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シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

デスノート~前編

2006-11-08 | シネマ た行
いやー、よくできているね。
ワタクシ、原作を途中まで読んでいたんですけどね、まずキャストが決まった時点でそりゃーもう夜神月は藤原竜也くんしかおらんでしょって感じでしたね。(つーか、これ漫画の時点で彼をイメージしてたんじゃないの?って感じなんですけど、そうなんでしょうか?)でも、エルを演じられる人なんているの?って思ってて、松山ケンイチくんって全然知らなかったんだけど、エルの扮装をしているのを見たらこれまたそっくりでビックリしちゃいましたよ。本編を見ると喋り方はちょっとワタクシがイメージしてたのとは違ったけど、それでも全然OK範囲ですね。しかも、それってワタクシだけのイメージやし。喋り方で言うなら藤原竜也くんのほうもちょっと違ったし。そして、月のお父さん役が鹿賀丈史っていうのはちょっとミスキャストって思ってたんやけど、フタを開けてみるとすごく漫画のお父さん像に近くて鹿賀丈史の演技の幅の広さにあらためてすごい人だなぁと。そして、なによりもリューク中村獅童にビックリ。中村獅童の声はまぁまぁってとこ(もうちょっとチャーミングに喋って欲しい)ですが、あの映像すごいな。CGなんだろうけど、あのリアルさってほんとにビックリする。いまどき、CGだったらあれくらいできて当然なんだろうけど、それでもやっぱり感心しちゃいますよね。

原作を読んでいない人からしたらどんな感じなのかなぁ?ちょっと分かりにくい?あと、原作のコアなファンの人だったら、「原作と違うー」ってイヤになるのかも。ワタクシは原作は途中まで読んだし、好きだけど、ファンってとこまででもないから映画も楽しめるのかも。

漫画だから、夜神月が捜査本部に入れてもらうとかFBIが出てくるとかありえんことが起こりますが、それ言い出したらデスノートの存在そのものもありえん!って一刀両断に切り捨てちゃうことになるっちゅうことでそれもいいとしましょう。

前編はシチュエーション説明っていう性格も持っているからその中でのこのデキはかなりOKではないでしょうか。問題は後半ですな。ワタクシは漫画も中途半端にしか読んでいないので結末を知らないのですが、映画のほうもどんな結末を迎えるのか楽しみであります。

それにしても、いくら後半を見に来てもらうためだからってこんなに早くTV上映しちゃって映画館まで見に行った人怒ってないかな?

太陽

2006-10-31 | シネマ た行
神と崇め奉られた昭和天皇イッセー尾形が戦後「人間宣言」をするまでの葛藤をロシアの巨匠アレクサンドルソクーロフが描いたこの作品。昭和天皇の心の内が描かれる作品なので、それが事実だったかどうかはもちろん定かではない。史実に忠実に描かれているわけでもないだろう。だから、ここではあくまでもこの作品を見た感想を書くにとどめたい。

ほぼ前編に流れる不穏な音楽。時に耳障りにさえ感じるような変な機械音のようなBGM。それはそのころの日本に流れる空気感であったか、それとも昭和天皇の頭の中に流れる「神」として扱われる自分と「人間」である自分の間の不協和音であったか。「私の体は他のみなと変わらない」と主張しても侍従長佐野史郎は答えに窮する。自分を「神」と崇めているくせに、自分の主張を通してくれるわけではない。「私は誰からも愛されない」と嘆く昭和天皇。そう、「天皇陛下万歳」と叫んで何万人という若者が自分に命を捧げているというのに、本当の自分を理解し、愛している者はいない。なんという皮肉。

イッセー尾形の演技に魅せられる。自らの苦悩を呟いたかと思いきや、なにやら思いついたことをとうとうと話し続ける。それを遮られて新しいことを言われても「あっそ」と軽く言いそれに従う。ワタクシたちは昭和天皇のプライベートでの姿を知っているわけではないが、イッセー尾形は国民の前に姿を見せていたときの昭和天皇の動きなどにソックリだったし、あの「あっそ」と言う時の口調なども驚くほどソックリだった。「ラストエンペラー」の溥儀や、「セブンイヤーズインチベット」のダライラマのように、ここで描かれる昭和天皇もどこか子供のように無邪気な面も見せる。こういう高貴な人たちは周囲の環境やおいたちが似ているせいか、どこか似た雰囲気を持つものなのだろうか。マッカーサーのところでおそらく生まれて初めて自分でドアを開けるシーンや、食卓に一人残され、嬉しそうにろうそくをひとつひとつ消していくシーンなど、マッカーサーに昭和天皇には戦争責任を負わせないと思わせた無邪気な子供のような姿。可愛らしいとさえ思えるその姿をイッセー尾形がとても自然に表現していた。

戦争が終わって、疎開先から戻ってきた皇后桃井かおりに、「人間宣言」することに決めたことを伝える昭和天皇。「私は自分の運命を拒否したんだ」と誇らしげに語ったその直後、その「人間宣言」を録音した若者は自決したと侍従長から聞かされる。「でも、止めたんだろうね?」「いいえ」国民のことを第一に考え、決断したはずの「人間宣言」それを一番初めに受け止めた国民は自決した。そして、それを当然のように止めることはしなかった侍従長。このときの言いようのない悲しみや苦しみはいかばかりだったか。このシーンに、自分でも気付かないうちに涙が出ていた。何の前触れもなく突如としてポロポロと涙が出た。まるでダイレクトにその哀しみと同化したようだった。そして、このときの横目で昭和天皇をほとんどにらむように見ながらみるみる瞳に涙がたまっていく桃井かおりの演技に圧倒された。そのあとまるで夫を守るかのように子供たちの待つ大広間へと手をひっぱっていく皇后。皇后が桃井かおりというのはちょっと結びつかないがこれら一連のシーンを見ていると素晴らしいキャスティングだということが分かる。

ものすごく静かに淡々と進んでいく物語であるにも関わらず、いつまでも心にズドンと効き続ける作品である。

ダウンバイロー

2006-10-26 | シネマ た行
これもいかにもジムジャームッシュな映画だったんですが、なぜだかこれは楽しんで見れました。ワタクシは音楽に詳しくないので、トムウェイツジョンルーリーっていう人が有名な歌手だってことも知らないで見ていて、最初のタイトルのときに「Music:Tom Waits」って書いてたから「出てる人が音楽も担当してるんやー、歌手かな?」とか思ったけど、ザックとジャックのどちらがトムウェイツなのかさえ知らなかった。これって、知ってる人やファンの人からしたら、「コイツ何言うてんねん」っていうようなこと書いてるんやろうなぁ…

褒められたような生き方はしていないけど、と言って犯罪者ってわけでもないザックとジャックはともにはめられて刑務所行きに。たまたま同部屋になったこの二人。初めはいがみあっているが、そのうち口もきくようになって、まぁ仲良しってわけじゃないけど、なんとなくうまくやっていたある日、同じ監房にイタリア人のボブロベルトベニーニが入ってきた。片言の英語だが、よく喋るボブとクールな二人。変な取り合わせの三人だけど、ボブのユーモアに助けられてかうまくやっていた。そのうちボブは脱走できる道を見つけたと言って三人で脱走。アメリカ南部の沼をなんとか抜けてそれぞれの道へ進む三人。

とストーリーを書くとそれだけの話。だって、ジャームッシュだもの。

ロベルトベニーニって顔があんまり好きじゃなくて、彼の出てる作品に心魅かれないんだけど、ここではすごくいいアクセントになっていて、イタリア訛りの英語も良かったし、一人でよくべらべらと自分がなぜ捕まったかとか、自分の母親の話とかしてるのが面白かった。

何度も書くけどジャームッシュだから、そのセリフが何か次の展開に関係してるとかそんなことでもなくて(あ、彼のファンならそういうのを解き明かすのかもしれないけど、普通に見てる分にはそんなものちっとも分かりゃしませんし、分かる必要もないと思うんです。)淡々と進んでいくんだけど、本当の人生ってまぁそんなもんかなと。突然、驚くような展開があることもあるけど、人生の大半はこうやってなんの伏線にもならないことをウダウダと続けてるだけなのかなと。その中のひとつひとつのシーンのクールさにファンは魅かれるのかな。(違うかったらごめんね。)

モノクロの作品だからっていうのもあると思うけど、セリフ回しとか音響の使い方とかが昔の映画を見ているような雰囲気でした。特に最後のザックとジャックが上着を交換して、握手もハグもなく別れていくシーンなんかは往年の映画を思わせる男臭さがありました。

デンジャラスマインド~卒業の日まで

2006-10-24 | シネマ た行

何度かここに書いているように、ワタクシは教師と生徒ものが好きだ。ワタクシは世の中をシニカルに見ているところもあるわりに、教師と生徒ものにはたいがいやられてしまう。これもそんな作品のひとつ。

これは1995年の作品で、今見ると、教師のルアンジョンソンを演じるミシェルファイファーも、生徒たちも微妙にダサい。なので、これから見る人はその辺はちょっとガマンして見て欲しい。

この物語、教師ルアンジョンソンの自伝を元に作られている。元海兵隊のルアンが友達の紹介で教師になったが、彼女が受け持ったのは、とんでもない不良クラス。勉強する気どころか、人の話を聞く気さえまるでない、教師が教壇に立っても屁とも思わない子たちばかりが集められたクラスだった。

そんな彼らの注目を引くためにルアンが最初に考えたのは空手。元海兵隊でならした彼女の見事な指導に生徒たちも少し話を聞くようになる。そこからが本番。彼らに文法を教えるときも「I want to die.」のようなショッキングな文章を例に出して教え始める。そしてステップアップ。彼女は彼らが興味を引くような詩を持ってきた。それはボブディランがドラックディーラーや死について歌う詩。生徒たちも徐々に彼女に敬意を持って接し始める。

このクラスの生徒たちはみなスラム街出身の子たちで、自分たちの人生になど初めから何の期待もしていない。何かを望んだところで手に入るワケなどない。それなら、初めから期待するのはやめよう。そんな生き方をしてきた子たちだ。そんな子たちにルアンは「選択する」ということの大切さを教える。“たとえ死ぬとしても、尊厳を持って死のう”そんなことを高校生に説くと教育委員会から大目玉をくらいそうだけど、この子たちに本当に必要な言葉はそういう言葉だったのだ。どんな状況下にいても自分の心の中だけは誰にも何物にも侵されないということをルアンは生徒たちに教えたのだと思う。

彼女が生徒たちの家を訪問するシーンでは、スラムの家庭のさまざまな事情が浮き彫りになり、その状況で望みを持って生きることは確かに強靭な精神力が必要だと知らされる。これは観客の気付きであると同時にルアンの気付きでもあった。

とまぁ、お固く書いてきたけど、お話はユーモラスに描かれているところと緊張感をもって描かれているシーンのバランスがとてもよく、適度に笑い適度に考えさせられるといった感じ。高校生たちもなんやかんや言いながら実は素直な子たちばかりでほっとさせられるしね。中では悲劇も起こり、理不尽な世の中であることを思い知らされもするし、そのこともあり、教師の仕事を辞めようとするルアンには「教えてたこととちゃうやんけーっ」という気もしたけど、最後の生徒たちの言動には感動した。

ワタクシはラップやヒップホップは苦手なほうなんだけど、この映画に出てくるヒップホップ系の曲に関してはメロディアスなものが多くて聞きやすくてGOODです特にCoolioの「Gangsta's Paradise」は最高にクールです。


手紙

2006-10-20 | シネマ た行

ネタバレあり。

前半から中盤にかけては、ちょっとこのドラマ大丈夫?ってヒヤヒヤもんでした。だって、なんか絵に書いたような展開っていうか、何十年前のドラマやねん!っていう展開が次々にあって、あ~くっさーみたいな感じで、うわーどうしよーって思ってたんですよ。沢尻エリカの関西弁も大阪人的にはNGだったしなぁ。(あの役はあえて関西弁じゃなくても標準語でやってくれたほうが良かったな。)それが、主人公である直貴くん山田孝之がケーズデンキの工場に移動になったあたりから後半にかけて一気にまさに加速度的に物語が面白くなっていきましたね。そこらあたりからはもうハンカチなしでは見れません。

テーマが重いし、実際のところはどうだとかそういうことはまったく分からない世界の話ではあるのだけど、あまりにも自分の日常とかけ離れていると思う一方で、いつ何時誰でもこの物語のどの登場人物になってもおかしくないことが起こるかもしれないと考えると、途端にこの物語が身近に感じられた。ひとつの犯罪が様々な人の心に影を落とす。その染みはおそらく一生消えない。その染みとどう対峙していくのか。それを丁寧に描いている。

昔のメロドラマ調の前半から一気によくなると書いたが、その起点となるのは、この作品のタイトルである「手紙」に託されたもうひとつの意味が明らかになったときだと思う。弟のために罪を犯した兄玉山鉄二とその兄の罪のせいで世間からつまはじきにされる弟との間の手紙。それともうひとつの「手紙」がこの物語を動かす。その「手紙」をきっかけに、兄の罪のせいで差別され、世間や兄を憎むようになった弟に転機が訪れる。

号泣ポイント1弟くんが被害者の遺族に会いに行くシーン。弟に背負わせた運命を知り、自分が背負う償いの重さを知った兄は被害者の遺族吹越満に毎月かかさず書いていた手紙を書くのをもうやめるという。その最後の手紙を受け取った遺族は「僕はもうこれで終わりにしようと思う。僕はもうこれでいいと思う。」と言う。加害者の家族の思い、被害者の家族の思い、そして、加害者本人の思い。そのすべてがこのシーンで語られ、そのすべてが昇華へと向かうこのシーン。

号泣ポイント2お笑い芸人をやめた弟くんだったが、昔の相方尾上寛之に兄が服役する刑務所への慰問に誘われ一度だけコンビを再結成する。数年ぶりに弟の姿を客席から見る兄。彼らの漫才に大うけする周囲をよそに彼は声を殺して号泣している。合掌しながら。思い出すだけでも涙が出そうなこのシーン。玉山鉄二の姿が目に焼きついて離れない。

以上、2つの号泣ポイントを書いたが後半はもうどのシーンがどうと言うよりずっと泣きっぱなしだったように思う。山田孝之と玉山鉄二がよく似ていて本当の兄弟のようだったし、先にも書いたが、回想シーンと手紙の朗読しかセリフのない玉山鉄二の演技がもの凄く素晴らしい。全体を通しての彼の演技が素晴らしいからこそ、最後の合掌しながら声を殺して号泣するシーンが観客の胸に迫るものになっているのだと思う。そして、感動だけではなく、さまざまなことを考えさせてもくれる作品であった。

オマケ1ケーズデンキの会長が「差別のないところを探すのではなくて、君はここで生きていくのだよ」というセリフは現実的にはもっともなアドバイスなんだろうし、あの時の弟くんには必要なアドバイスだったと思う。事実、この社会で生きていくには自分が受ける差別と折り合いをつけて生きていかなければならないし、どんな差別を受けようとも自分自身が誇りを持って生きることが大切だと思う。ただ、このセリフを実際に彼を左遷した側から言われるとそれはこの差別が存在する社会への言い訳にしか聞こえなかった。「差別のないところを探して逃げ回る」のは良くないと言いたかったのは分かるが、「差別のないところを共に作り出そう」という理念を持って彼に接して欲しかった。

オマケ2山田孝之くんが漫才師の役をやっているが、最初はネタが面白くなくて「はぁ?」と思っていたけど、そのうちネタも面白くなって、彼も本当にボケの演技がうまくてその漫才に普通に笑いそうになってしまった。山田孝之くんの演技の幅の広さに驚かされた。

オマケ3沢尻エリカの先輩おばちゃん役で、昔吉本新喜劇に出ていた山田スミ子が出ていてちょっと嬉しくなってしまった。


ディナーラッシュ

2006-10-18 | シネマ た行
これはメジャーな作品ではありません。そして、一応すじはきちんとしているものの、はっきりくっきりした起承転結があってそれを追っていくタイプの映画ではないため、とっつきにくく感じる人もいると思います。物語のほとんどがニューヨークの「ジジーノ」というイタリアンレストランを舞台に進んでいきます。

このレストランのオーナー、ルイダニーアイエロは長年のパートーナーをマフィアに殺された。一番可愛がっている副シェフはギャンブルの借金で首が回らないのに、それをまたギャンブルで取り戻そうとしている。息子のウードエドアルドバレリーニは母親が家庭料理を出していたこのレストランを創作イタリアンに変え、店はニューヨークで飛び切りおしゃれな店に変身してしまった。その息子は早くレストランを自分に譲ってくれとせっついてくる。パートナーを殺した隣町のマフィアはこのレストランの権利を譲れと脅してきている。

ルイは角のオーナーの特等席に座って、今晩のディナーラッシュを眺めながら、様々な問題にカタをつけようとしている。ディナーラッシュの時間はまるで戦争のよう。ホールではいろいろな客たちがウエイトレスに文句を言ったり、シェフを呼び止めたり、バーでは客同士が意気投合していたり、しばし停電になったり、キッチンではコックたちが喧嘩しながらも次々に料理をしあげていく。

ルイ演じるダニーアイエロが渋い。パートナーの死を嘆く顔、息子を認めながらも変化を素直に受け入れられない父親の顔、副シェフの借金を肩代わりしてやる親方の顔、そしてレストランを乗っ取ろうとするマフィアと対峙する顔。長年の経験で培ってきた自信と片付けても片付けても持ち上がる様々な問題に対する苦悩が入り混じった表情。その彼がこの“ディナーラッシュ”の間にこれらの問題にどうカタをつけるのか、それともこれは単なる雰囲気だけのおしゃれ映画で、なんとなくこの夜が更けて物語は終わってしまうのか、、、と思っていると意外なラストが待っていて、不思議なカタルシスに包まれてジ・エンド。イタリアンレストランのお話だから、“FIN”というべきか。

ニューヨーカーたちがこぞって予約を取りたがる流行のレストランの表と裏の雰囲気を味わわせてもらって、(このレストラン、本当にこの映画の監督ボブジラルディが経営しているお店らしい)その上きちんとオチもついて、こんなに“おいしい”思いのできる映画はあんまりお目にかかれない。

チャーリーとチョコレート工場

2006-10-11 | シネマ た行

なにはなくともUMPA LUMPASがとにかく最高なのです。

ティムバートンジョニーデップのコンビが苦手なワタクシは期待低めで見始めました。チャーリー役を演じる男の子フレディハイモアのことも「ネバーランド」のとき“可愛くないなぁ”と思っていたし。

でも、冒頭のチョコレート工場内部からチョコレートが全世界に発送されていく様子が、ワタクシ好みの始まり方で、今回は他に憎ったらしいガキどもが出てくるせいか、フレディ君も可愛く思えて思ったより随分楽しめる内容でした。

この映画を見てワタクシは結構おどろいてしまった。すごく子供向けのお話なんだと思っていたら、エグいエピソードで彩られていて子供向けと思って小さいお子さんを連れて行った親御さんたちはちょっと後悔したんじゃないかとさえ思う。ワタクシはこういうブラックな笑いが好きだけど、受け付けられない人たちもいるんじゃないかな。

ワタクシは可愛い子供は大好きだけど、可愛くない子供は嫌いという都合のいい子供好きだから、ここに出てくるような憎ったらしいガキどもはこのチョコレート工場で遭ったような悲惨な目に遭ってくれるとスッキリしちゃう。もちろん、実生活でそんなことを望んでいたら犯罪者一歩手前だけど、こういうファンタジーな映画の中のことだからお許し願いたい。

上にも書いたけど、とにかくチョコレート工場で働くUNMPA LUMPASディープロイが最高で、憎たらしいガキどもが一人一人悲惨な目に遭う度にヘンテコな歌とダンスでお見送り~してくれちゃうのだ。こればっかりは見てもらわないと、言葉で彼らの面白さを表現することは不可能ですね。彼らの存在がなければ、このお話をこんなに好きにはならなかったかも。でも、これはかなりツボにはまる人と「はぁ」ってなる人の差が激しいかも。ワタクシは完全にツボにはまっちゃいました。

ジョニーデップの気持ち悪さは言うまでもなく…と言うと、彼には熱狂的なファンが多いので非難されそうですが、、、苦情は受け付けません。でも、このウィリーウォンカの場合、“気持ち悪い”というのは褒め言葉にもなるんではないかと思って言っております。ウィリーウォンカは不思議ちゃんなキャラだけど、なかなか彼もブラックなキャラで面白い。プラス、父親との確執をチャーリー君のおかげで克服しちゃったりなんかして、最後には“甘い人生”も手に入れて、なんかえぇ話やーんっていうラストがナイスぅ。思いがけず、あったかい気持ちになっちゃったよ。

オマケ1チョコレート工場見学ツアーが始まってチョコレートの川を船で行くシーンがありますよね。あの船乗りたーい。これってどこの会社の映画だっけ?USJとかにできればいいのになぁ

オマケ2チャーリーがゴールデンチケットが当たったとき、お金のない家庭事情を気にして「100ドルで買ってくれる人に売るよ」というと「お金は毎日いっぱい印刷されてるんだ。いつかうちにまわってくることもある。でも、そのチケットは世界に5枚しかないんだよ。絶対に売っちゃいけないよ。」というおじいちゃんデヴィットケリーのセリフが素敵でした。


トランスアメリカ

2006-09-21 | シネマ た行
LAに住む性転換手術を目前に控えるブリーフェリシティホフマン。そんな彼女(ここではすべて「彼女」と表記します)のところに大学時代の若気の至りでできた息子トビーケヴィンセガーズがニューヨークの拘置所から電話をかけてくる。初めは無視を決め込む彼女だが、性転換手術の前に過去を清算すべきとカウンセラーに言われ仕方なくニューヨークへ飛ぶ。トビーには教会のボランティアだとウソをつき、自分は女性だと偽り、ハリウッドに行きたいと言うトビーとともに、LAに車で帰る道のりを描くロードムービー。

「LAに住むトランスセクシャル」と聞けば、どんなにか時代の先端を行くタイプの人だろうと勝手に想像してしまうのだが、ブリーは、トビーに言ったように、「教会のボランティア」と聞いてもまったく違和感を感じないおとなしい、古風な感じの人。男娼までしていたトビーの家庭環境を勝手に理想的な家庭だと想像している彼女はあまりにもウブだ。そんな彼女と今どきの少年だけど、これまたどことなくウブな感じのするトビー。アメリカの17歳というわりに、そして外見はいかにもそんな感じなわりに中身はすごく幼い印象の彼。そんな二人がいかにもアメリカの田舎の風景を行くというすべてに少しずつ違和感というかズレた雰囲気が漂っている。そこんところのギャップがまたこの作品を特別なものにしている。

物語の内容はまさしくロードムービーというものを絵に書いたような展開で、笑えるシーンあり、傷つくシーンあり、ほっこりするシーンありって感じである。映画のフィルムを「ロードムービー」という型にドロドロと流し込んでオーブンでチンしたら出来上がったのがこのお話といった感じ。となると、すべては主人公の設定と演技にかかってくるわけだが、設定は初めに話した通り、ありきたりなものでは全くない。そして、演技は多分皆さんご存知の通り、主演のフェリシティホフマンが素晴らしいのだ。

このブログでも、何人かの女優のことを「ニューハーフみたい」って言ったことがあるけど、フェリシティホフマンも確かにもともとちょっとニューハーフっぽい、というと失礼なんだけど、日本人から見ると体もでかいし、実際そう見えてしまうのだ。もちろん、キャラクターをもっともらしいものに見せようとすれば、外見というのは非常に重要だとは思うけど、このフェリシティホフマンは外見だけでなく、内面から見せるブリーのキャラクター作りが素晴らしかった。ブリーの心の葛藤であるとか、家族との確執であるとか、彼女が歩んできたであろう人生が見えてくるような演技で、トランスセクシャルという特殊な役柄でありながら、すべての迷える人たちが共感できるようなキャラクターだった。

ワタクシはリースウィザースプーンのファンだから、彼女がアカデミー賞主演女優賞を受賞した時は非常に嬉しかったし、「ウォークザライン」での彼女の演技も主演女優賞にふさわしい素晴らしいものだったが、あとからフェリシティホフマンの演技を見ると彼女が取っても良かったんじゃないかとさえ思える。やっぱり素晴らしい演技って比べてどうのこうの言うようなもんじゃないなということを実感させてくれた作品であった。

オマケ初めのほうで、トビーが話すときずっと字幕では「つーか」から始まっていて、ブリーに「いちいち“つーか”って言わなくていいのよ」って注意されるシーンがありますね。トビーは英語では「like」を連発しています。「like」は「好き」の意味じゃなくて「~のような」の意味ですが、確かに北米の若者は「like」を連発する。ワタクシもつられてクセになってます。ちょっとバカっぽいからやめたいけど、なかなかやめれない。日本語としては意味として「つーか」ってわけではないけど、意味なく若者がやたらに使う言葉として「つーか」にしたんでしょうね。納得です。

チューブテイルズ

2006-08-29 | シネマ た行
イギリスの週刊誌「タイムアウト」で脚本を募集、寄せられた3000通の中から9人の監督がそれぞれ好きなストーリーを選んで映画化したという9つのオムニバス。

9人の監督の中にはボブホスキンスユアンマクレガージュードロウといった俳優も入っていて、キャストもケリーマクドナルドジェイソンフレミングレイチェルワイズレイウィンストンなどイギリスを代表する俳優が出演している。ロンドンの地下鉄(チューブ)が舞台ということで全編イギリスいろの作品である。上に挙げた中にはユアンやジュード、レイチェルワイズのようにハリウッドのメジャーに躍り出ている俳優もいるにはいるが、ここに出てくるのは同じイギリス人でもヒューグラントやルパートエベレット、オーランドブルームのような俳優たちとは一味違うマイナー色というかインディーズ系、インディペンデント系の匂いのする人たちが多い。

お話は9つあるが、ワタクシの好きなものを何篇か取り上げる。

まずは、ドあたまの「ミスタークール」。ジェイソンフレミングが超かっこつけの超かっこ悪い男を演じている。オチの部分でワタクシは映画館で大爆笑したのを覚えている。これからどんなにテンポのいい話が続くのかと期待させるに十分なお話で、これを1話目にもってきたのは本当に大正解である。

「ホーニー」はちょっとHな作品なんだけど、サラリーマンのおっさんの視線を浴びる女性デニースヴァンアウテンが面白半分に彼を刺激する話で、サラリーマンのおっさんがやらしいというよりも彼女のほうが確信犯的な感じだ。そのおっさんが彼女への欲情を抑えようと必死で想像するのがエリザベス女王とサッチャー元首相というのがイギリスいろ満開で笑える。そして、周りも面白がってそのおっさんを見ているところがまたふざけてていい。

「グラスホッパー」も最後のオチが面白く、主役のヤクの売人フランクハーパーが、犯罪者なんだけど、不憫にさえ思えちゃう。

「マウス」もオチが大切な話で、途中の一人の女性をめぐる車中のみんなの想像は面白いけど、オチはあまりにも汚らしすぎてちょっと見るに耐えない。これもイギリス流のブラックユーモアなのか。

「マイファーザー、ザ・ライヤー」は下町のあんまりガラがいいとは言えない、子どもに無賃乗車させるような父親レイウィンストンだけど、子どものことを思って最後にポツリとウソをつくところにホロリとさせられる。息子もきっと父親が言っていることはウソだということは分かっただろうけど、それでもきっと大きな安心を得たに違いないという気になる。9つの中でワタクシが一番好きな作品。

最後の「スティールアウェイ」は無鉄砲な若い恋人同士の「トレインスポッティング」的な話かと思いきや、実は宗教的で幻想的なファンタジーだったことに最後に気付かされる。悲しいお話なんだけど、なぜだか少しホッとさせられるような不思議な魅力のある作品。

ここまで、6つ紹介したけど、残りはジュードロウ監督作品の「手の中の鳥」、ユアンマクレガー監督作品の「ボーン」、レイチェルワイズ主演の「ローズバッド」。どれも心温まるいいお話だけど、ここでは割愛する。

それぞれの話の頭での題名やキャストなどの出し方もおしゃれな感じにしてあって、題名がどこに出されるか探しながら見るのも楽しいし、すべての話は全く関係ないのにチューブの雰囲気を守っているために全体に心地よい統一感が流れている。

イギリスいろだ、イギリス流だと書いているけど、ワタクシもそれを言葉で説明するのことはできない。ワタクシがイギリスいろだと勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。でも、普段ハリウッドのメジャースタジオの作品しか見ていない人ならば特にこういう作品を見れば、「何かが違う」と感じ取ってもらえると思う。

トスカーナの休日

2006-08-09 | シネマ た行
ひょんなことから夫の浮気を知った作家ダイアンレインがひょんなことからイタリア観光ツアーに参加し、たいした決意もなく思いつきでトスカーナに家を買う。そんなところから始まるストーリー。原作はベストセラーだったそうだけど、こういうタイプの本がベストセラーになるということはやはり疲れている人が多いのかな?

西洋の人にとって、このトスカーナというところはすごくイメージのいい憧れの地であるらしく、特にお堅い人が少し力を抜いて静養し人生を見直すには絶好の場所のように扱われることが多い。ワタクシも一度トスカーナ地方の田舎のほうに行ったことがあるが、確かにあの美しい風景は疲れた心を癒したり自分の人生を振り返って見直すにはピッタリの場所と言えるだろう。

物語はアメリカ人のダイアンレインの目を通したイタリアなので、いかにもステレオタイプなイタリア人っぽい人が出てくる。ただ、イタリアと言ってもナポリのほうの南イタリアではないのでいかにもご陽気なイタリア人というのとはまたちょっとイメージが違うかもしれない。

家を買ったと言っても、改築が必要な古い屋敷で、ポーランド人職人を雇って自らも一緒になって家を改築していくようすはとても西洋の人たちらしい風景でこれにはとても憧れのまなざしで見てしまう。

「どうして自分ばかりが不幸なのか?」と嘆いているうちは幸せは訪れず、人のために幸せを願うとき自然に自分の手の中にも幸せが舞い込んでいるという一見ベタだけど、普遍的で実は奥の深いテーマが隠されているような作品。主演がダイアンレインということもあって大人な雰囲気の作品にできあがっているが、しっとりとするばかりではなく微笑ましいシーンや面白いシーンなども登場するので飽きずには見られると思う。ただ、大きな展開がある作品ではないので、派手な作品が好きな方にはおすすめしない。

オマケ「運命の女」のときは美しかったダイアンレインだが、この作品では随分頬がこけて疲れた印象だった。初めはこの映画のヒロインが疲れているからそれでも良かったのだけど。このお話が終わったあとからこのヒロインの頬も幸せでふっくらしてくるかな。

ドッジボール

2006-06-27 | シネマ た行
ベンスティーラーがまたまた「ズーランダー」のときのようなお馬鹿さんを演じていて、今回はそれがまた脳みそが筋肉でできている馬鹿な悪役だから、かなり自由に楽しんでたように思う。いつものことながらお下劣なギャグ&ワケのわからん笑いも満載です。

ワタクシたちが昔から知っている「日」という字をグラウンドに書いて、その後ろとか横に外野の枠も書いてやるドッジボールとはルールが全然違ったので、初めは「なんやこのドッジボールわけ分からんなぁ」って思ってたけど、見ているとルールも分かってきて純粋に「このドッジボール面白そうやな」と思った。アメリカのドッジボールってあんなんなんやろか?けど、ちょっと子どもには危ないよね。

物語はビックリするほど単純で、出ている奴らは「個性的」というか変な奴ばかり。マトモなのは、ビンスボーンと弁護士のクリスティーンテイラーだけやん。あ、この弁護士も最後にちょぴっと驚かせてくれるんだっけ。(このクリスティンテイラーって、ベンスティーラーの奥さんなのね。)

その変人たちの中ではドンくさいマニアックスポーツおたくのゴードンスティーブンルートが一番面白かったかな。彼がいなかったらこのドッジボール大会に出ることもなかったわけだしね。

ま、実際ドタバタコメディのシチュエーションをドッジボール大会にしただけの映画ですが、ベンスティーラーの笑いが好きな人には




トゥルークライム

2006-06-22 | シネマ た行
以前にも書いたかもしれないが、ワタクシあんまりクリントイーストウッドが好きというわけではなかったので、彼が中心になっている作品を映画館に見に行くということはほとんどしたことがないので、この「トゥルークライム」も先日のテレビ放映でやっと見た。

この中のイーストウッドはいつも通りのイーストウッドではあったけど、あの歳で女にだらしないという役をやって、20代の女の子にバーでキスしたりするシーンはちょっと引いた…年配の人の恋愛を否定はしないけど、妻も子供もいていい歳した男があれではイーストウッドと言えどもちょっと気持ちが悪かった。それにしても、あの歳格好で考えると子どもが小さすぎはしないか?もちろん、現実的にありえないとは言わないけど、高齢でできた子だから溺愛しているとかいう特別なシチュエーションでもない限り結構不自然に映っちゃってたと思うんですよねー。「ん?これは孫?」ってね。

まぁ、その辺りは物語の本筋にはあんまり関係のないことで、本筋のほうはと言うと、死刑執行を待つ犯人の取材を申し付けられたイーストウッドがその事件を紐解くうちに真犯人は別にいるんじゃないかと疑い始めるが、死刑執行はもう今日に迫っている。さぁ、このいい加減な男が無実の男を助けられるか、という手に汗握るヒューマンドラマです。

それにしても、アメリカ映画界は死刑を目の前にした人間をドラマにするのが好きだなぁ。まぁ、それが本当に悪い奴だったとしても無実の罪に問われた場合でもすごくドラマになりやすいというのはありますよね。この作品もあと何分で無実の人が死んでしまうぅぅ~というスリルがあって死刑制度そのものを問うという感じもしなかったので、素直にサスペンスの部分を楽しむことができました。

イーストウッドと丁々発止やりあう編集長のジェームズウッズも光っていた。たまに「なんで?」と思うくらい中途半端な役をやっているけど、ここではいい味を見せていたと思う。

タイヨウのうた

2006-06-14 | シネマ た行
ネタバレあり。

試写会が当たったので行ってまいりました。

79%が星五つをつけたというふれこみですが、、、

正直、星五つかと言われるとちょっとそれはつけすぎかなーと思いますが、いい映画ではありました。

ワタクシはこういう不治の病系のお話では、恋愛関係にある相手との関係よりも親子の関係に泣いちゃうタイプなので、今回も最後のあたりでは主人公の女の子YUIと両親岸谷五郎麻木久仁子のやりとりに涙した。

前半の演出はまどろっこしいところもあるが、全体的にストレートな演出でそれがこのヒロインと相手役の塚本高史くんの恋愛の素直な感情を表していたようで映画全体をいい雰囲気が包んでいた。この高校生の恋人を演じる二人が変にこなれてなくて、クサくなり過ぎず、演技はうまいんだか下手なんだかよく分からんけど、それがまたこれくらいの年頃の恋人たちのぎこちなさのようでまた良かった。

子どもの頃から特殊で悲しい悩みを抱え続けてきたヒロインが「生きて生きて生きまくってやるんだから」とまで思う過程とそう思わせる彼の「かっこよくない優しさ」を同世代の観客は自分のことのようにとらえ、世代が上の観客は幼い恋人たちを見守るような気持ちになって見てしまうことだろう。

YUIのストリートライブの様子も過剰な演出ではなく“なま”な感じを出せていたと思うし、あれだけの歌唱力ならあれだけ人が寄ってくるのも、ラジオで流してもらえるのも十分に信じられるというものだ。

大きく期待すると「なぁんやたいしたことないやん」となってしまうかもしれないけど、そこそこの期待で素直な気持ちで見ると良いでしょう。

オマケYUIの熱唱を見ていると大声で歌いたくなってしまう人も多いかも。帰りの車の中で大声を張り上げて歌いながら帰ったワタクシでした。

トリック劇場版2

2006-05-31 | シネマ た行

参りました。

ワタクシ、ドラマもスペシャルも劇場版「1」もどれも1秒たりとも見たことなかったんですけど、試写会が当たったので行きました。「トリック」って面白くてかなり人気あったらしいけど、どんなんなんやろー。と思いながら行ってきました。

いやー、参った参った。めちゃめちゃオモロイやないけー。

もう、大声で笑いまくり。笑う箇所が多くてもうどこで笑ったかひとつひとつの場面をあげることができないくらい。もちろん、冒頭からクスクス笑いはあったんですけど、島から船で出発するときに「雪国~」「おら東京さ行くだ」とか他にも何個も意味不明のこと言って、そのあと「○○○」(もう失念)って言った人に「それは千昌夫」と突っ込んでいて、“なんのこっちゃ”と頭ん中が「?」だらけになっていたんやけど、

「ん?さっきのは吉幾三の曲名ばっかり???ん“よし、行くぞー”

ぷっ…

そういうことかよ…。くっだらねぇーーーーっ!けど、笑けるっーーー!

と、思った瞬間から「これはボーっとしていてはこの先もいっぱいギャグを聞き逃すゾ」と思って気合を入れました。って気合を入れるような映画じゃねぇー。

が、しかし、ポケっとみていては何も面白くないぞ。君はこのギャグの応酬にどれだけついていけるかっけどこのナンセンスギャグにハマらない人にはなーーーーーんも面白くないぞ。それどころか、きっと腹さえ立ってくるかもしれん。ワタクシはどツボにハマりましたが。

別にナンセンスギャグが好きなわけではないんですけどね。やっぱりこのバカバカしさをこの豪華キャストでやってしまうところに最大の面白さがあるんやと思います。
阿部寛の絶妙の間と“キレイなお姉さん”仲間由紀恵のボソっと言うツッコミ&大声でかますボケ。こんな演技ができちゃう二人もすごいけど、何と言っても、堤幸彦監督って偉大。だってこの人「明日の記憶」も監督しちゃってるんですよ!信じられますか?

いままで「トリック」を1秒たりとも見なかったことを大反省。これからDVDでチェックしたいと思います!


ダ・ヴィンチ・コード

2006-05-29 | シネマ た行
読んでから観るか、観てから読むか、
それが問題だ。


少しだけネタバレあり。

原作がベストセラーである映画の場合、どちらか迷うものだ。映画化が決定していない時点で本を手にした場合は別として、映画化か決まっている場合、観るまで待とうか、先に読んで予習しようか迷う。「自分は必ず観てから読む」とか「読んでから観る」とか常に決めている人にはそれぞれこっちのほうがいいという言い分はあるだろう。ワタクシの場合、特に決めているわけではないのだけど、基本的には観てから読むほうが多い。それは原作の存在を映画化によって知る場合が多いからかもしれない。

今回「ダヴィンチコード」に関しては、映画館で予告編が流れるようになってから公開までは非常に長く、原作が非常に話題になっていて、ちょうどそのとき読みたい本がなかったことなんかが重なってついつい手を出してしまった。というわけで、「読んでから観た」派の意見として感想を書きます。

原作を読んでいた時点で、映画のキャスティングは公表されていたので、登場人物はすでにワタクシの頭の中でトムハンクスやらオドレイトトゥがちょこまかと動いていたから「読んでから観る」場合によくある、「この人じゃない」っていうことはなかった。これがクリアになることで、「読んでから観る」ということの難点はかなり克服できたと思う。

お話のほうはというと、こういうミステリー、サスペンス系の場合、犯人やオチが分かっている状態で観るということにはかなり難があると思う。オチが分かっていても平気で観れるタイプの人もいるがワタクシはそういうタイプではないのでちょっとつらかった。(だったら観る前に読むなよってことなんやけど、、、ついつい手を出しちゃったのよねー

「小説を映画化したもの」というカテゴリーの中ではこの作品はよくできているものではないだろうか。原作を読んでなかったにゃおに聞くと内容はよく分かったらしいし、ジャンレノなんかは、原作者が彼をイメージした役として書いたらしいからもちろんピッタリだったし。ただ、どうしても原作を知っていると「ここをはしょったんやなー」とか「ここは説明ナシで、みんな納得するんか?」とか考えながら見てしまう。当然、主役の二人が襲われるシーンや犯人も知っているわけだからビックリもしないし…

というわけで、ま、ミステリー要素が強い物語でワタクシ自身も犯人を知っていたからドキドキできなかったわけだから、あんまり内容については触れないでおきますが、映画でドキドキしたい人にはワタクシといたしましては断然「観てから読む」ほうをオススメします。その場合、内容の意味深長さはあまり理解できないかもしれませんが…(敬虔なカトリックの人に言わせればこの物語が“意味深長”だなんてちゃんちゃらおかしいんでしょうけどね)先に読んでいるとどーーーーしても映画のほうが薄っぺらく感じてしまうと思います。ちょっと原作の情報量が膨大すぎて苦しかったんだろうなー。

とは言え、一応キリスト教にあんまり詳しくない人は、
マグダラのマリア、テンプル騎士団、聖杯、フィボナッチ数列、、、などのキーワードについては少し調べてから行ったほうがいいかもしれませんね。

オマケ1オドレイトトゥはあんまり好きじゃないんですが、最後の水の上を歩こうとしてから、「水をワインに変えるのならできるかもしれないわ」って言うシーンは可愛かったですね。

オマケ2原作にあった、ラングドンはアメリカ人だからミッションの車を運転できないっていうお茶目なシーンは残して欲しかったな。