さて昨日は、表現アートセラピーが根本的に根ざすもの、“パーソン・センタード・アプローチ”とはどういうものか、を説明するだけで終わってしまいましたが、その後、それを踏まえて3人で1組になり、実際にカウンセリングをやってみましょうというワークを行いました。
3人とは、1人がカウンセラー役、1人がクライアント役、そしてもう1人は、オブザーバー役、すなわちすべてを俯瞰して把握し、カウンセラーやクライアントにそれぞれに何が起こっているか、ふたりの間には何が起こっているかを見つめる役のことです。
まずはサンプル的にこういうことですよ、という事例をインターンシップの2人が行ってくださいました。
このカウンセリングでは、クライアント役はまぁ、自分の感情と思考がおもむくままに突っ走ればいいので、昨日お話した「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「自己一致」を駆使しなくてはならなくて大変なのは、カウンセラー役です。
私は「人の話を聞く」という点では、ショッピングセンターの販売員の人たちに「いいこと? お客様の話をよく聞くことがまずは大切よ。」と教えていますので、そのサンプルの事例を見ていて、そこで駆使する技術的なものは同じことだな、と思いました。
すなわち「傾聴のスキル」です。
見ていたら、カウンセラー役の人がしたことは、まず、クライアント役の人が語ったことを“リピートする”ということでした。
そして一切ジャッジしたり、「それはこういうことなんじゃない?」「こうすればいいんじゃない?」というような私見を述べたり、提案を行うということをしない。
クライアントが自分自身で気付く、という機会を決して奪ってはならない、ということなんです。
これだけでクライアントの心の中で起こっていることがどんどん深まっている、という感覚がわかればいいですが、実際には自分の心の中で起こっていることをすべて実況中継のように話してくださる都合のいいクライアントはまずいらっしゃらないと思うので、とても難しいなぁ、と思いました。
例えば、「あぁ、自分で話していて気づきました。何を私ってば迷ってたんでしょうね。たったこれだけのシンプルなことですよね。」とか言ってくれるクライアントが100人のうち何人いらっしゃることでしょう。
1人いるかいないかじゃないですかねぇ。
実際には、ただ「あぁ・・・」とか「う~ん」とか考え込んでしまっているように見えたり、余計に混乱のるつぼに陥ったかのように見えるので、カウンセラー役としては、そこから何とかして引っ張りあげてあげなくては、と思ってしまうことのほうが多いと思います。
そして実際に引っ張り上げてしまうような最終的なことをやってしまうか、ちょっとだけ質問の形式を変えた言葉を次々に繰り出すかをしてしまうんです。ただ沈黙を恐れずじーっとそこに居て、どんな中途半端な地点だなと感じていても「はい、では時間が来ましたので、ここで今日は終わります。」とぶちっと終了を告げることのできる人はそうそういないのでは、と思います。
練習では同じ生徒同士ですので、どうしても相手を困らせないようにしてあげよう、という思いが働きすぎて、相手を手助けするような、先ほどの「あ、わたし、気づきました!」なんて一言をクライアント役であっても言ってしまったりすることがあるんですが、幸い私がカウンセラー役をやったときに相手役を務めてくださった方は普段からコミュニケーションが苦手とおっしゃっていて、ヘタな小芝居は打たなかったので、それが私にとってはかえって勉強になってとても良かったと感じました。
そして、まだまだだな~、どうしてこんなことができないのかな~と思うことが山ほどあることがわかりました。
ふぅ~。
カウンセリングっていうのは、奥が深いですね。
さて、お次は私がクライアント役です。
前にも述べましたが、私は今回の講座では徹底的にオーラソーマと向き合おうと思っていましたので、私の悩みは、「本当にこのままティーチャーになっていいものかどうか、今更ながらわからなくなってきた。」というものにしました。
これについては、「イギリス滞在記①」で、さんざ飛行機のなかからあぶりだされて考え込んだことでした。
そして自分でももう答えは出た、と思っていました。
でも、何かがすっきりしないのです。
思考で答えが出ても、感情がついてこない、っていうか・・・
もともと私は間尺に合う答えが見つかれば、感情もそれに合わせることが得意なほうでした。
むしろ理屈が見つからなかったから感情も迷子になっていたんだ、と思っていたくらいです。
しかしその私が、理屈ではもう十二分に答えは見つかったはずだ、と思っているのになぜか気分がすっきりしない・・・
これはまだ自分でも隠している本当の感情や理由があるのかなぁ、と何だか自分で自分がわからなくなっていました。
そしてその通り、思ったままをつれづれに脈絡なく話し始めました。
「そもそも思い返してみれば、ティーチャーになるべきかどうか、ということは事あるたびに私の中で頭をもたげることでした。そしてそのたびにこう私は結論付けていました。自分が生徒としてオーラソーマの授業を受けるとき、時にティーチャーを見て、『私はあちら側に立ちたい。』という情熱が自分のなかにふつふつと湧くのを感じていたのです。単純ですが、単純だからこそ私は自分のなかにあるその熱意を信じたいと思って、それ以上にそこに理屈は見つけず、ここまでやってきました。でも、何かそれだけではいけない・・ 満足しない・・ もっと明確な答えが欲しい、と思っている自分が今はいるのです。」
「そう考えて行くうちにふと思い出したのが、私が迷ったときに主人に相談すると主人がこう言ったことです。『とにかくティーチャーになるだけなってみたらいいやん。生徒のままで私はティーチャーになるべきかどうか迷った末、こうこうこうだからならなかったんだよ、って言ったってカッコ悪いっていうか嘘くさいじゃん。でも行くところまで行ってみて、ティーチャーになってから、ここは私の居るべきところではなかった、って気付いたからやめたよ、って言うのは信憑性があるし。』と彼は言いました。そう言われて私はその通りだ、と思い、それ以上に自分で考えることをやめてしまった、というのもあります。それが一番納得できる答えだったんです。」
とりとめもなく、これまでにティーチャーになることについて私のなかで起こったことを話しているうちに、自分でも何が問題なのかわからなくなってきました。
そして自分がこれだけ混乱しているんだから、カウンセラーは余計にわけがわかんないだろうなぁ、と思いました。
わけがわかんないにもかかわらず、否定もせず、ちょっとアンタ、自分の言ってることがわかってんの?とも言わず、良く付き合ってくれてるよなぁ、なんてことが頭をよぎりました。
カウンセラーは根気良く、脈絡もない私の話を「うん、うん。」と親身になって聞いてくれ、そのあまりの真剣さに「ごめんなさい。そこまで真剣に聞く態度で聞いてもらうほどの話じゃないの。」と言ってしまいそうになるほどでした。
きっとカウンセラーの頭の中には「それはこういうことじゃないの。」っていう取りまとめがきちんと私よりは行われているはずだから、それを提示して欲しい、そして「あなた、こうしなさい。」って上から目線でいいから何か言ってくれないかなぁ、なんて思いました。
そんなことを思った自分にびっくりしていました。
私は人から指示されたり、決め付けられたりするのが大嫌いな人間だ、と常日頃自分のことを思っていたからです。
それが自分がわけがわかなんないどツボにはまり込むとちょっとは指示でも決め付けでもいいから提案が欲しい、と思うものなんだ、人間って弱いもんだなぁ、と自覚しました。
このワークの時間はたっぷりと取られていましたので(それでも30分。ほんとのカウンセリングでは大体45分~60分をかけるのですから、それでも少ないはずなんですけれど、一方的にしゃべっている私には十分な時間でした。)、私は自分でもわけがわからなくなりながらも、それでも一生懸命、次々とこうかな、ああではないかな、と頭に浮かんだことを話して行きました。
すると、たぶん・・・ですが、私のもやもやとしてティーチャーになることに100%ハッピーになれない理由がわかってきました。
それはやはり経済的な問題でした。
昨年まで私は月々のサラリーというものをもらう生活をしていました。
しかし、これからは月々に波のある生活をして行かなくてはならない。
それが小波であろうが、大波であろうが、私自身は経済的に“波がある”ということ自体がいやなんだ、と思いました。
ふぅん・・・
ほんとに100%ハッピーになれない理由がそれだけのことなら、これは一生懸命働きさえすれば、改善する余地は100%ある話ではないか。
そう思っただけでまた気も晴れてきた単純な私でした。
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