シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

東洋宮武が覗いた時代

2009-08-19 | シネマ た行
第二次世界大戦中、アメリカにいた日本人、日系人をカメラマン宮武東洋が写した写真と、当時を生きた人々の証言によるドキュメンタリー。

大戦中、アメリカで暮らしていた日本人一世たちとその子供たちは砂漠地帯に作られたいくつかの収容所に入れられた。ワタクシはこの事実をアメリカと戦争をしていた国の国民だったのだから、当たり前と言えば当たり前だと思っていたのだけど、この作品で示されるように、当時でもイタリア系アメリカ人やドイツ系アメリカ人は特に収容などされなかった。日系アメリカ人だけがこのような目に遭ったのは人種差別以外の何物でもなかったということだ。

その収容所のうちのひとつマンザナ収容所に収容されたカメラマンの宮武東洋。彼はこっそり持ち込んだカメラのレンズと、収容所の中で手に入る材木で手作りのカメラを作り、収容者たちの写真を撮っていた。でも、カメラは作れてもフィルムはどうしたのか?当時、収容所で働くアメリカ人の中にはこのような日系人の境遇に同情する者も多く、宮武氏の才能を認める者も多かったようで、彼らがこっそりとフィルムを収容所内に持ち込んでくれたらしい。

今現在、収容者たちの中で生き残っているのは二世と呼ばれる人たちだ。彼らの証言が綴られるが、どうしても当時の日本の状況と比べてしまい、いくら収容されていても、当時の日本人たちに比べたらずっとマシじゃないかという気持ちが彼らにとても失礼だと思いつつもあった。しかし、映画が進むうちに、彼らの境遇を当時の日本人と比べることは無意味なことだと分かってきた。彼ら二世はアメリカで生まれ、アメリカ国籍を持ち、アメリカ人のアイデンティティを持ってアメリカで暮らしてきたのにも関わらず、同じアメリカ人に収容所に入れられたのだ。そして、アメリカに忠誠を誓うよう半ば強制され、天皇を否定するよう言われた。その時点で一世と二世の間で軋轢が生まれる。親子の間が国家に引き裂かれた瞬間だった。そして、アメリカに忠誠を誓った二世たちはアメリカ軍として戦争の前線へ赴き、輝かしい成績を残す。それは彼らの意地だったのかもしれない。

印象的だったのは一世たちは「仕方がない」という日本人らしい発想でこの状況を乗り越えようとし、二世たちは自分たちでこの苦難を切り開こうとした。というところだった。どちらが正しいか間違っているかではなく、これこそが文化の違いというものなのだろう。天災の多い日本では苦難を「仕方がない」と考え、状況に身を任せつつ生活を続けていくということが必要だったのも頷けるし、アメリカで育った二世たちにその心情が伝わらなかったのも理解できる。

現代の日本とアメリカの街角で、この第二次大戦中の日系アメリカ人の収容について知っているかと質問する場面があるが、両国でほとんどの人が知らないようだった。ワタクシは「愛と哀しみの旅路」という1990年のデニスクエイドとタムリントミタの主演映画でこのことを知った。当時の日系人とアメリカ軍人との恋を描いた作品で日系人の収容所のことが描かれていた。もう20年近く前の作品だし、いまの人たちが知らないのも無理はないのかもしれないな。基本的には恋愛ものだったが、収容所にいる日系人の中で尊皇に傾倒していく者とアメリカ軍に従事する者とが描かれていた。

宮武東洋さんの作品が何点も映し出されるが、その中でも当時の芸能人を写したものは写真の世界にまったく詳しくないワタクシでも見覚えがある写真がいくつもあった。ワタクシはこの作品を戦争を伝える映画として見に行っただけで、宮武さんのことは知らなかったので、お~そんなに有名な人やったんやーと認識を新たにした。

そのときの立場はどうであれ、「戦争」というものに翻弄される人々。「戦争」は人間の生活を奪い、青春を奪い、家族を奪う。戦死しなくとも家族が国家によって引き裂かれる。これからも語り継いでいく必要がある。

オマケ1幼い頃強制収容所に入れられた三世としてあのロス事件のジミーサコダさんが登場したので、驚いた。他にもダニエルイノウエさんは日系人で初めてアメリカ上下両院議員になった人ということらしいが、ワタクシは彼のことは知りませんでした。

オマケ2二世の方々がもう相当なお歳にも関わらず、みなさんとても溌剌としていて、おしゃれにも気をつかっているし、積極的に外に出て活躍してらっしゃる様子がとてもアメリカ的に映りました。血は完全に日本人なのに、やはりアメリカで生活しているとアメリカ人っぽい感じになるから不思議ですね。