フットボールがすべてというテキサス州オデッサの高校フットボールのお話。
タイトルや設定からして青春サクセスストーリーかと思ったら、中身はもっとシビアなものだった。
高校のスポーツでもっとも盛り上がるものと言えば、日本では高校野球だ。その感覚を持ってこの作品を見ると、あまりにもギャップがあって驚く。日本では高校スポーツは勝つことや強くなることをもちろん目指してはいるが、(一応表向き)スポーツを通して、さまざまなことを学ぼうという精神を第一としていると思うし、もっとも盛り上がる高校野球でも“勝つことはすごいことだけど、それがすべてじゃない”みたいな雰囲気があると思う。でも、この映画に出てくるアメリカの高校のフットボールはまるで違う。街中が地元の高校のフットボール部に州大会で優勝するという大きな期待をかけていて、その期待までは日本と変わらないと思うけど、それをもろに露骨に選手やコーチたちにぶつけてくるところが日本とはかなり違う。そこには「勝つことがすべて」みたいな雰囲気があって、街の人たちは17歳やそこらの彼らに平気で「絶対勝てよ」と言うし、コーチには「勝てよ、さもないと…」と脅しめいたことも言ってくる。(そりゃ奥さんだって「フットボールのないアラスカに引っ越そう」って言うわ)もちろん、日本にもそういう人はいるだろうけど、日本では社会全体としてそういうことを当然と思うって感じではないと思う。
アメリカ人と日本人のメンタリティの違いとか、小さな街で他に大きな楽しみがあるわけじゃないことや、低所得家庭ではスポーツ選手になることでお金持ちになろうという夢があることや、(途中、怪我をしてフットボール生命を断たれる子デレクルークも、ただ好きなフットボールがやりたいからということではなく、“自分の環境から抜け出すための手段”を取り上げられたというシリアスな問題が絡んでいる)高校の制度が日本とは違って、地元の子たちがほぼみんな地元の高校に行っていることや、アメリカの小さな街では人の出入りがなく父親や祖父世代も同じ高校に通っていたことなどがその原因なんじゃないかなーと勝手に想像したりした。
この作品では、街の人たちの過度なまでの期待と小さな街の閉塞感とクオーターバックの男の子ルーカスブラックやレシーバーの子ギャレットレトの家庭環境などが相まって一種異様な空気感をかもし出している。そんな中で、コーチビリーボブソーントンは常に選手たちに「完璧であれ」と言い、それだけを聞くとものすごいことを選手に要求しているコーチに思えるが、このコーチが説明してくれる「完璧」というのは「家族や友達、自分の大切な人たちに対して常に誠実であれ。その目を見つめて、“自分のできることはすべてやった”と言える人間であれ。試合に勝つことよりも人生において誠実であることが何よりも大切だ。そうすれば、君たちは完璧だ。」ということだった。選手にとってもっとも影響を受けるコーチという存在の大人が「勝つことがすべてではない」と言ってくれる人で、それが選手たちには唯一の救いだったかもしれない。
お話の大半がフットボールの試合のシーンなので、フットボールを知らない人にとってはかなり厳しい映画だと思う。残念ながらまったく知らなくてもそこそこ楽しめるっていうゲームじゃないんですよね、フットボールって。もし、ビリーボブやルーカスブラックくんが大好きならそれだけで見れるかも。そういう方はこれをきっかけにフットボールも見れるようになるかもしれません。
タイトルや設定からして青春サクセスストーリーかと思ったら、中身はもっとシビアなものだった。
高校のスポーツでもっとも盛り上がるものと言えば、日本では高校野球だ。その感覚を持ってこの作品を見ると、あまりにもギャップがあって驚く。日本では高校スポーツは勝つことや強くなることをもちろん目指してはいるが、(一応表向き)スポーツを通して、さまざまなことを学ぼうという精神を第一としていると思うし、もっとも盛り上がる高校野球でも“勝つことはすごいことだけど、それがすべてじゃない”みたいな雰囲気があると思う。でも、この映画に出てくるアメリカの高校のフットボールはまるで違う。街中が地元の高校のフットボール部に州大会で優勝するという大きな期待をかけていて、その期待までは日本と変わらないと思うけど、それをもろに露骨に選手やコーチたちにぶつけてくるところが日本とはかなり違う。そこには「勝つことがすべて」みたいな雰囲気があって、街の人たちは17歳やそこらの彼らに平気で「絶対勝てよ」と言うし、コーチには「勝てよ、さもないと…」と脅しめいたことも言ってくる。(そりゃ奥さんだって「フットボールのないアラスカに引っ越そう」って言うわ)もちろん、日本にもそういう人はいるだろうけど、日本では社会全体としてそういうことを当然と思うって感じではないと思う。
アメリカ人と日本人のメンタリティの違いとか、小さな街で他に大きな楽しみがあるわけじゃないことや、低所得家庭ではスポーツ選手になることでお金持ちになろうという夢があることや、(途中、怪我をしてフットボール生命を断たれる子デレクルークも、ただ好きなフットボールがやりたいからということではなく、“自分の環境から抜け出すための手段”を取り上げられたというシリアスな問題が絡んでいる)高校の制度が日本とは違って、地元の子たちがほぼみんな地元の高校に行っていることや、アメリカの小さな街では人の出入りがなく父親や祖父世代も同じ高校に通っていたことなどがその原因なんじゃないかなーと勝手に想像したりした。
この作品では、街の人たちの過度なまでの期待と小さな街の閉塞感とクオーターバックの男の子ルーカスブラックやレシーバーの子ギャレットレトの家庭環境などが相まって一種異様な空気感をかもし出している。そんな中で、コーチビリーボブソーントンは常に選手たちに「完璧であれ」と言い、それだけを聞くとものすごいことを選手に要求しているコーチに思えるが、このコーチが説明してくれる「完璧」というのは「家族や友達、自分の大切な人たちに対して常に誠実であれ。その目を見つめて、“自分のできることはすべてやった”と言える人間であれ。試合に勝つことよりも人生において誠実であることが何よりも大切だ。そうすれば、君たちは完璧だ。」ということだった。選手にとってもっとも影響を受けるコーチという存在の大人が「勝つことがすべてではない」と言ってくれる人で、それが選手たちには唯一の救いだったかもしれない。
お話の大半がフットボールの試合のシーンなので、フットボールを知らない人にとってはかなり厳しい映画だと思う。残念ながらまったく知らなくてもそこそこ楽しめるっていうゲームじゃないんですよね、フットボールって。もし、ビリーボブやルーカスブラックくんが大好きならそれだけで見れるかも。そういう方はこれをきっかけにフットボールも見れるようになるかもしれません。
全然知りませんでした。
非難というのはいろいろ暴露したからなんですかね?
無事に映画化できて良かったですね。
「小さな町に映画スターがやってきて
自分たちも撮影に参加できたらきっとお祭り状態だったでしょうね。」
原作本を出版したときは、各方面から非難が殺到して現地ではサイン出版会などが中止になったそうですね。
映画はその時の経験も踏まえ、現地の人たちを巻き込み一緒に作って行く必要があったのかもしれませんね。
まさに、お祭りですね。
小さな町に映画スターがやってきて
自分たちも撮影に参加できたらきっとお祭り状態だったでしょうね。
それで映画そのものも素晴らしかったから本当に最高ですね。
真面目なビリーボブも渋くていいですヨ。
ビリー・ボブ・ソーントンといえば、私の中では「バッドサンタ」が強烈に印象に残っているので、そういうまともな人物を演じているのが驚きかも。あ、でも「チョコレート」はわりとまともな人だったかしら???
cokyさんはフットボールは詳しいんですか?私にはさっぱりわからないのですけど、アメリカはフットボールが盛んだから、映画の中にもよく出てきますね。