下総(千葉県)香取郡の長部村は明和年間(1764~71)には四十軒ほどの農家があったが、つぎつぎにつぶれる百姓がふえてきて、天保元年(1830)には二十二軒に減ってしまい、しかもそのうちの二十一軒までは農業専業ではやっていけずに木挽(こびき)で賃金をかせがねばならない始末だった。 . . . 本文を読む
あんまり変化の中心点に近すぎると、何が起こっているか分からなくなるものなんですよ。ロンドンのように毎日、新しい産業が興(おこ)っているようなところでは、どうしてもそれに流されてしまう。やはり距離を置いて、一泊(いっぱく)遅れで情報が伝わるようなところでないと、本質は見えてこないんだということでしょう。 . . . 本文を読む
近代科学の方法論はデカルトの要素還元主義に発すると言っても過言ではない。考える系を要素に分解し、単純化すれば理想状態として扱え、適用する(成立する)法則も簡明になるから、解が得やすくなる。このような分析手法こそ科学の王道と考えられてきた。事実、近代科学の300年はこの方法によって成功してきたのである。 . . . 本文を読む
本当に死にゆく人に「恐がらなくてもいいよ」といえることができれば、なんと素晴らしいことでしょう。でも、「なに」かをつかみ、悟っていなければ、そのようにいうことはできません。その「なに」とはなにか。このように問うとき、私の心の中に常に生じてくるのが、前出した釈尊が菩提樹の下で悟った後に語った、「私は不生不老不死の世界に触れた」という言葉です。 . . . 本文を読む
何をすべきか迷ったときは与える側をとるに越したことはない ( トニー・クリーヴァー ) When in doubt as to what you should do, err on the side of giving. ( Tony Cleaver ) . . . 本文を読む
(2005年)10月29、30日の両日、七福醸造株式会社主催の100kmウォークに参加した。といっても、歩いたわけではなく、56km地点のサポーターとしての参加だ。今年の100kmの挑戦者は426名。年々増加している。今回サポーターをしながら経験した出逢いを時間の経過とともに振り返ってみた。カッコ内はゼッケン番号を示す。 . . . 本文を読む
神話尊重は軍国主義であり、神話を歴史教育から追放しなければいけないという訳のわからぬ強迫観念が半世紀もつづいてきたのだ。神話に国の起源を求めることはタブーだった。かわりに外国の記録なら、どんなに薄っぺらな内容でも、どんなに無責任な記述でも、国の起源を托すに足る立派な「歴史」なのであった。そして、そうしているうちにいつの間にか邪馬台国と卑弥呼をもうひとつ別の意味で「神話」に祭り上げてしまったことには気がつかないのだった。 . . . 本文を読む
人間の意志を100表現することのできるものは、文学でも言葉でもないと思う。なぜかといえば文字や言葉は、ときには計算された嘘も入る。場合によっては都合の悪い所は訂正もでき、消してしまうこともできる。
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あなたの肉体を含むこの宇宙の万物には、目に見えない生命力があふれている。このことにもっと意識を向けることだ。薔薇(ばら)が薔薇として、カブト虫がカブト虫として生きているのも、惑星が一定の規則で運行しているのも、そしてあなたがあなたであるのも、すべては同じ宇宙の知恵のなせるわざなのである。 . . . 本文を読む
「急迫ハ事ヲ敗(やぶ)ル、寧耐ハ事ヲ成(な)ス。」せいては事を仕損じる。人間ができていないと、ギリギリ決着の場で、うろたえて軽率な裁断を下し、臍(ほぞ)を嚙む。そういう時こそかえって沈着に構え、熟考断行すべきである。「寧耐」とは「やすらかによく耐えること。」心静かに落ちつきはらって、寄せ来る困難や苦痛に耐え、ともすると熱くなる感情を抑えて、機会到来とともに一挙に事を決すべし。佐藤一齋は別項でも「処シ難キノ事ニ遇ハバ、妄動スルコトヲ得ザレ。須(すべか)ラク機(き)ノ至ルノヲ候(うかが)イテ之ニ応ズベシ」といっている。 . . . 本文を読む
30年前の今ごろ、私は『団塊の世代』という本を執筆していた。その時に名付けた「団塊の世代」が今50代の後半を迎え、2007年から順次定年になる。非常に悲観的な話が横行しているが、私の見方は違う。団塊の世代が定年になると、日本の社会全体が変わり、新しい輝かしい時代を迎えるだろう。団塊の世代の定年を逆に見れば、終身雇用から外れた、新しい自由な労働力が大量に市場に出るということだ。これは雇う側から見ると、ものすごく有利な条件が出てくる。 . . . 本文を読む
大学教員が「平和」「人権」「国民主権」くだらないです! って突然言ったら、何なんだって思われますよね。いきなりそんなことを聞かされても。「平和、人権、民主主義は素晴らしいものです。しかも矛盾しません」っていうのが日本人の価値観ですから。 . . . 本文を読む
2・26事件においては、論理が消滅してしまった。言葉のうえの論理だけではなく、政治の論理も軍隊の論理も法の論理も何もかもだ。決行部隊は、尊皇義軍であると同時に反乱軍である。また、尊皇義軍でもなく反乱軍でもない。 . . . 本文を読む
以上、「魅力」について、いろいろと述べてきたが、「では、魅力とは何か」と開き直られてみると、「いわく、言い難し」と答える以外に適当な言葉がない。「魅力」とはことほどさように説明しにくいものである。第一に「魅力を出そう」と思ったところで出てくるものではないし、また、前にも触れたが、それがある人にとっては魅力であっても、他の人は「何も感じない」と、そっぽをむくかもしれない。それでいながら、「魅力がある」ということも厳然たる事実だし、「魅力がない」ということも、また厳然たる事実である。しかも、最後にものをいうのはやはり、魅力である。 . . . 本文を読む