ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ただ「生きる」姿に威厳を感じます

2019-01-17 09:01:03 | ペット
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2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


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我が家の老描チャワンテですが、昨年9月に引っ越してきたときから心配でした。
ときどき忘れたころにこのブログにも書きますが、いちおう、時系列に追って改めてお話しいたしますね。
引っ越してくる1か月前くらいから血便をするようになったんです。
医者に連れて行き、出血を止めるような注射もしましたが、その場限りで同じことの繰り返しでした。
ついに軽い麻酔をかけてレントゲンをとることにしました。
レントゲンを撮る程度のこと、おとなしい猫ちゃんなら麻酔までかけずにできることです。
でもチャワンテはもともとが野良猫だったからか、いつまでも人馴れせずに私にさえ気に入らないと「シャア~!」と威嚇したり、噛んで来たりするし、抱っこもさせませんでした。
医者に連れて行くとなると一苦労で、車に乗せたときから鳴きづめです。
鳴いている、というより叫んでいる感じ。
着いた頃にはへとへとで、医者に連れてくることのほうがかえって弱らせてしまったんじゃ・・というくらいなので、ほんとに困りました。



そしてレントゲンの結果、「異常なし」でした。
先生は、
「これ以上検査をするとなると、またもう1度麻酔をかけてMRIを撮るしかないなぁ。でもそれで仮に何かよからぬものが見つかったとして、手術されます?
年齢から考えてもその手術に耐えられずにかえって寿命が短くなる、ってことは十分に考えられます。僕ならおすすめしません。出血も鮮血ですから肛門の出口に近い場所だと思われますし、なにより食欲があるからあまり深刻には考えなくてもいいのではないかなぁ。」
とおっしゃいました。
なにせ、先述のようにちょっと何かするたびに麻酔をかけなくてはいけないほどですから私もなるべく医者にかかるようなことはさせたくなく、自然のままでいいや、と思っていたのです。
先生と同意見の私は、もうそれ以上のことをせず様子を見ることにしました。
でも正直、引っ越しというストレスでまいってしまい、もう1か月以内くらいに亡くなるのではないか、と思っていたのです。



しかし、チャワンテは個室を与えられ、ストレスの大元であったアクアと引き離されたことによりかえってストレスが軽減したからか、相変わらず血便は出していましたが、むしろ引っ越し前より元気になったように見えました。
しかし、着実にチャワンテは衰えていきました。
あんなにドライフードが好きだったのに、たぶん、歯ももろくなっているのでしょう。(とにかく身体に触られたくない子なので、口の中なんておとなしく見せないからわからない)
ウエットフードしか食べなくなりました。
栄養価的にはウエットよりドライのほうがある、と言います。
ウエットしか食べなくなったチャワンテは少し痩せました。
しかし、そのときはまだ
「もともとおデブさんだったんだから、このくらい痩せてむしろ健康的なんじゃない」
という程度でした。



しかしそれからウエットフードといっても、朝晩におやつにあげていたレベルの小さなレトルトパウチ分しか食べなくなりました。
またチャワンテは痩せました。
そしてそのうち徐々にその小さなレトルト一袋さえ食べられなくなりました。
半分から3分の1程度となりました。
そしてある日を境に急激に痩せかたがひどくなった、と思いました。
お腹がげっそりとへこんでいるのです。
正直、これはもう長くないな、と思いました。
でも、一応餌をあげにいくと食べたそうにはするのです。
まだ生きる気力があるんだな、と思いました。
でも、この量はまともじゃない。
人間でいったら、おかゆを半膳さえ食べられない、というくらいの量。
栄養的にいっても、今度こそ長くない、と思いました。
お正月を超すのは無理だろうな、と。



しかし、現在チャワンテはまだ生きています。
ほんの一口ぐらいしか口にできなくなって、いったいどれくらい経つことでしょう。
猫の時間は人間の時間から言ったら4倍ほどのスピードで過ぎていく、と言いますからその計算でいったら、チャワンテはほんの一口ぐらいしか口にできなくなって、1年以上も生きている、ということになります。
これは驚異です。
身体は骨と皮だけでゴリゴリ。
もう触るのも痛いんじゃないか、とおもって頭をそっと触る程度しかできません。
歩くのもよろけるようになりました。
体力がないから歩けないのか、足腰にも支障が出てきているのか、眼ももうよく見えないのか、その全部なのか、それさえよくわかりません。
しかし、そんな状態でチャワンテは自らちゃんとトイレに行き、1度も粗相をしたことがありません。
何にも病気だから、と手を煩わされたことがないんです。
私がウエットフードを持って朝行くと、必ず「にゃあ」と鳴いて、自分から小屋から出てきます。
小屋というのは小さなホットカーペットの上にサイコロ状のフリース素材でつくった猫用のハウスなのですが、入口が楕円状にカットされているものの、7センチぐらいまたがないといけない高さがあるんですね。
もうその高さがまたげないのでは、とこちらとしてはひやひやしているのですが、ちゃんとつまずくことなくゆっくりとですが出てきます。



私は、チャワンテに
「そんなに無理しなくてもいいんだよ。そしてガンバらなくてもいいんだよ」
とアニマルコミュニケーションを試みようとしました。
けれど、彼女はもう意識も半分朦朧としている感じで、もやがかかったような状態で何も考えてはいないようでした。
テレパシ―でもまともなコミュニケーションはできませんでした。
でも、そもそもチャワンテは「頑張りたい」んだったら、「ガンバらなくてもいいんだよ」ということも失礼です。
そんな私のどっちつかずの気持ちがよけいにコミュニケーションを曇らせていたのかもしれません。



チャワンテは眠いから寝る、朝起きたら多少はお腹が減っているので差し出されたフードを食べる、食べたら喉が渇くので水を飲む、水を飲んだらトイレに行く、また寝る、という生理的なことをただ繰り返しているにすぎない、という風にも見えました。
けれど、とても心細く日々を送っているようにも見えるのです。
チャワンテはもともと「ぎゃー」というような濁った鳴き方しかできない子でした。
それがとても威嚇的で要求がましく聞こえるので、人にはあまり可愛く思ってもらえないソンな子だな、と思っていました。
事実、ダーリンはアクア一辺倒で、チャワンテには全く愛情を感じていないようでしたし。
そのチャワンテが今、甘えたような声で「にゃあ」と鳴くのです。
幼児還りしているのかもしれません。
そして食事をやって、私が部屋から立ち去ろうとすると「もう行くの?」というような心細そうな表情をします。
可哀そうにも思いますが、私もずっとチャワンテの面倒ばかりをみているわけにもいきませんので、心を鬼にして
「また来るからね」
と言って部屋を閉めます。



チャワンテの姿を見ていると、ほんとうに私たちというのは
「死ぬまで生きるしかないのだ」
と思います。
衰えてから亡くなるまでにかかる時間は人それぞれだろうけれども、時にもうかつての元気な姿は取り戻せないならもう早く逝きたい、と思ってもえらく長くかかる場合だってあります。
チャワンテはそのことをどう思っているのだろう・・?
彼女の深いところの想いはわからないけれども、私は
「1日も長く生きていてほしい」
と思う気持ちと、
「もう早くラクになっていいよ」
という気持ちが錯綜します。
毎日着実に衰え続けていき、それでもたくましく生きているチャワンテの姿を見るのが辛いときもあります。
でも、私が目を背けてどうする!と自分を奮いたたせます。
彼女の壮絶な最期をちゃんと見ていてやらなくては、と思います。
チャワンテだって、自分が日々衰えてきていること、できなくなることが増えていること、食欲も無くなってきていることには自分でも気付いているでしょう。
そしてそれが再び快方に向かうことがないのも。
それをチャワンテはどう思ってるのだろう?
どう思おうが、淡々と水を飲み、淡々と排泄をし、淡々と少しばかりの食事を口にして、ただ生きているチャワンテが神々しくさえ見えてきます。
そしてその姿に尊厳を感じます。



今は毎日毎日朝、チャワンテの部屋を訪れるたびに、死んでしまってやしないか、とドキドキしているのですが、いつかそれが本当になる日が必ずくる。
しかもそれはもうさすがに遠い日ではない。
なるべく彼女が望むことを望むようにしてやりたいと思うのですが、チャワンテは
「私はなぁ~にも望んでなんかいないよ。これまでも、これからも」
という顔をしています。

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