電脳筆写『 心超臨界 』

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桑の葉がやがてシルクのガウンになる
( 中国のことわざ )

日本史 古代編 《 鎌倉新仏教――5世紀早い、日本の宗教改革/渡部昇一 》

2024-05-25 | 04-歴史・文化・社会
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鎌倉仏教は、たいへん簡単な庶民風なもので、金のかかる美しい仏画も仏像も不要で、弥陀の名前を字で書けばよい、字が書けなければ、口で言えばよい、という浄土称名往生(しょうみょうおうじょう)宗(浄土宗、一向(いっこう)宗、時(じ)宗など)や、南無妙法蓮華経とお題目を唱えればよい日蓮宗なのだ。禅宗ともなれば、「仏とは何ぞや」といった調子のもので、仏堂にお釈迦様の像ぐらいは置いたとしても、べつに名作である必要もないし、坐禅をやるところは何もない雨天体操場みたいな殺風景な所である。平安期において日本で発達した芸術は完全に壊滅した。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p275 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(3) 平安仏教――オカルテズムの定着

◆鎌倉新仏教――5世紀早い、日本の宗教改革

16世紀に聖フランシスコ・ザベリオ(ザビエル)が日本に来たとき、「ここにもルターの猫(ねこ)がいる」と言ったそうである。その発言の前後を考えてみると、それは浄土宗や真宗系や法華(ほっけ)宗や禅宗の、つまり鎌倉以後の新仏教の坊さんと話したためらしい。

法然上人源空(げんくう)(浄土宗の開祖)は、もともと天台宗の隠者であった。しかし、この上人(しょうにん)は隠遁して護摩を焚かない。この現世は罪悪に満ちているので、ここで救われようという気を捨て、ひたすら、阿弥陀仏の慈悲にすがることを説く。信仰だけに価値があるとする。救ってくれるのは弥陀(みだ)の本願なのである。現世のご利益(りやく)は問題にしない。普通の宗教論から言うと、現世のご利益を願う宗派よりも、はるかに高級であり、宗教の本質に近いと考えられる。

しかし、この教義は二つの点において、きわめて危険な因子をはらんでいた。

その第一は、何をしようが、信心さえあれば阿弥陀の慈悲で救われるのだから、どんな悪いことをやってもかまわないということになる。

これは誤解であろうが、そうした誤解はさらに進んで、ほかの宗派の人が、戒律を守ったり、善根を積まなければならないと考えるほうが、間違っているというところまで進む。かえって、善根を施したり、学問をする人の悪口を言うような信者までも出てくる。また信者の中には、平気で悪事をする人間が出てきて、宗祖の法然上人や親鸞上人が、かえって迷惑するようなことがままあったのである。

似たようなことは日蓮宗にも言える。この宗派は、阿弥陀の代わりに法華経を信じて、そのお題目を唱えればよいという。禅宗も悟ればよいので、善根とか何とかは問題にならない。つまり鎌倉仏教は、個人の信仰問題に重点が移るのである。その宗教を信じない人から見ると、独善としか見えない行為が増えてくる。

これと関連して第二の危険が起こる。それは鎌倉の新仏教は、仏教芸術を不要にするからである。

平安朝の密教はオカルティズムであるが、それは別の見方をすれば、仏像仏教とも、偶像崇拝仏教とも言いうるものであった。したがって密教では仏教を、特に名作の仏像仏画の製作を、ひじょうな功徳(くどく)として奨励した。一つの寺を造れば、美しいお堂がいっぱいあり、入念に造られた仏像や仏画が多く置かれるのであった。

そしてまた平安朝の往生(おうじょう)思想は、相好円満(そうごうえんまん)の弥陀を観じ、七宝(しちほう)合成の(七種の財宝で彩られた)浄土を念ずるのであるから、お祈りするときは目に荘厳(そうごん)浄土の絵を見、相好円満の弥陀を見る必要があった。

そこから奈良法華寺(ほっけじ)の弥陀とか高野山の聖衆来迎(しょうじゅらいごう)のような名画やら、京都太秦寺(うずまさでら)の弥陀、金剛院の弥陀、鳳凰堂の弥陀、法界寺(ほうかいじ)の弥陀、浄瑠璃寺の九品(くほん)阿弥陀九体などの国宝級の傑作が続々と生まれたのである。

目に荘厳浄土を見たいという宗教は、今でいえば、LSDによって日常生活にない精神の世界を見るというのと、一脈通じているのであって、オカルト志向なのである。ただLSDは廃人しか作らないが、密教のほうは美しいイメージの作品を後世に残すという利点がある。

ところが鎌倉仏教は、たいへん簡単な庶民風なもので、金のかかる美しい仏画も仏像も不要で、弥陀の名前を字で書けばよい、字が書けなければ、口で言えばよい、という浄土称名往生(しょうみょうおうじょう)宗(浄土宗、一向(いっこう)宗、時(じ)宗など)や、南無妙法蓮華経とお題目を唱えればよい日蓮宗なのだ。

禅宗ともなれば、「仏とは何ぞや」といった調子のもので、仏堂にお釈迦様の像ぐらいは置いたとしても、べつに名作である必要もないし、坐禅をやるところは何もない雨天体操場みたいな殺風景な所である。平安期において日本で発達した芸術は完全に壊滅した。
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