植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ポーランド継承戦争①

2006年11月05日 10時36分57秒 | 国:ドイツ・オーストリア
ちょっと間が空きましたが、ハプスブルクの宝剣の舞台裏と言うことで、今日はポーランド継承戦争について書き込みます。

まず、前史として16世紀のポーランドはマグナートと呼ばれる貴族の権力が拡大し、王は選挙によって選ばれ、その王権もとても弱く、国政を行おうにも貴族の全会一致を得られないと何も出来ないと言った状況でした。
その為、17世になると「大洪水時代」と呼ばれるポーランドにとって諸外国から侵攻を受ける苦難の時代になります。ウクライナで反乱が起きるとそれに乗じて、ロシアとスウェーデンが侵攻し、ワルシャワは3度も陥落します。
両国との和平後、今度はオスマン帝国が侵攻してきます。これに対して総司令官ヤン=ソビエスキが善戦したため、彼が王に選出されます。彼は対外戦争を推し進めその名を東ヨーロッパに轟かせますが、その一方国内は一層荒れ、貴族の反発も相次ぎ、息子を王位に付けるのに失敗し没します。

そして、その後、王に推されたのは隣国ザクセン公国の王フリードリヒ・アウグスト1世です。これにはロシアとザクセン(神聖ローマ帝国)によるマグナートの買収があり、マグナート達はポーランド人の王を選出することなく外国の王に王冠を与えてしまいます。
そして、ポーランド王してはアウグスト2世と名のったフリードリヒ・アウグスト1世は、ロシアの要求に答えるかのように、ロシア・デンマークと同盟をし、スウェーデンと大北方戦争を起こします。戦争はスウェーデン有利に進み、デンマークは和平し脱落、ポーランドは国土の半分を支配された為、スウェーデンの息がかかったマグナートにより、マグナートからスタニスワフ・レシツィニスキが傀儡王として選出されると言った状態にまでなってしまいます。

その後、ロシアの反撃により、スウェーデンが敗退したため、フリードリヒ・アウグスト1世は再び、ポーランド王位を回復させますが、もはやポーランドには主権はありませんでした。

そして彼の死後、再びポーランド王の選出を巡って諸外国の干渉を受けるのです…

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 法王 | トップ | ポーランド継承戦争② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国:ドイツ・オーストリア」カテゴリの最新記事