オーラソーマのイクイリブリアムボトルは、色が変容することがあります。
色が変容したボトルは、そのボトルがプラクティショナーのところへやってきたときには「まとも」であったということが確認されているなら、その後に変容してもそのままクライアントにお渡ししてよい、ということになっている、というのは以前から知っていました。
それは、その変容したボトルのことを美しい、と思って選んだクライアントとの引き合わせなのだから、という理由からだ、ということもわかっていました。
でも、どうしても私は変容したボトルをそのままクライアントにお渡しすることにためらいがありました。
それは、その変容がボトルとワークしたときなどに時々起こる説明のつかない変容ではなく、明らかにただの時間経過による化学変化だと思われるようなときには特に恐縮しました。
ボトルとワークしたときに起こる説明のつかない変容、例えば「第3の色が現れる」とかであれば、それはさすがに現代科学の領域をもってしては計り知れない何かしら神の領域の力が働いた気になって、クライアントも了承してくれるでしょう。
けれど、「ピンクの色が薄くなっている」(ピンクはすべての色のなかでも特に色が抜けやすいんです。)とか、「鉱物が浮き出ている」(ボトルの中にはオイルとハーブエッセンスだけではない微量の鉱物を液体に溶かし込んだものが入っています。最初は溶け込んでいるのですが、時間の経過とともにそれが鉱物としての実体を徐々にあらわにしてきて、細かなゴミのような異物が入っているように見えるときがあるのです。)と言う場合は、やはりクライアントの身になってみれば、(本来はそういうものじゃないはずなのに・・)と思ってあまり気分がよくないものなのではないかな~と思っていたのです。
実際にはそういうボトルをお渡しするとき、クライアントから眉をひそめられたり、「これじゃないもの、ありませんか?」とか言われたことはありません。
皆さん、快く引き取ってくださいました。
やはり、自分が好きだから選んだボトルですもんね・・・
でもそう理解しようと思ってはいても、どうしても気が引けてしまう私がいたのでした。
だから、「これがこう言う変化を起こしたのは、成分が悪くなっている心配はないから大丈夫なんですよ。」ということをやたら弁解じみたように語ってしまったり、あまりに変化を起こしたものについては、自分で使うことにしよう、と棚から下げてしまったりしていました。
あるとき、ボトルを注文したら最初からペールブルーがグレーになってしまっていたときがありました。
最初にも記しましたが、「プラクティショナーの手元に渡ってから変化したものはOK」ということでいえば、この場合は最初から色が変化してしまっているわけですから、さすがに交換してもらおうと電話をしました。
すると、「イギリスからうちに入荷したときから今回、この色なんですよ。だからお望みなら交換しますけれど、また同じ色が来るだけだと思いますよ。」と言われてしまい、あきらめたことがあります。
でも、なんだか釈然としなかったのでした。
ずっとこのアルケミーボトルについては、わだかまったものがありました。
しかし、先日、このことについてぱあっと目の前が明るくなるようにとても納得できる説明に出会ったのです。
それは、私がとても大好きで尊敬する「カラフルK」の柏村先生の記述。
私はここの「カラーローズ通信」というメルマガの配信を受け取っているのですが、そこで柏村先生がこのアルケミーボトルについて語っておられるものを読んで、「そういうことか!」と痛く納得してしまった、というわけです。
そこにはボトルがイギリスで誕生し、そのボトルを使う皆さんのお手元に届くまでにいかに多くの人の「愛と意図」が込められているか、から丁寧に“愛を込めて”綴られていました。
ハーブを育む地球を、土を、愛し、そしてそれらに敬意を払いながらバイオダイナミック農法による栽培を行い、スパギリックエッセンスという鉱物の波動をより人間のあらゆるレベルに影響を与えるように変容させた液体にするためにこだわって作っている方々。
「愛と意図」をこめるために、植物はすべて手で摘み、収穫されているそうです。
そしてそれら全ての要素をミックスするときにはオロイドと呼ばれるオーラソーマのために特別に作られた機械で、まるで赤ちゃんをあやすときのような穏やかさで8の字を描きながら、それらのエネルギーをミックスしていくときに払われる注意深さとかける時間。
それらすべての工程に「愛と意図」がこめられ、かかわった人々のエネルギーがこめられ、ボトリングされ、キャップが閉められる・・
その工程に関する、それこそ柏村先生の愛を知るだけでも心が何ともいえないこみあげるオーラソーマに対する思いでいっぱいとなり、「もうわかりました! もう十分ですぅ~」と叫びたくなってしまいました。
そして、その「愛と意図」は植物のサイドからも語られます。
イクイリブリアムボトルという存在になって誰かそれを必要とされている人の手に渡るために、植物やハーブのエネルギーたちはただ役にたとうとそのときがやってくるのを静かに待っています。
すべての収穫が手で行われるのも、植物が「役にたつときがきた!」とわかるように、だそうです。
このように、自然界のすべてのものは、人間の役にたつことを喜んで引き受けます。そして、どのボトルたちも全てが私たちの役に立ちたくて、遠くから旅をしてやってきます。
だから、多くのボトルが立ち並ぶなかで、引き寄せられるように出会ったボトルとは、まさに一期一会の出会いなのです、とそこには書かれてありました。
なんてステキな説明なのでしょう!
柏村先生は今でも、美しい100本以上のイクイリブリアムボトルの前に静かに立つとき、心が震えるような感動を覚える、と書いていらっしゃいました。
この時代、カラフルで美しいものならいくらでもあるというのに。
私もそうです。
ジェームス・アッシャーのCDをかけ、ライトアップした棚の前に立ち、すべてのボトルに声をかけるように1本ずつ丁寧に眺めていくとき、えもいわれぬ心に静謐が訪れるのを感じます。
そして、ときどきボトルをセラピス・ベイを薄めた液で1本1本丁寧に拭くのですが、そのときのオーラソーマに初めてであったときのような感動は今でも続いています。
そして、今回私がポンと膝を打つように「そうか! わかりましたぁ!」と今までアルケミーボトルをクライアントに渡すときにわだかまっていた気持ちが氷河が溶けるようにさぁーっとなくなっていくのを感じたのは次のようなたとえです。
あなたは愛犬を我が家に迎え入れようとペットショップを訪れ、「あ、この仔可愛いな。」というワンちゃんに触れたとき、そのペットショップのスタッフに、
「これ、いいな、とは思うんですけど、もっとほかに店頭には出ていない“在庫”ありますか?」と言いますか? 言いませんよね。
あくまで“個”としての、その仔が気に入ったんですよね。
オーラソーマのボトルもこれと同じだと柏村先生は書かれていました。
ボトルたちは前述のように、これほどまでに、というほどの「愛と意図」が込められてつくられた1本1本が奇跡の存在。
だからこそそれはオーラソーマでは「商品」ではない、という考え方なのです。
商品であれば、「在庫」があって当然だけれど、「特別の、その1本だけが持っているかけがえのない生きたエネルギー」だからそれに代わるものなんてない、という考え方。
ご納得いただけたでしょうか?
ボトルは「リヴィング・エナジー」、「生きたエネルギー」と呼ばれます。
イギリスでボトリングされたボトルたちはもはやそのときに、自分がどんなクライアントの元に行くか、知っていると言われているそうです。
どうして私は単なる知識としてボトルのことが「生きたエネルギー」と呼ばれていることをわかっていながら、そこまで思いを馳せることができなかったのだろう。
私はいたく反省し、そして勝手に納得してしまいました。
そればかりではなく、ペットショップで生きた子犬を扱っているのと同じように考えれば、マイク・ブースがただの流行のようにオーラソーマのプラクティショナーが膨張し、市場が急激な速さで広まるのはかえって好ましくない、と言ったり、なかなかアザイアクトの対応が平均化した整備がなされないのもわかるように思いました。
なにせ、「生きたもの」を扱っているんですからね。
そりゃあ、なかなか一律にはいかないでしょう。
そして最後に、これはプラクティショナーサイドの話ですが、アルケミーボトルを選ばれたクライアントにそのボトルの色のメッセージは何を伝えたらいいのか、ということもちゃんと柏村先生の記述には書かれてありました。
例えば、上下ピンクのイクイリブリアムが、上下ペールコーラルに変容したとしたら、それは本来のピンクのメッセージに加え、そこに更に加わったイエローのメッセージと、変容後のコーラルのメッセージも意味するのです。
なぁるほど!
そうやってコンサルテーションしていけばいいんだぁ!
・ ・・なんてことをクライアントの方も読んでおられるブログでこんなこと言ってちゃいけないんだろうけど。
まぁ、なにもかも自己開示しちゃう私、ということでお許しください。
というわけで、オーラソーマを愛する皆さま、今後ともアルケミーボトルとの出会いを大切になさってください。
なぜなら、柏村先生の経験上では、アルケミーボトルとのワークは特にボトルに基づいた体験を生みやすいようだ、ということです。
アルケミーを起こす、ということはそのボトルが敏感な証拠ですから、やはり敏感なタイプは私たちのエネルギーとつながりやすい、波長が同調しやすい、ということのようなのです。
そう言われるとアルケミーボトルを使うことが楽しみになってきませんか?
そして、私は堂々とアルケミーボトルをクライアントにお持ち帰りいただくことに、もう躊躇はしません。
色が変化したボトルをアルケミーボトルと呼び、通常のボトルプラスαの解釈ができることを知っていましたが、やはり『ピンクは日光に弱くてただ色が抜けてしまっただけなのかしら・・・』と思っていました。
ネットでアルケミーボトルについて調べているうちにこちらにたどりつきました。
そしてこちらの記事を読ませていただきイクイリブリウムは”生きている宝石”と言われていることを思い出しました。
ならば色が変化したボトルは、劣化や退化ではなくある種の成長なのでは・・・と今は思います。間もなくこのボトルを使い切りますが、『好きだったピンクが抜けてしまったボトル』という思いはもう手放し、さらにすばらしく変化したボトル、すべての色を含むクリアーになろうとしているあらゆる可能性を秘めたボトルとして、楽しみながら使うことができそうです。ありがとうございました(^0^)
それは、kyokoさんに「ありがとうございます」と言っていただいているのはボトルに対してだろう、とわかってはいても、「私に言ってもらわなくてもいいんですよ[E:coldsweats02]と改めて言わなくてはいけないような気になるほどでした。
ほんとに私こそ、改めてそんな気付きをシェアしていただけてありがとうございます[E:sign03]
kyokoさんのおっしゃるとおり、ピンクの色が薄くなったということは、すべての色を含むクリア、すなわちすべての可能性を含む、ということになったのであろう、という解釈、素晴らしいと思います[E:shine]
kyokoさんのおっしゃる「好きだったピンクが色が抜けた、と言う思いを手放し・・」という”手放す”ということは、逆に言えば、あらゆる思いや解釈をあるがままにこだわらずに”受け取る”と言うことでもあると思います。
これからもステキにボトルとワークし、存分に思いを遊ばせ、手放し、受け取っていってくださいね。
私も同じようにボトルたちとワークし、いろんなことにまた気付いていけがらなぁ~と思っています。