ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

チャワンテが光に還りました

2019-01-29 09:01:09 | ペット
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 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル    終了いたしました
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
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1月27日、昼下がりの未明、チャワンテが肉体のスーツを脱ぎ捨て光に還りました。
お疲れさま。
見事な死にざまでした。
こんなに死に至るまで手をかけさせなかった子って知らない。
チャワンテは1度もトイレ以外で粗相をすることもなく、1度も食事の介助を必要とすることもなく、よろよろとしながらも淡々とトイレで済ませ、自分の口で食べられなくなった、飲めなくなったらきっぱりと
「もういらない」
「もういらないんだから、無理にくれなくていい」
という態度を貫き、そして死んだのでした。
でも、考えてみれば、これはチャワンテと私の最初からの約束でした。
当時も私にはほかに飼い猫がおり、
「おまえには寝床とご飯があるだけでももうけもの、と思ってもらうしかないよ」
と言うと、チャワンテは
「それで十分」
と言ったのでした。(というように感じた)
それから私とチャワンテの共同生活が始まりました。



チャワンテが弱ってきていて、もう長くはないのではないか、ということは、ちょうど亡くなる10日前の17日に記事にしました。
あれから10日。
相変わらずほんの一口のスープを口にするだけでしたが、それでも私がチャワンテの部屋を覗くと自分のハウスから嬉しそうに「にゃあ」と鳴きよろよろと出てきて、そしてそのときだけは水を飲み、スープを口にする、という日が続いていました。
私はチャワンテのゴリゴリになった頭蓋骨を撫でながら、
「チャワンテ、大丈夫だよ~」とか、
「チャワンテ、無理しなくていいよ~」とか、
「チャワンテ、頑張らなくてもいいんだからね~」とかいろいろと声をかけていました。
でも、そんな言葉をかけながらも、何か私は違和感を覚えていました。
親切ごかし。
おためごかし。
きれいごと。
そんな気がしました。
私がチャワンテにかけるべき言葉はほんとうはそんなものではないはずだ、という気がしていました。



それが亡くなる2日前。
チャワンテが水を飲んだあと、ついによろよろどころか自分のハウスにまでたどり着けず、畳の上でペタリと座り込んでしまったのです。
そのとき、私はゆっくりとチャワンテを抱え込み、その喉を撫でながら、
「チャワンテ、ありがとうね。今までほんとうにありがとうね」
と言いました。
それが思わず私の口から出た本音でした。
それだけが私が言うべき言葉であり、ただ一言、チャワンテに伝えたかったことだったのでした。
それは私の口からごく自然に出てきました。
マジックのように、口からするするとつながった万国旗が出てくるかのように。
まるで私とは違う別の意志を持った生き物かのように。
チャワンテ、ありがとう。
18年間、ずっと私のそばにいてくれてありがとう。
私を見て来てくれてありがとう。
いつも見守ってくれてありがとう。
そして自分の生きざまも見せてくれてありがとう。
約束を守ってくれてありがとう。
とにかくすべてがありがとう。
全身全霊をこめて、私は「ありがとう、ありがとう」と言い続けました。
色んな出来事が走馬灯のように思い出されました。
18年前の私は、まだダーリンとも出会っていなかった。
18年前の私は、まだオーラソーマにも出会っていなかった。
18年前の私は、まだ以前の会社に勤めていた広告マンだった。
考えてみれば、この20年ほどは私にとって激動ともいえるほど人生の中でいろんなことがありました。
そのすべてにチャワンテは立ち会ってくれているわけです。
するとチャワンテは最後の力を振り絞るようにして、ゴロゴロと喉を鳴らしました。



動物ってほんとにすごい、と思いました。
人間がもう余命いくばくもない、というひょろひょろの身体になって病院のベッドに横たわっているとき、誰か会いたかった人がお見舞いに来てくれたとします。
いくら嬉しくたって、
「やぁ・・」
と力なくベッドから微笑み返すのが精いっぱいのことでしょう。
それをチャワンテは自らの足で歩いて、ドアのところまでその人を迎えに行くわけです。
毎日、毎日、毎回、毎回。
そして意識が半分朦朧としながらも、嬉しいという態度を表すわけです。
なにか苦しかったり痛かったりするのかわかりませんが、とにかくそうするのが当然かのように。



ありがとう、ありがとう、と言った私は次に、
「チャワンテが1番好きだよ」
「チャワンテを1番愛しているよ」
と言いました。
正直、私が自分の一生を終えるとき、
「おまえが飼ったペット、出会った動物たちの中でどの子を1番愛してた?」
と言われたら、それはチャワンテではないでしょう。
やっぱりそれは花奴(以前飼っていた猫)だという気がします。
それは折に触れてチャワンテ本人にも伝えてきたことでした。
そしてチャワンテは常に自分の位置がセカンドであったり、末席であることを受け容れてきました。
でも、だからといって、そのとき、その瞬間には私にとってそれが真実だったのです。
「チャワンテ、お前が一番だよ」
と言うことが。
するとチャワンテはなおのこといっそう喉を鳴らしました。
そして今、チャワンテは1番とか2番とかそういう順位づけから解放され、私にとって永遠の存在となったのでした。



その次の日の朝から、チャワンテは水も口にしなくなりました。
私が部屋を覗いても、ハウスから出てこなくなりました。
「もういい。もう堪能した、人生は」
と言わんばかりに。
そしてチャワンテが水も口にしなくなってから2日目の朝、明け方に私は不思議な夢を見ました。
それは、友人が妊娠する夢でした。
友人は私と同年代の子です。
そんな年齢の友人が妊娠なんてするわけないのです。
でも、彼女は、
「あ、きたきた。ヤバい。ここで産んじゃうかも」
と言い、私はなぜか周囲の人たちに
「ま、ま、お祝いごとですからどうぞご一献」
と言って、お酒をついで回っているのでした。
夢から覚めて、そのリアルさにぼーっとしながら起きたとき、私は瞬間的にこれは逆夢かも、と思いました。
つまり、「生まれる」夢だから、チャワンテが「死んだ」のかも、と思ったのでした。



急いで、チャワンテを見に行きました。
チャワンテはもう脳内麻薬が出始めているのか、痛くも辛くもない代わりに何の感情もない、という様子ではありましたが、そのときはまだかすかに生きてはいました。
私はほっとしながらも、「もう長くはないな・・」と思いました。
その昼過ぎにチャワンテは亡くなったのです。
ほんとに1つ1つの段階を地道に着実にふまえながら、1つずつチャワンテはある意味、健康的に、まっとうに衰えていきました。
弱ってきたときには、
「朝覗いたら突然、チャワンテが死んじゃっていたらどうしよう」
と何か恐いものを見るような気になって部屋を覗いたものですが、チャワンテはそんな突然死ぬようなことはありませんでした。
昨日まだ歩いており、少しだけれども何かを口にしたのであれば、わたし、当然まだ生命力あるってことだよ、と言わんばかりに「にゃあ」と鳴いて、ハウスから出てきました。
そして食べ物を口にしなくなり、水も口にしなくなり、動けなくなり、ついにすべての臓器が活動を停止したので、ハイ、生きることをやめました、という感じの死に方でした。
私もチャワンテのように死にたい、と思いました。
すべての機能を使い果たしたので、ハイ、終わりです、という感じで。
どれかの機能だけは立派なのに、どれかだけが著しく衰えたので、それに引きずられるようにして他の健康な臓器ももう停止するしかないわけですよぉ、残念、という死に方ではなく、同時にすべての機能を使い果たしたので、終わる、という感じ。
それが理想的だな~と思います。



私はしばしの間、チャワンテと2人きりの時を過ごし、少し泣き、それからダーリンと2人で、チャワンテのために祝杯をあげ、チャワンテの思い出話をしながら酔いました。

(写真はまだ若き日の元気なころのチャワンテ)







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