トルコ旅行を行く中で、旅行会社からでかいトルコの地図を貰いました。地図は大好きで魅入ってしまいます。(笑)
この地図、トルコで作成されたものでそれに日本語のルビを入れたものなんですが、ふと地図の下に目を通すと、キプロスが北キプロスと南キプロスに分かれている!!
キプロスは、地中海に浮かぶ島で、植民地時代にオスマントルコから英国が分捕って英領となり、その後独立します。キプロスはギリシャ人が70%で、トルコ人が30%の構成だったので、大統領はギリシャ人、副大統領はトルコ人となり、トルコ人にもある程度の権限が配慮されていました。
しかし、隣国ギリシャがちょっかいをかけて来た為、キプロス内でギリシャとの併合話が巻き起こり、キプロス大統領もその気になり、トルコ人副大統領の権限を大幅になくし、トルコ人のことを考えなくなります。当然、内乱状態になり、みかねたトルコが兵隊を派遣して北部を占領して、トルコ人の保護を図ります。そして北の地域だけ分離独立を宣言します。
当然、ギリシャもこれに反発して兵隊を出してあわや希土戦争再びか!!と思われましたが、ギリシャの軍事政権が崩壊してしまい戦争にはならず、逆にキプロスも北をトルコが支配したままとなってしまいました。一応、国連などが再統合を提案するなど調停は行ったのですが、内乱の結果、南側の住民も北との再統合は望んでおらず、キプロスは南北に分断されたままです。
しかし、この状況でも北キプロスを国家だと認めているのは、トルコのみの為、いろいろな地図を見てもキプロスはキプロス共和国1国のままなんですが、今回手に入れたトルコの地図ではちゃんと南北に分かれております。
日本ではなかなか見ることの無い一面を地図から見ることが出来てちょっと勉強になりました。
この地図、トルコで作成されたものでそれに日本語のルビを入れたものなんですが、ふと地図の下に目を通すと、キプロスが北キプロスと南キプロスに分かれている!!
キプロスは、地中海に浮かぶ島で、植民地時代にオスマントルコから英国が分捕って英領となり、その後独立します。キプロスはギリシャ人が70%で、トルコ人が30%の構成だったので、大統領はギリシャ人、副大統領はトルコ人となり、トルコ人にもある程度の権限が配慮されていました。
しかし、隣国ギリシャがちょっかいをかけて来た為、キプロス内でギリシャとの併合話が巻き起こり、キプロス大統領もその気になり、トルコ人副大統領の権限を大幅になくし、トルコ人のことを考えなくなります。当然、内乱状態になり、みかねたトルコが兵隊を派遣して北部を占領して、トルコ人の保護を図ります。そして北の地域だけ分離独立を宣言します。
当然、ギリシャもこれに反発して兵隊を出してあわや希土戦争再びか!!と思われましたが、ギリシャの軍事政権が崩壊してしまい戦争にはならず、逆にキプロスも北をトルコが支配したままとなってしまいました。一応、国連などが再統合を提案するなど調停は行ったのですが、内乱の結果、南側の住民も北との再統合は望んでおらず、キプロスは南北に分断されたままです。
しかし、この状況でも北キプロスを国家だと認めているのは、トルコのみの為、いろいろな地図を見てもキプロスはキプロス共和国1国のままなんですが、今回手に入れたトルコの地図ではちゃんと南北に分かれております。
日本ではなかなか見ることの無い一面を地図から見ることが出来てちょっと勉強になりました。