植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

最後の授業

2006年11月13日 19時14分12秒 | 国:フランス
 皆さんは、授業でフランスのアルフォンス・ドーテの「最後の授業」が教材に使われていましたか? この作品は、フランス統治下にあったアルザス・ロレーヌ地方がドイツ領となった為に、先生がこれ以上生徒にフランス語を教えることが出来なくなったと言い、そして「最後の授業」を行うといったもので、学生ながら支配する国が変わることが大変なことだということを漠然と感じたもので、大人になっても唯一といって良いほど、記憶に残っている物語でした。

 このアルザス・ロレーヌ地方とは、ドイツ語読みすると、エルザス・ロートリンゲンとなり、「ハプスブルグの宝剣」で、主君フランツ・シュテファン・ロートリンゲンが治めていあのたロートリンゲン公領のことです。
 作品では、アルザス・ロレーヌ地方は、フランス領でもともとフランス語が話されていたように扱われていますが、実はフランク帝国崩壊後は、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一領土として、ロートリンゲン公領の支配下にあり、ドイツ語系のアルザス語が使われていました。これが、「ハプスブルグの宝剣」でも語られた通り、マリアテレジアとフランツの婚姻と、ポーランド継承戦争の結果、フランス領になります。
 この地は、両国を唯一繋ぐ防衛上の要であり、また鉄鉱石・石炭を産出する重要な地であることから、以後両国で取り合いとなります。「最後の授業」が新聞に連載されだした1871年は、前年に普仏戦争で、フランスはプロイセン(ドイツ)に負け、同地を手放しており、それによってドイツ批判の世論の高まりを得て掲載されました。
 その後、ドイツは第一次世界大戦で負けると同地をフランスに割譲され、さらにナチスの断頭により第二次世界大戦が勃発し、パリが陥落すると同地はまたもドイツ領とされます。そして、大戦後は再びフランス領となり今に至ります。
 この様なフランスとドイツの遺恨の地であることから、州都ストラスブールには欧州の主要な機関の本部が置かれております。

 なお「最後の授業」は言語の多様性を否定する政治的な作品ということで、1985年以降は教材として学校では使われなくなったそうです。信念を持ち熱心に生徒に接する先生の姿はとても好印象を持っていただけに残念でなりません。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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