「十二人の怒れる男」の記事を書いたときに、この作品の記事も書きますと書いておきながらあれからなんと2年半も経ってしまいました。
三谷幸喜の劇団の舞台を映画化したこの作品。いまは三谷幸喜の笑いはワタクシにはよく分からんものになってしまったんだけど、初めてこの作品を見たときその面白さに度肝を抜かれたのを覚えている。
日本に陪審員制度があったらという仮定を前提に始まるこの作品。完全に「十二人の怒れる男」のパロディだ。しかし、元ネタのほうが真面目な社会派ドラマなのに対して、こちらはふざけたコメディ。三谷幸喜独特のナンセンスさと、登場人物の変な性格とかクセとか、妙な間とかが全体にちりばめられている。
そういうふざけたお話の中でも、陪審員それぞれの性格や背景をこの話し合いの中で自然に見えるようにしているところは元ネタを踏襲しているし、コメディでありながらこの被告人の有罪か無罪かという結論に至るまでの過程がきちんと描かれているところもかなりの見所だ。
そして、集まった12人の中でもっとも気が弱い陪審員4号二瓶鮫一と10号林美智子が一番重要なキーとなり、みんなの心を動かしていくという展開も面白い。彼らの性格などがだいたい紹介されていくような前半から、この事件の真相を一気に暴いていく後半はとてもテンポがよく、こちらも身を乗り出すような形でのめりこんでしまう。
まさか「死んじゃえー!」が「ジンジャーエール!」になるなんて三谷幸喜ならではの発想だと思うし、ドミソピザは一番小さいサイズでもデカいとか居酒屋大自然は飲み物より食べ物がおいしいとか、思い込みと聞き違いはおばちゃんの2大要素だとか、ダヨーンのおじさんの顔を描けば落ち着くんだとか、もうイチイチ細かくて笑っちゃう。
しっかし、この12人はそれぞれが腹立つくらいに自分勝手なんですよねー。本当に裁判員制度が始まっちゃうけど、そんじょそこらの日本人12人集めたってこんなうるさくて自分勝手な12人はそうそう集まらないだろうね。飲み物の差し入れの注文にヤクルトとかフルーツパフェとか頼めちゃったり、証拠品として注文するピザのトッピングを真剣に考えるような図太い日本人が増えたら、大変だけどそれはそれでこの国ももうちょっとおもしろくなるかもなーなんて思ってしまいました。
三谷幸喜の劇団の舞台を映画化したこの作品。いまは三谷幸喜の笑いはワタクシにはよく分からんものになってしまったんだけど、初めてこの作品を見たときその面白さに度肝を抜かれたのを覚えている。
日本に陪審員制度があったらという仮定を前提に始まるこの作品。完全に「十二人の怒れる男」のパロディだ。しかし、元ネタのほうが真面目な社会派ドラマなのに対して、こちらはふざけたコメディ。三谷幸喜独特のナンセンスさと、登場人物の変な性格とかクセとか、妙な間とかが全体にちりばめられている。
そういうふざけたお話の中でも、陪審員それぞれの性格や背景をこの話し合いの中で自然に見えるようにしているところは元ネタを踏襲しているし、コメディでありながらこの被告人の有罪か無罪かという結論に至るまでの過程がきちんと描かれているところもかなりの見所だ。
そして、集まった12人の中でもっとも気が弱い陪審員4号二瓶鮫一と10号林美智子が一番重要なキーとなり、みんなの心を動かしていくという展開も面白い。彼らの性格などがだいたい紹介されていくような前半から、この事件の真相を一気に暴いていく後半はとてもテンポがよく、こちらも身を乗り出すような形でのめりこんでしまう。
まさか「死んじゃえー!」が「ジンジャーエール!」になるなんて三谷幸喜ならではの発想だと思うし、ドミソピザは一番小さいサイズでもデカいとか居酒屋大自然は飲み物より食べ物がおいしいとか、思い込みと聞き違いはおばちゃんの2大要素だとか、ダヨーンのおじさんの顔を描けば落ち着くんだとか、もうイチイチ細かくて笑っちゃう。
しっかし、この12人はそれぞれが腹立つくらいに自分勝手なんですよねー。本当に裁判員制度が始まっちゃうけど、そんじょそこらの日本人12人集めたってこんなうるさくて自分勝手な12人はそうそう集まらないだろうね。飲み物の差し入れの注文にヤクルトとかフルーツパフェとか頼めちゃったり、証拠品として注文するピザのトッピングを真剣に考えるような図太い日本人が増えたら、大変だけどそれはそれでこの国ももうちょっとおもしろくなるかもなーなんて思ってしまいました。