電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

これが分をわきまえた農業なのだろう――木村秋則さん

2008-03-04 | 09-生物・生命・自然
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「農業の未来」木村秋則さんに聞く
分をわきまえた自然栽培――温故知新の知恵活用
【「シニア記者がつくるこころのページ」08.02.28日経新聞(夕刊)】

  [1] 無農薬・無肥料栽培
  [2] 温故知新
  [3] 環境汚染


[2] 温故知新

温故知新という言葉が好きだ。
私がやってることは昔の人の知恵

農薬、肥料、除草財を使う慣行農法で反収(1反=10アール当たりの収穫高)10俵の収穫がある。それ以上の収量も可能かもしれない。しかし、それは永続的農業ではない。

徳川家康時代は関東でよく取れて反収3-4俵だったという。「私はもちろん肥料も農薬も何も使わない。無除草で9俵の収穫が当たり前となっている」。木村さんの栽培技術がそこまで高まっているということだろう。ふつう自然栽培で7俵とれれば十分という。放置されている農地が三割ある。しかも三割の米余りの時代。「この栽培はちょうどいい。だれがやっても7俵はとれる」。これが分をわきまえた農業なのだろう。

秋田の大潟村では二千戸以上の農家があるが、石山範夫さんは、木村さんの指導で初年度から反収8俵をあげた。干拓地の一番条件の悪い砂地でこれほど収穫できたことで自信をもって有機農法から自然栽培へ転換した。昨年、「死ぬまでかかる」と言われた借金を完済した。大潟村では数少ないうちの一人だ。

講演ではこういう例え話をする。「皆さんの農業は、1万円の売り上げで7千円の経費をかけているんですよ。肥料、農薬、機械にかかる費用です。あなたがたの給料は出ていないんですよ」と。「私の栽培は無肥料、無農薬、機械も徹底的に長持ちさせている。5千円の売り上げから経費を1千円に抑えたら、どっちが得ですか」

自然農法と言わず自然栽培というのにはこだわりがある。「単なる農法ではない。経済がともなって食っていかないと意味がない。生活ができないとやめざるを得ない。反収7俵で十分に食べていけます。大規模生産ほどこの自然栽培は合うんです」

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