風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『夫婦善哉』

2020-05-15 14:55:38 | テレビ




年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。
(織田作之助 『夫婦善哉』)

お久しぶりでございます。生きています。
引き続き在宅勤務続行中ですが、なんか仕事が忙しい。いい加減在宅ではどうにもならなくなって、月曜日は会社に頼み込んで一日だけ出勤させてもらいました。まさかこのワタシが出勤を懇願する日がこようとは(でも基本は在宅がいい)。
一方、巣ごもり生活中の見逃しドラマ視聴プロジェクトも続行中です。
第三弾は、『夫婦善哉』(2013年)。
漱石悶々』と同じ藤本有紀さんによる脚本です。

原作は、織田作之助の小説。
今回知ったのですが、この小説は2007年に続編(別府編)の原稿が発見されていて、現在は完全版が出版されているんですね。私が持っているのはそれ以前に出版されたものなので、続編は未読です。
上の文章は、本編『夫婦善哉』の冒頭です。
ちなみに同じく織田作之助の『アド・バルーン』の冒頭は、こう。

その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。

今回久しぶりにこれらの小説を読み返して、私は感じた。
コロナによって次々と企業が倒産し、次々と人が失業し、先行き不安だらけの今の日本。
「こんなときこそオダサク」、と。
織田作の主人公達は、気持ちがいいほどお金がありません。どころかマイナスなくらい。稼いでもすぐになくなってしまう。
でもどんなときでも、彼らに悲愴感はないのです。自殺しようとするような深刻な状況になっても、そこにあるべきじめじめとした悲愴感が不思議と感じられない。いつもどこか明るい。
その理由は、そういう生活が彼らの境遇による以上に、その性格によるからでしょう。ふわふわふわふわ安定を欠く生活は実は彼ら自らそういう生き方を選んでいるのであり、それを自分達も自覚している。
読み終わって印象に残るのは、人生の意味がどうとかいうよりもまず、なにはともあれ彼らが一日一日を生きているということ。
お金を稼いだり失ったりしながら、希望を持ったり絶望したりしながら、誰かを想ったり憎んだりしながら、笑ったり怒ったり泣いたりしながら、大きな事件があろうとなかろうと、とにかく今日一日を生きているというその事実。
もしかしたら何よりたしかで単純なその事実こそ、「人生とは何ぞや」という複雑な問いへの、ひとつの答えとなるのではないでしょうか。

私は旅費を貰いながら、大阪へ帰ったら、死ぬつもりでした。そんなものを貰った以上、死ぬよりほかはもう浮びようがない。もう一度大阪の灯を見て死のうと思いました。その時の気持はせんさくしてみれば、ずいぶん複雑でしたが、しかし、今はもうその興味はありません。それに、複雑だからといって、べつに何の自慢にもならない。
(『アド・バルーン』)

というわけで私は『夫婦善哉』の小説もとても好きなのだけれど、ドラマの方はどうだったかというと。
NHK大阪放送局放送開始60周年記念ドラマということで、制作陣が気合を入れていることは強く伝わってきました。キャストも豪華で、美術や演出も素晴らしいと思った。
だけれども・・・・・ 一番肝心なところが・・・・・

先ほども書きましたが、オダサク作品の最大の魅力って、主人公達の飄々とした空気にあると思うのである。どん底にあっても何故か漂っている不思議な明るさ。呑気さ。
その点で、このドラマの主役二人は、、、うーむ、、、。
演技だけをみれば、お二人ともとっても上手いのです。
だけれども。
「空気」が~~~ぜんぜん”オダサク”じゃないの~~~。

それでも蝶子役の尾野真千子さんは、悪くはなかったと思う。たぶん彼女にさほど問題はない。
問題は、柳吉役の森山未來さん。とっても魅力的な俳優さんであることは伝わってきたし、演技もとても上手かったけれども、、、
それ、柳吉ちゃう!織田作ちゃう!太宰や 
wikiによると森山さんは太宰がお好きなのだそうで。うんわかる。もし彼が太宰のあの弱~~~い感じを出すことができるなら、太宰を物凄く上手く演じそうだもの。最近小栗旬さんで映画化されてしまったので、見られる機会がなさそうなのが残念。ならば『人間失格』でも!と思ったけど、それも2010年に生田斗真さんで映画化されていた。うーむ残念。
一方柳吉としては、森山さんは空気が神経質で暗いのです。どこか深刻な鋭さが残ってしまっていて、視聴者が「しょうがない男だなあ」と苦笑しつつ許してしまえる愛嬌が森山さんの柳吉にはない。そして柳吉から愛嬌がなくなると、「あほ男」じゃなく「クソ男」になってしまう。
そんなクソ男に惚れ続ける蝶子も、「あほ女」じゃなく「バカ女」に見えてしまう。
結果、ドラマの空気が深刻で重くなり、そうなるともうオダサクではない。

柳吉という「ぼんち」のキャラクターで思い出すのは、上方和事の「つっころばし」。以下は、wikipediaの「つっころばし」より。

本来は優柔不断な若衆役であり、たいていは商家の若旦那や若様といった甲斐性なし、根性なしで、さらに劇中で恋に狂い、いっそう益体のないどうしようもなさを露呈することにある。そのさまは、特に紙治や伊左衛門に特徴的だが、あわれであると同時に、それを通りこして滑稽でさえあり、でれでれとした叙情的な演技が一面から見れば喜劇味をも含むという不思議な味いがある。

江戸和事の二枚目や、上方和事のつっころばし以外の二枚目との決定的な違いは、まさしくこの滑稽味、喜劇味の有無にあり、さらにいえばその原因となる性格造形の違いにあるといえるだろう。つっころばしは気が弱く、女に優しく、そのくせいいところの御曹司であるがために甲斐性や根性には欠け、なんとなくたよりない。これに対して江戸の二枚目は、表面上はつっころばしに似つつも、その芯の部分にはげしい気性や使命を帯びているために、どこかきりっとした部分が残るのである(それゆえに恋に狂っても喜劇的にはならない)。

つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味、舞台の雰囲気に左右されることが多い。

まさにこれ。オダサクの「ぼんち」は「つっころばし」的であるべきなのに、森山さんのそれは「どこかきりっとした部分が残る」江戸の二枚目になってしまっている。「つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味に左右されることが多い」ことを考えれば、そもそも柳吉役に森山さんを配した制作側の人選ミスでは。ネットの感想は絶賛評が殆どだけれど、私と同じ感想の方も少なからず見かけます。もっともこのドラマのプロデューサーの櫻井賢氏は撮影後に「森山さんに関しては、あほな男をやったら日本一(笑)、愛すべきあほを演じられるのはこの人しかいなかった」(映画.com)と森山さんの柳吉を絶賛されています。うーん、とてもそうは見えなかったがなあ。
あと柳吉を原作どおり吃音にしなかったのも、こうなってしまった一因だと思う。今の時代は色々厳しいのかもしれないけれど。

ドラマの中の大正~昭和の大阪の街の風景は、素晴らしかったです。小説『アド・バルーン』でもとても魅力的に描かれている、大阪の夜の街。大阪に限らず、今は日本中から消えてしまった風景。でもきっと人間の営みは今も変わらないのだと感じさせてくれる、オダサク作品の温かみ。

種吉役の火野正平さん、柳吉の妹役の田畑智子さん、おきん役の麻生祐未さん、売れない噺家役の草刈正雄さん、語りの富司純子さん、とてもよかった。
年齢が違うから無理だけど、火野さんや草刈さんが演じたらイイ感じの柳吉になるのでは、とも。

さて。
緊急事態宣言もぼちぼち解除されつつありますが、うちの県が解除されるのはおそらく最後でしょう。
この中の一県に住んでるって↓、確率的にすごくないですか?すごくないですね。単に人口が多いだけですね。


見逃しドラマ視聴プロジェクトも、まだしばらく続きそうです。

※『夫婦善哉』の中でぜんざいと並んで主役級の扱いなのが、自由軒のカレー
ですが、「難波自由軒」と「せんば自由軒」は別物だってご存じでした?関東圏の皆さん。ワタクシ、かつて我が街にあった「せんば自由軒」の支店で例の名物カレーを食べたことがあるのですが、あれは「本物ではない」そうなのですよ(by本物の難波自由軒さん)。まじっすか。あれですね、神楽坂五十番の肉まんと同じですね。神楽坂上にあるのが「本店(元祖)」で、神楽坂下にあるのが「総本店」。以前神楽坂上の本店で「坂の下の店とは同じ店ですか?」と無邪気に聞いたら、「違います」と力強く否定されたことがあります笑。
ドラマを見て20年くらいぶりに自由軒のカレーが食べたくなったのですが(”本物”の味は知らねども)、こんな状況なので御徒町にあるという「せんば~」にさえ行くことができない。そもそも臨時休業中。なので、こちらのサイトさんを参考に作ってみました。満足いたしました(決め手はソースとカレー粉だね!)

※『夫婦善哉』って文楽にもなってるのか!観てみたいなあ。これを観るならやっぱり文楽劇場で
はぁ、文楽を最後に観てから1年もたってしまった。そして昨年5月に一日通しで観た妹背山のレビューを書いていなかったことに今気づく。なんてこと。忘れないうちにここに書いておきます。三段目の妹山背山の段が一日のうちで一番よくて、素晴らしかった。歌舞伎でも好きな段だけど、文楽の舞台セットには歌舞伎とは違う文楽ならではの美しさが感じられて(あの舞台は人間よりも人形と合う!)、さすがにこの段は技芸員さん達も迫力満点でした。特に妹山は、太夫&人形&三味線パーフェクト(呂勢太夫織大夫清介さん、清治さん、和生さん、簑助さん)!背山の方は、千歳太夫さんのお声が大判事に向いていなかった記憶が。そして文字久太夫さんがいつの間にか藤太夫さんになられていた。あと確か昼の部の二段目だったかな、のチャリ場?がとても楽しかったのを覚えています。夜の四段目の「道行恋苧環」は、太夫さん達がイマイチだった・・・。全体としては昼の部の方が面白かったけど、夜の部の山の段がずば抜けて素晴らしかったので、あの一段のためだけでも夜の部に軍配、といった感じでしょうか。配役表はこちら。ちなみに10:30開演~21:00終演という10時間半の長丁場でした。もはや娯楽じゃなく修行。でも今の時代に平然とそんなことをやってしまう、そんな文楽が好き。周囲には一日通し観劇のお仲間さんがわんさかおられました

Comments (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『漱石悶々 ~夏目漱石最後の... | TOP | 気楽に歌い続ける鳥のようであれ »

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mihana223)
2020-05-16 10:07:53
「夫婦善哉」をドラマでやっていたのですね。
知りませんでした。
機会があれば、見ようと思います。
で、私の「夫婦善哉」の記憶は、何十年も前にテレビで見た映画版の「夫婦善哉」です。
森繁久彌さんと淡島千景さんの。
若い頃だったので、柳吉のダメさ加減に腹を立てながら見てたような気がします。
それでも、森繁久彌さんのどこか憎めない柳吉を嫌いになれなかった。
元々、森繁久彌さんが好きだったからかもしれませんが。f(^^;
憎めない可愛さと可笑しさを兼ね備えていたような。
ただ、あまりに昔で勝手にイメージ膨らませる部分もあると思いますね。f(^_^;
cookieさんのおかげで、久しぶりに、森繁久彌さんの柳吉に会いたくなりました。
近所のTSUTAYAが閉店したので、WOWOWでやってくれないかな?
懐かしい気持ちになりました。
ありがとうございます。(^^)

お身体にお気をつけくださいませ。
ありがとうございました。(^-^)
返信する
Unknown (cookie)
2020-05-16 14:01:53
mihanaさん、コメントありがとうございます(^-^)

mihanaさんは森繁さんの映画をご覧になっているんですね!
今回のドラマをモヤモヤした気分で(笑)見終わって、他の人の感想などをネットで読んでいたら、その森繁さんと淡島さんの映画の存在を知りました。
ぜひ観てみたいと思っています。
森繁さんの柳吉は優柔不断で飄々とした軽みと愛嬌がよく出ていそう!いい俳優さんでしたよね。
今回ドラマを見ながら、時代が人や役者を作る面も大きいのかな、とそんなことを思ったりしていました。

mihanaさんは緊急事態宣言の続行県(府)のお仲間さんですね(^-^)
お互い引き続きがんばり?ましょう~。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。