所属:独立→曹操
年齢:約51歳(200年の時)
ゲームでは左上の端っこの涼州からスタートする脳筋軍団のボスです。馬騰は母親が異民族の羌賊ですのでハーフで、その異民族の血の為か、身長八尺184cm!で容貌も雄異であったと言います。王国・韓遂が反乱を起こした際、馬騰を見た役人が只者では無いと思って部隊を預けたところ、たちまち戦果を挙げてしまいます。しかし、もともとこの反乱は役人側に問題があって起きた為、ほどなくして馬騰は韓遂に組するようになります。
董卓の長安遷都後に協力し、軍功を挙げて征西将軍にまでなっています。その後、董卓が殺され李傕らが政権を握ると、李傕とも関係を結ぼうとしますが、些細なことで不仲になり、ちょうど劉焉が息子を使ってクーデターを起こそうとしていたので、それに組にして李傕を攻撃しますが、これは李傕に軍配が上がります。
その後は、韓遂と義兄弟の契りを結びますが、またこれも不仲になって互いに争うようになります。ちょうど長安や洛陽を鍾繇が曹操に任命されて治めていた時期で、鍾繇によって2人は和睦しています。さらに曹操が袁紹と対決すると、袁紹側の郭援が洛陽を目指して進軍してきます。これに援軍を要請され、馬超・龐徳を派遣して郭援を討っています。
208年に馬騰は曹操のたっての命令により、軍の指揮権を放棄して朝廷に出仕することになります。この際、指揮権は息子の馬超に預けていました。しかし、211年に曹操が張魯を討伐する為に軍を西に進めると、これに恐れた韓遂・馬超らが反乱を起こします。その為、入朝していた馬騰は曹操に捕られたれて一族と共に処刑されてしまいます。
意外にあっけない最後です。統率と武力ですが涼州で勢力を誇りますが、むちゃくちゃ戦に強かった訳ではなさそうです。ただしぶとく反乱を起こしていますので、統率は3として「戦争で死なない」をつけました。武力はさすがに3はさびしいので4、政治は君主と言うよりも軍団のトップぐらいでしかないので1、知力は特に減点が無いので2。
年齢:約51歳(200年の時)
ゲームでは左上の端っこの涼州からスタートする脳筋軍団のボスです。馬騰は母親が異民族の羌賊ですのでハーフで、その異民族の血の為か、身長八尺184cm!で容貌も雄異であったと言います。王国・韓遂が反乱を起こした際、馬騰を見た役人が只者では無いと思って部隊を預けたところ、たちまち戦果を挙げてしまいます。しかし、もともとこの反乱は役人側に問題があって起きた為、ほどなくして馬騰は韓遂に組するようになります。
董卓の長安遷都後に協力し、軍功を挙げて征西将軍にまでなっています。その後、董卓が殺され李傕らが政権を握ると、李傕とも関係を結ぼうとしますが、些細なことで不仲になり、ちょうど劉焉が息子を使ってクーデターを起こそうとしていたので、それに組にして李傕を攻撃しますが、これは李傕に軍配が上がります。
その後は、韓遂と義兄弟の契りを結びますが、またこれも不仲になって互いに争うようになります。ちょうど長安や洛陽を鍾繇が曹操に任命されて治めていた時期で、鍾繇によって2人は和睦しています。さらに曹操が袁紹と対決すると、袁紹側の郭援が洛陽を目指して進軍してきます。これに援軍を要請され、馬超・龐徳を派遣して郭援を討っています。
208年に馬騰は曹操のたっての命令により、軍の指揮権を放棄して朝廷に出仕することになります。この際、指揮権は息子の馬超に預けていました。しかし、211年に曹操が張魯を討伐する為に軍を西に進めると、これに恐れた韓遂・馬超らが反乱を起こします。その為、入朝していた馬騰は曹操に捕られたれて一族と共に処刑されてしまいます。
意外にあっけない最後です。統率と武力ですが涼州で勢力を誇りますが、むちゃくちゃ戦に強かった訳ではなさそうです。ただしぶとく反乱を起こしていますので、統率は3として「戦争で死なない」をつけました。武力はさすがに3はさびしいので4、政治は君主と言うよりも軍団のトップぐらいでしかないので1、知力は特に減点が無いので2。