電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
( シュヴァイツァー )

悪魔の思想 《 横田喜三郎――倒錯の理論による「東京裁判」の正当化/谷沢永一 》

2024-08-06 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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東京裁判が結審する前、まだ進行中であるうちに、横田喜三郎は絶好の理論的根拠を提供しました。いわく「戦争犯罪の理論については、実質に重きをおかなくてはならない」と。その場合に言うところの「実質」とは、なんでしょうか。その「実質」とは、ほかならぬ日本の「侵略的戦争」であり「暴虐行為」であります。この「実質」は既定の事実ですから、今さらあらためて証明する必要はない、というのが横田喜三郎によるマフィアも顔負けの暴論です。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p125 )

〈反日的日本人第1号・横田喜三郎(よこたきさぶろう)への告発状〉
第5章 栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

  横田喜三郎
  明治29年生まれ、東京帝大卒。東大教授、最高裁長官を歴任。昭
  和56年、文化勲章受賞。“東京裁判史観”の初代煽動者。平成5
  年没。

  東京裁判は無理矢理に行なわれた私刑(リンチ)でした。基準とすべ
  き拠(よ)るべき法律がなかったからです。開廷を命じたマッカーサ
  ーはのちに帰国したとき、東京裁判は間違いだったと証言しました。
  しかるに、その違法であり無法である東京裁判を、これこそ正当で
  あると全面的に支援し、そのためにあらゆる屁理屈(へりくつ)を総
  動員して、東京裁判を神聖化し合理化しようと努めたのが横田喜三
  郎です。進駐軍に身をすり寄せて阿(おもね)った第1号がこの東京
  帝国大学法学部教授でした。

5-7 倒錯の理論による「東京裁判」の正当化

横田喜三郎は、自分の眼で納得のゆくまで調べて、それからおもむろに判断を下すという、実証精神とは初めから縁のない人です。東京裁判では「侵略的戦争」と言われている。だから日本は「侵略的戦争」をしたんだ。東京裁判では「暴虐行為」と言われている。だから日本は「暴虐行為」をしたんだ。ただこれだけの単純な思いこみで議論が進められてゆくのです。そこで横田喜三郎における理屈の立て方が、次の一節に代表されます。

  しかし、重要なのは実質である。実質的に、犯罪としての性質を有
  するか、したがって処罰されるべき理由があるということである。
  もし実質的に十分な理由があるならば、形式上のささいな不備など
  は、しいてこだわるべきではない。
               (『戦争犯罪論』「はしがき」5頁)

つまり厳粛な「実質」が先にある。その枢要(すうよう)な「実質」とはなにか。すでにおわかりいただけたでしょう。その「実質」とは、実は「侵略的戦争」および「暴虐行為」なんです。なんと乱暴で無茶苦茶な、天を下に地を上にひっくりかえしたような倒錯の論理ではありませんか。

東京裁判は一場の茶番であり、残忍な私刑(リンチ)ではありましたけれど、少なくとも法理に即した裁判であるという格好だけは整えていました。結論は初めから決まっていましたけれど、そういう奥の院の取り決めは噯気(おくび)にもだすようなヘマはしなかったですよ。裁判官の誰もが予断を持たないという建て前で、裁判は粛々と進行しました。

そして“慎重”にして“綿密”な“審議”の結果、やっとのことで日本が「侵略的戦争」と「暴虐行為」をしたと、漸(ようや)く“証明”されたのです。

この、慎重と綿密と審議と証明がことごとく嘘であり虚喝(はったり)であることは言うまでもありません。しかし、少なくとも東京裁判は、見せかけだけだけれど裁判の進行という演技を世界に示しました。すなわち、結論は裁判が進んでから達しえられたのです。東京裁判はなかなかもって“民主的”でしたねえ。

それに較べて横田喜三郎は、裁判が結審する遥か前に、被告が「処罰」されるべきであることを断固として主張しています。さきに述べたとおり、東京裁判では昭和23年4月16日結審、その年の11月4日から12日まで、判決文の朗読および刑の宣告が行われました。

一方、横田喜三郎の『戦争犯罪論』の「はしがき」の日付けは昭和22年3月です。すなわち昭和21年4月29日に行なわれた東京裁判の起訴状発表から早くも11ヵ月目、判決文の朗読よりもなんと20ヵ月も前に書きあげられたわけです。外国人による東京裁判へ日本人を売りとばすために、夜を日についで執筆に励まれたのでしょうねえ。

こうして東京裁判が結審する前、まだ進行中であるうちに、横田喜三郎は絶好の理論的根拠を提供しました。いわく「戦争犯罪の理論については、実質に重きをおかなくてはならない」と。その場合に言うところの「実質」とは、なんでしょうか。

その「実質」とは、ほかならぬ日本の「侵略的戦争」であり「暴虐行為」であります。この「実質」は既定の事実ですから、今さらあらためて証明する必要はない、というのが横田喜三郎によるマフィアも顔負けの暴論です。すでにして、これは「実質」であります。議論の余地はありません。この「実質」が「実質的に、犯罪としての性質を有する」場合には「処罰」するにあたって、「形式上のささいな不備などは、しいてこだわるべきではない」というのが横田喜三郎のご託宣(たくせん)です。

誰でも常識でよく知っておりますように、法の根本は公正にして遺漏(いろう)なき手続きの厳守でしょう。たとえば新旧共産主義諸国において通有であるように、法律の条文がどれほど見事に整っていたにしても、その運営の手続きが共産党の強権で勝手気儘(きまま)に左右されている場合は、本来の民主主義的な法治国家とは申せません。

神は細部に宿り給う、でありまして、法律の生命(いのち)は「形式上のささいな不備」などけっしてあってはならないと、当事者自身が注意する細心な運用の自戒によって保たれます。

しかるに、法律のその生命(いのち)である貴重な細部の取り決めを、この際は安心して、気にしないで踏みにじりなさいと、横田喜三郎は東京裁判へ支援の申し出を送りこんだわけです。問題はなにをおいても「処罰」しなければならないんだから、訴訟法における「形式上のささいな不備など、しいてこだわるべきではない」というわけです。

言うまでもありませんが、「ささいな不備など、しいてこだわるべきではない」という乱暴な自棄(やけ)っ鉢(ぱち)の出たとこ勝負で行なわれる「処罰」は、これはもうすでに裁判ではなく放埓無残(ほうらつむざん)な私刑(リンチ)にすぎません。だから、横田喜三郎は明敏に見通しがよくて賢明でした。彼は東京裁判が私刑(リンチ)であることをはじめから見ぬいていたのです。そのうえで私刑(リンチ)を積極的に応援しようと、いちはやく決意しました。私刑(リンチ)で宜(よろ)しいではないか。私刑(リンチ)で結構ではないか。連合国のお好きなようにどんどん冷酷におやりなさい。憎っくき日本のいわゆる「戦争犯罪人」を思いっきり厳重に「処罰」してください。そのために、できるだけのお手伝いをいたしましょう、と、頼まれもせぬのに進んで乗りだしたというわけです。

そのために捏(で)っちあげた屁理屈の要(かなめ)となる鍵語(キー・ワード)が「実質」でした。証拠でもない、論証でもない、頭から決めてかかった独断による判定を意味する「実質」でした。その「実質」とは、日本が「戦争犯罪」を犯した、という東京裁判の認定でした。この認定を横田喜三郎は絶対に疑うことのできない真実であると判定し、その一方的で排他的な判断を、「実質」という、法律用語かなんだかわからぬ押しつけがましい言葉におきかえて貫きとおすという手を思いついたわけです。多少は繰り返しになりますが、横田喜三郎の「実質」論議を一覧に供しましょう。

十把(じっぱ)ひとからげに謝罪せよとの雄叫(おたけ)び へつづく
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