風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

2015年

2015-01-05 22:24:24 | テレビ

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします

年末年始は皆さまいかがお過ごしでしたか。
私はずーーーーーっと風邪で布団の中で過ごしておりました。。。
みゆきさんの紅白、素敵でしたねぇ~。
美輪さんも、もはや男も女も関係ない美輪さまという一つの生命体であることを再確認いたしました~。ぶらぼ~。
お二人の歌を聴きながら、あらためてアルカディアの舞台を思い出していました。
夜会を観てから、縁会2012-3のBlu-rayを買ったのです。この中でみゆきさんが「最後の女神」を歌われていました。
憶えていらっしゃる方も多いと思いますが、2008年11月に亡くなられた筑紫哲也さんのNEWS23のエンディングテーマだった曲です(1993-4年)。

以下は、筑紫さんが亡くなられたときにこのブログでご紹介させていただいた多事争論(NEWS23の中で筑紫さんが話をされていたコーナー)からの言葉です。
改憲の議論についても触れられていますので、新年を迎えるにあたって、6年ぶりにあらためて載せさせていただきますね。

そうそう、この年末は久しぶりに祖母と過ごしました。数年前に亡くなった祖父はシベリアの抑留者でしたが、祖母は東京で大空襲を経験しています。年を越しながら、遅くまで色んな話を聞きました。
今年は戦後70年。先日のニュースでは、今の20代の6割が戦争体験談を直接聞いたことがないそうです。


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弱者の問題として格差が捉えられ過ぎるのですが、そうではなくて「そういう人間は努力しないから悪いんだ」というような非常に非情な空気、とげとげしい空気がこの国に生まれていること、私はそのことの方が大きな問題だろうと思います。

そうやってお互いが険しい形で生きていく国を作るのであろうか、もう少し情のある国を作るのかどうか、これは今後の大きな課題であります。

(2006.9.19 筑紫哲也 News23  多事争論 「非情の国」)

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これから否応なしに憲法をどうするかという議論が始まりそうな雲行きでありますけども、憲法を改めるにしろ、そうしないにしろ、まず大事なことは何かと言えば、憲法に手をつけるということが大事(おおごと)だということであります。

それは、今の憲法がどうやって出来たかということを調べれば一目瞭然であります。若い歴史を知らない政治家はよく「これが占領軍の押しつけ憲法だ」などという簡単な事を言いますけれども、調べれば調べるほどそんなに単純な話ではありません。

例えば憲法の25条に「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文があります。これは占領軍が押しつけたものでも何でもありません。日本の民間学者が強硬に主張してこれを入れました。

それから今の教育制度、義務教育の制度も学校の先生達の強い要求によって26条、特に2項というものが入りました。そして、その当時の日本政府は終始、国民に主権を与えること。あるいは女性に参政権を与えることには抵抗し続けまして、天皇の地位が危うくなるということが分かって、初めて占領軍の要求に屈しました。

つまり、国民の側に当時の政府は立っていたわけではありません。にも関わらず、第9条については、その保守派のリーダーですら日本が敗戦の代償に理想的な、戦争をしない国を作るということについては、大変な情熱をその当時は感じていました。そういういろいろな事情があって出来た憲法であります。

スカートの丈を短くしたり、長くしたりするのとは理論が違います。どんな議論をこれから始めるにしろ、これが大事だということは、まず認識して始めたいものであります。

(2007.5.2 筑紫哲也 News23 多事争論 「大事」)

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 「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」

 日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

 今は週に1回、立命館大で講義し、あとは『源氏物語』を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。

 「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」

(2007年11月27日 筑紫哲也氏 インタビュー 毎日新聞)

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例えば、私が今年最大の出来事だと思っておりますサブプライムローンの話も癌と似ております。癌は元々は局部で起きた、自分の体の中で起きた事が全身に広がっていくわけでありますが、アメリカの低所得者向け住宅ローンという局部で発病したことが世界中に広がっていきました。

この出来事の最大の意味、教訓はこのところ日本を含めて世界中に支配的に呪文のように広がった1つの言葉。それが実は虚構=フィクションの上に成り立っていたという事を劇的に証明した事だと私は思っております。その言葉とは「自己責任」という言葉であります。

頭の良い人たちが金融工学の最先端のテクニックを用いて、それはサブプライムローンの債務担保の証券化というんですけれども、そうして起こした事が世界中に癌をいわば、ばらまいております。しかしながら、その責任を誰も取ろうとしないし、誰も取りようもありません。神様でしか責任の取りようもない事を含めて、何でもかんでも「自己責任」という事が世界中にすさまじい格差社会をつくりだしました。自分の能力がないから、あるいは努力が足りないから落伍するんだという形でそういう社会が正当化され、しかももっと悪い事には自分が原因でない事で起きた苦しい状況や弱者に対しても、大変情け容赦のない非常に冷酷な社会をつくりだしてしまいました。

私たちはこんな言葉の使い方から一刻も早く決別すべきです。そして、新しい年になって、私たちが目指すべきはもっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会。そういうものをどうやってつくるかということをこれから考え始めるべきだと私は思います。

(2007.12.24 筑紫哲也 News23 多事争論 「自己責任」)

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そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。

力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれています。

それを実際に、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。この18年間、人は変わったんですけど、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。

(2008年3月28日 筑紫哲也 News23 多事争論  「変わらぬもの」)

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「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて

 

最後の多事争論(2008年7月5日)


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