電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

生きるための杖ことば 《 荊棘林中一条路——松原泰道 》

2024-06-14 | 03-自己・信念・努力
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とかく迷い易いのが路である。人生の毎日もはじめての路だから迷わざるを得ない。大切なのは「わけゆけば」の行く手を切り開く静かな情熱であろう。それによって目的の頂きへ達しられて「こまぞいさめる」となる。こまは当時の乗馬であるが、心の馬――意馬にも通じる。「意馬心猿(いばしんえん)」との熟字があるように煩悩や欲情のおさえ難いのを、馬の暴走や猿のさわぎたてるのに譬(たと)える。ゆえに「こまぞいさめる」のは、目的地に達した馬の喜びとともに、心を諫(いさ=勇)めるにかかる。


◆荊棘林中一条路(けいきょくりんちゅういちじょうのみち)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p158 )
  
荊棘林は、さきに記したように人間の持つ煩悩や知性など、求道者の進路を妨げる諸現象を象徴する。いばらやからたちが、私たちの衣服をほころばせ、手足を傷つけるように、煩悩や知性が求道者の行く手をさえぎるから、禅者はつねに「難透難解(なんとうなんげ)」と警戒する。求道者に修行が要望されるゆえんである。

禅の修行はさておき、「荊棘林中一条路」を、人生の険路をたどるときの“杖ことば”として座右に備えることをおすすめする。この語を道歌(どうか=仏教の精神を詠(よ)む歌)にしたのが、西国(さいごく)三十三番の第四番の札所、槇尾山施福寺(まきのおざんせふくじ)の詠歌「みやまじや ひばらまつばら わけゆけば まきのを寺に こまぞいさめる」であろう。この札所を目の前にして胸をつく急坂が、巡礼を厳しい表情で迎える。途中にも“檜原(ひばら)越え”の難所がある。ひばらまつばらが、すなわち荊棘林だ。

とかく迷い易いのが路である。人生の毎日もはじめての路だから迷わざるを得ない。大切なのは「わけゆけば」の行く手を切り開く静かな情熱であろう。それによって目的の頂きへ達しられて「こまぞいさめる」となる。こまは当時の乗馬であるが、心の馬――意馬にも通じる。「意馬心猿(いばしんえん)」との熟字があるように煩悩や欲情のおさえ難いのを、馬の暴走や猿のさわぎたてるのに譬(たと)える。ゆえに「こまぞいさめる」のは、目的地に達した馬の喜びとともに、心を諫(いさ=勇)めるにかかる。この詠歌は、北原白秋の次の詩を思い出させる。

  からまつの林の奥も
  わが通る道はありけり
  霧雨(きりさめ)のかかる道なり
  山風のかよふ道なり    (水墨集)

荒野の路は、自分が「わけいって」こそ路となるのを思うべきだ。
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