植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ポーランド継承戦争②

2006年11月08日 22時37分59秒 | 国:ドイツ・オーストリア
前回に続いてポーランド継承戦争についてです。
ザクセン公兼ポーランド王フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王としてはアウグスト2世)が1733年に死亡すると、ザクセン公位は息子であるフリードリヒ・アウグスト2世が継ぎますが、ポーランド王位は貴族による選挙で決めるためすんなりとは継げません。
選挙では大北方戦争の最中にスウェーデンに擁立されたスタニスワフが、ポーランド人であることから多くの貴族に支持され当選し、スタニスワフ1世として即位します。しかし、一部の反対貴族はザクセン公を推し、アウグスト3世としてしまいます。
これによってポーランドは内乱状態に陥ります。これに付け入ったのがロシアとオーストリアです。両国はアウグスト3世を支持し、ロシアがポーランドになだれ込み、自前の兵力を持たなかったスタニスワフは、娘の嫁ぎ先であったフランスに亡命します。これが後に、ポーランドがプロイセン・ロシア・オーストリアに分割される基盤となります。
その後は、オーストリアとフランス・スペインの戦いとなります。スペインはスペイン継承戦争で失ったナポリ・シチリアを奪還するためにオーストリアに攻め込みます。
戦況は、オーストリアが劣勢で終わり、フランスはドイツとの国境であるロレーヌ(ドイツ名ロートリンゲン)を、スペインはナポリ・シチリアを占領します。

これがそのまま両国の領土となり、代わりにオーストリアはパルマを得、ロレーヌ公は世継ぎがいないトスカーナを与えられます。
そしてアウグスト3世はポーランド王位を認められ、スタニスワフは1代限りロレーヌの地と、ポーランド王を名乗る権利を与えられました。

このポーランド継承戦争は当のポーランド国民とは無縁の元、列強の思惑だけで終結します。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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