ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

マヌエラ・カラスコと4人の男たち

2009-09-25 07:31:00 | 身辺雑事

17日の夜、各務原市の村国座にフラメンコを見に行きました。

フラメンコフィットネスを習っている先生から、「すごい人が今度各務原に来るよ。僕も行きたいんだけれど、クラスがあって行けないんだよ。残念。マヌエラ・カラスコって人なんだけれど、彼女は魂の踊りをするよ。ジプシーの生まれで、10歳から誰にも習わず独自に踊ってる人なんだ。」と聞いて、そりゃあ大変!(何が大変なんだ・・)是非とも行きたい、この目で見てみたい、と思ったのです。

村国座というところは、壬申の乱の英雄「村国男依」を祭神にまつった村国神社の境内にあり、年に一度行われる村国神社の祭礼で、氏子が奉納する地芝居を上演するために建設された舞台です。          

 明治10年ごろに創建された「村国座」は、今日まで原形を大幅に変える改築や、映画館向きに改造されることもなく保存され、江戸時代末期から明治時代初期の劇場建築の典型を今に伝える数少ない農村舞台であるとして、昭和49年には国の重要有形民俗文化財の指定を受けました。村国座が創建されてから約130年、その間に濃尾地震(明治24年)や伊勢湾台風(昭和34年)など、かずかずの自然災害を乗り越えてきました。 

  しかし、その村国座も創建から約130年を経て、建物全体の老朽化が目だつようになってきました。

そこで平成18年から3年をかけて、平成の大修理というものが行われ、今年の1月に完成したばかりなのです。

う~ん、なかなかすごいところじゃないの、村国座。

なかなかすごいところを持っているじゃないの、各務原市。

行って見ると、それは300人ほどが入ればいっぱいの、ほんとに村の歌舞伎をやるための舞台、って感じのところでした。


さて、いよいよ始まりです。題して「女王マヌエラ・カラスコと4人の男たち」。

最初に現れたのは、「4人の男たち」のうちの1人でした。

「4人の男たち」と十把ひとからげのように言われちゃうなんて、たいしたことない人なのかな、と思いきや、いきなり、その迫力に圧倒されてしまいました。

タップダンスのような激しいステップに、情熱的な振り付け、射抜くような目・・・

ちょっと踊るだけでもその体力の消耗は激しそうで、ターンするたびに汗が飛び散るのが見えます。というか、汗がこちらにかかるくらいの距離で見てるんです!

カンゲキ!

あ~、写真撮影が禁止されていたので、ここでその一端でも皆さんにご紹介できないのがくやしいわ。

私はたちまちフラメンコのとりこになってしまいました。

元々、良さげだなぁ、好みだわ、と思ってはいたものの、なかなか観劇に行ったり、自分がやってみたり、というところまでは行かなかったフラメンコ。

やっぱり、けっこうストライク。


何がいいって、決して洗練されていないところですね。

元々がジプシーの踊りだったということもあり、どこまで行っても上流社会のすましたものとは相容れませんよ、というきっぱりとしたところがある。

日本じゃその点、歌舞伎なんて元々は庶民のものだったはずなのに、いまや風流を解するすました方がたのものになっちゃってますもんね。(そんなことはない、と言うなら万とするチケット代が庶民のものかどうか、考えてみて欲しいわ。ふん。)

その点、フラメンコは酒場で、踊るほうも、見るほうもアルコールをたっぷりとたしなみながら「オラ!」「オレ!」「イエェ~イ!」などと掛け声をかけながら見るのが似合ってる。

だから、この村国座というほんの数百人しか入れないところは雰囲気だね~

これが、国立劇場だの、武道館だのでやるとほんとの良さが伝わらないんじゃないかなぁ。

男性2人がソロで踊ったところで、いよいよ女王カラスコ登場。

そんなに大きい人ではないけれど、舞台に登場しただけで凛と張り詰めたものを感じさせる大物ぶり。

髪の毛の先1本にまで魂がこもっている、という踊りにフラメンコの技術のことなんてなにもわからない私でも感動しました。

        ・そして、いくら憧れても今からじゃ、とてもあの10分の1にも到達できないから習うのにもあきらめがつきました。

だって、先に超一流を見ちゃうと、頭で考えているこう踊りたい、というのと自分の実際の体の動きとにあまりにギャップが生じそうで、そのギャップに落ち込みそうで、とても手が出ません、って先にギブしちゃいます。

しかし、面白いなぁ、と思ったのはスペインの国民性。

フラメンコの舞台には必ず生でギターの演奏と歌を歌う人が後方で座っています。

今回は歌手だけでも3人、ギターも3人、パーカッション1人という豪華な陣容でした。

スペインの歌というのは、1節、1節の間に短い間奏のようなものが入り、そのたびに周りから「オレ!」などと声がかかります。

私が驚いたのは、1人の歌手が歌っているときにその短い間奏(間奏っていっても、ほんとにものの2秒くらいの「間あい」といっただけのほうがよいような代物ですよ。)の間に、隣の歌手がちょこちょこっと話し掛けたんです。

話しかけられた歌手は、それにやはり何か返答をして、また歌い出したのです。

何を言ったのかはわかりませんが、何かしら演奏に関してどうしてもそのときに声をかけなきゃ、っていう内容のことでないことだけは確か。

たぶん、ただの世間話です。

だって、えらくリラックスした感じで、へらへらって笑って話してましたもん。

こんなことって日本でありえますぅ~!?

主役の歌手が歌っている最中に、スポットライトが当たっているその瞬間に、世間話ですよぉ!?

でも、こんなことって彼らにとっては当たり前のことのようで、歌もギターも踊りも見ていると、たぶん大筋での構成はあるんでしょうが、細かいところはその場のノリでアドリブでやってますね、多分。

また、そうじゃないとやれない国民性であり、フラメンコそのものがそういった体質なのでしょう。

観客と一緒になって、その場の空気、盛り上がりによって変わっていく。

日本人はどうもまじめすぎて、あくまで「アーティストと観客」「見られる者と見る者」「与える者と受け取る者」とそこに仕切りを作っているようなので、堅いですね。

どこかジャンジャン!と来たところで、拍手をしようと皆待ち構えている感じがあって、

舞台の上の演舞者はそれよりもノッてきた瞬間に拍手や声をかけてもらいたい、と思っているので、タイミングが合わないというか、最後までシーンとしてしまうのです。

舞台上の彼らのその場に一体となって存在するものすべて、空気も含めてのなかで、その瞬間にしか出来ないものを創り上げていこう、とする姿勢を見てオーラソーマに通じるものがあると思いました。

この「瞬間に生きる」という感じ。

「今を大切にすることだけが大事なんだ」ということが肌に染み付いてわかっている感じ。

これこそがオーラソーマも目指すもののひとつであると思うのです。

同時に、10年以上前でしたか、セビリアで行われた世界万博のときに、工事が全然予定のように進まなくてほんとにこれで開幕できるのか?と危ぶまれていたことを思い出しました。

その理由を「スペイン人はシエスタをとるから、あまり働かない。」という、早い話が怠け者、ということがニュースでは伝えられていましたが、蓋を開けてみたら、ちゃんと間に合ってました。

あれも当時は私も、「日本人にやらせたら、きちっと工期にあわせてやるんだろうな。勤勉でまじめじゃないんだな、スペインの人は。」と思っていましたが、今日のステージを見て、あながちそういうことでは片付けられないのではないか、と思いました。

彼らは、その日、その瞬間に一番良かれ、と思うことに全力を傾けるのです。

だからその瞬間にならないと何がベストかはわからないから、予定はあくまで予定にすぎない、という思いが強いのでしょう。

決して怠け者ではありません。

むしろ、これがベストパフォーマンスだ、と思えば、予定以上に頑張ってしまうときもある、って感じです。

それにしても、あんなに激しく自分の情熱を発露する道があるのはいいなぁ。うらやましい。

        ・と言うことを友人に言ったら、

「あんたらしいね。私は別にそんな激しく発露しなくてもいいよ。」と言われてしまいました。

そうなの・・?

貯めるより、出したほうがいいよねぇ。そしてどうせ出すなら気持ちよく、ぱぁっとの方がすかっとしませんか? でも、みんなそう思うはずだ、というのはきっと間違いなのね。




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