薔薇ひらくふるへともなり生きゆかむなき母のため韻律のため
浜田到さんから
わたしが聖堂をなつかしく思うのは、ひとつにはその場所が世間の喧騒から隔たった静けさをたたえていること、それから聖母マリアのゆえと思う。
うらわかい、きよらげな母。
彼女はわが子が「神の小羊」として無残な死を迎えることを知っていたのだろうか?
理想化され、清楚な美貌の聖像は、みつめるわたしの眼に、ただひいやりとやさしい。
浜田さんの歌に母が頻出する。この母も、どことなく現実から離れた、聖母のようなヴィジョンをくれる。
わたしの歌う母も、たぶんそうなのだろう。
無垢の母性へのあこがれ。
この夏、思いきって、自分のちいさな会を催すことにした。
ずっとやりたかったこと。
どうしたらいいだろうと迷いながらも、友人たちが力を貸してくれた。
宮沢賢治の童話。
夏の暮れがたのほのかな青い幻燈のような蟹の父子の会話。
せせらぎの上を流れゆく熟れたやまなし、その発酵した甘い酒の匂いが、水にあふれ、水泡が浮かんでは消え……。
ふしぎなことに、蟹の母親が登場しない。
母性を欠いた賢治の世界。
なにをほのめかすんだろう?
銀河鉄道の夜でも、たしかお母さんは病臥していたのではなかったかしら。
ストレートな母恋よりも、秘められた賢治の哀愁は深いのかもしれない。
三味線のつまびき、朗読詩劇で。
雪の会を。
読んでるだけで、ワクワクドキドキです。
そして、素晴らしいご友人の方々。
きっときっと、素敵な会になることでしょう。
その場に伺うことが出来るなら。。。/kirakira/}
おはようございます。
ありがとう、沙羅さま。
いろいろ考え続けていたんですが、どんなかたちでもいいから、はじめてみようと。
銀座の貴族を使わせていただけることになりました。
東京に遊びにいらっしゃるついで、銀ブラ(古語か!)に覗いてくだされば。
夢まぼろしのようなひとときをつくりたいなと思っています。