁとあらためて思ったりしています(好きなのでつい文学ばかり読んじゃうんですけどねぇ)。
「大切なのは自己のアイデンティティを持つことである。アメリカ人と同じように流暢な英語を話し、同じような価値観を持つことは要求されてはいない。自国に対する認識をしっかり持って初めて彼らと同じテーブルを囲むことができる」
「日本人として、一人の人間として、自分の意見をいつもはっきり持つこと。そうでなければ、これから日本人が立っていく国際社会の舞台で意見を言うことはできない」
死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準となる最も大切なことです。
何故ならほとんど全て、外部からの期待やプライド、恥や失敗への恐れ、これらは死によって一切なくなるのです。
あなたが死を意識することが、失うことを恐れない最良の方法なのです。
あなたたちは既にありのままなのです。
思うままに行動しない理由はないのです。
……
今、新しきは君たちです。
しかし、そう遠くない未来に君たちも古きものとなり消えていきます。
とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、それは全くの真実なのです。
君たちの時間は限られている。
だから無駄に誰かの人生を生きないこと。
ドグマに捕われてはいけない。それは他人の考え方と共に生きるということだから。
他人の意見というノイズによって、あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。
最も大事なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持つことです。
それら内なる声、心、直感はどういうわけか君が本当に何になりたいか既に知ってるのです。
それ以外のものは、二の次でいい。
(Steve Jobs' Commencement address @ Stanford University)
これが昨日You tubeで探してたインタヴュー、じゃなくてスピーチ。
2005年に、アップル創始者のSteve Jobs氏がスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。
有名なスピーチのようなのでご存じの方も多いかもしれません。
昨日の話題とすこしかさなっているので、ご紹介してみました。
ちなみにうちの子は林檎じゃなくて窓です(笑)
いいスピーチです。
個人的には、「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」と毎朝鏡を見て自問自答するというのはすこしやりすぎな気もしますが。。
本を読んでてもテレビを観てても落ち着かない気分になっちゃいそう。。
「ちょっと読んでみたい本だけど、人生最後の日でも読みたいかといわれたら、それほどでもないかも。。。」とか。
一見無駄なことから意外な宝石が出てきたりするしなぁ。
ま、そういうちょっと無駄に思えることをするときも、ただするんじゃなくて、ちゃんと覚悟をもってしろっていうことかもしれませんね。
これからは昼寝するときも「これが最後の日でも後悔しない?」「うん、しない!」って感じで昼寝してみようかと思ったり思わなかったり(けっきょく昼寝はする)。
それにしても、アメリカ人のプレゼンテーションのうまさにはほんと感心です。
Stay Hungry. Stay Foolish.
カッコイイ。
Steve Jobs' Commencement address @ Stanford University (2005)
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Text(英語)→click!