最近、オーラソーマのセッションをしていて「そうか、こういうセッションこそが本当のカウンセリングかもな。」と思うときがあります。
それは、クライアントの一番心の奥の深いところに触れることができたときです。
そこには、その人のすべての言動グセを決定づけている根っこのようなものがあります。
だからそこに触れることができるとすべての現象面であらわれている悩みが一気に雪崩を起こすように消えていくことが多いからにほかなりません。
そもそも私がオーラソーマで4本色を選んでもらって、その色に表れた意識をみていく、というもののことを“セッション”と読んでいるのは、「そのことについて関わっている時間」という以上の意味をもたせたくなかったからです。
通常オーラソーマをやっている人は“コンサルテーション”と言うことが多いですね。
多分それは授業とかでもティーチャーからそう呼ばれることが多いからだと思いますが。
しかし、「コンサルテーション」とは、もともと「相談」という意味です。
オーラソーマにやってくるクライアントというのは、「私は今こういう悩みを抱えている。それを相談したい。」というきっかけでやって来られる方も、もちろんみえます。(そういう方のほうが多いかもしれません。)
しかし、私はプラクティショナーを始めた当初、「『悩みがあるからそれを解決したいのだ』という人ばかりではなく、『私は今特に悩みがあるわけではないんだけれど、それでもオーラソーマは必要だな。』という人にこそ来てほしいな」と思っていました。
自分をもっと深く知るために。
「こういう悩みを抱えているからそれを相談したい。」という方であれば、当然のことながらオーラソーマを受けたことによってその悩みから解放される答えを期待する、ということになるでしょう。
けれど、オーラソーマはこちらからこうしなさい、ああしなさい、という提案をするものではない。
あくまで自分で自分の内側を見て意識を成長させ、自分で答えを見つけていくものだ、という意識が強かったので、“相談”=ならば、こちらから答えを授けてあげなくてはいけなくなっちゃう、という思いが強く、「コンサルテーション」と名づけることに抵抗があったのでした。
例えば、ですが、“ボトルの通訳”をしているうちにふいにクライアントが、
「私はどうしても自分の最も愛する人とか大切な人に、あなたは大切な人だよ、ということを伝えることができません。」とおっしゃったとします。
それが「あれ? いま、どうしてこの人はそういうことを言い出したのかな?」と思っても、勘で、それはこの人にとって最も奥深いところにある問題で、これはとっても大切な部分だぞ、ということがわかる、とします。
だから、掘り下げて聞いていきます。
「今までにそういうことがあったの?」
「もし、差し支えなければ話せる、と思った出来事を話してみて?」
「どこまでの愛情表現だったらすることができる?」
・・・などなど。
そうして尋ねたことにまたクライアントがとつとつと答えていくうちに、その人は自分で気付くとします。
「きっと私は小さい頃に、お母さんから愛しているよ、と言ってもらっていないから、自分からも言うまい、と思ってきたんでしょうね。」とか。
仮にこのときのこのクライアントの相談が、「私はどうしても恋愛で長続きしないんです。どうしてなんでしょうね?」ということだったとします。
一見、男性との恋愛が長続きしないということと、小さい頃、お母さんに「お前のことを愛しているよ。大好きだよ。大切な子だよ。」と言ってもらった経験がない、ということとは全く別物のようにも見えますが、これは根っこは同じだ、ということは皆さんお気づきでしょう。
つまり、この人が長い間わだかまってきたルーツはここにあったわけです。
それがついつい大人になってからもたまたま恋愛対象の男の人に対して発揮される、というだけのことで、小さい頃のこの誰にも言えずにきた悲しみをどこかで解放しないと負の連鎖が続いてしまうことでしょう。
お母さんは単に表現ベタの人で、言わなかっただけで十分に愛してくれていたはずだ、ということを思い出すことでこの人は癒されるのかもしれない。
あるいは、小さい頃は泣けなかったしそのことにこだわってもきたけれど、大人になった今ならもうそんなことたいしたことじゃない、と小さい頃の自分のために一度泣いてあげることが必要かもしれない。
それはもう少し続けてこのクライアントと話してみなければわかりませんが、つまり、私が言いたいことはこういうことです。
オーラソーマのセッションとしてこの人はやってきて、70分というレギュラーセッションの枠のなかで15分ほどボトルの説明をしていたところへ冒頭のように、「私は自分の大切な人に対してずっと愛している、とか大切だよ、ということが伝えられたことがありません。」という発言がふいに飛び出した、とします。
そして残りの55分はそれはどうしてなんだろう?という考察に費やされた。
このとき、これはオーラソーマのセッションと言えるのだろうか?と以前の私ならそこにブレーキをかけてしまっていたかもしれない、ということです。
もっと、ボトルの説明をしなきゃ。
もっと色の話をしなきゃ。
・・・・というように。
オーラソーマのプラクティショナーとして活動を始めたとき、「私は色の代弁者に過ぎないのだ。へたに“自分”が前面に出るようなことはよそう。」と思いました。
実際に、ボトルの色の解説をするわけではないとき(私見が混じるようなときです。)には、「これはオーラソーマのことではありませんけれどもね。」と前置きすることは忘れませんでした。
今でもそこはきちんとしなければいけない部分だ、という認識はあるので一言そのようにお断りはしますけれども、実際のところクライアントはそれをそんなにも気にしているのだろうか?と思うことはあります。
セッションで一番大切なこととは、クライアント自身がわだかまっていることを突き止め、解放してあげることでしょう。
オーラソーマのボトルによってクライアントは自分のわだかまりのルーツを思い出すことができた。
そのとき、ボトルは単にきっかけに過ぎません。
そのあとは、ひたすらカウンセリングのようなことに終始した、とする。
それは脱線した行為なのだろうか?というと、決してそんなことはない、と思います。
むしろ、一番大切なことだと思える。
きっとクライアントの気付きは、ボトルの色と照合してみると納得の行くことに違いありません。
「あぁ、だからここにイエローが出ていたのね。」というように、ボトルにその証拠を見つけることはたやすいことでしょう。
でも、そうやって力技でオーラソーマの色の話に引き戻すことが必要なのだろうか?
クライアントが望んでいることなのだろうか?
そこはたいしたことではないように思える・・・
無理やり「あぁ、これはオーラソーマのセッションだったわね~ だって、色がどういうメッセージを持っているか、っていうことをみっちり聞けたもん。」というようにしなくても、クライアントが自分自身の問題に真正面から向き合うことができれば、それでOKなはずです。
でもそうすると「オーラソーマのプラクティショナー」というよりは、単なる「坪内恵津子という1個人としてのカウンセラー」の能力のほうが問われる、という気がするのですよね。
正直、そこにはさすがにちょっと抵抗がありました。
長い間私は自分を「単なるボトルの通訳者にすぎないのだ。」と思っていましたし、実際クライアントにもそう言ってきましたから。
けれど先述したようにボトルに現れているものを通訳することはクライアントの心の奥を探るきっかけに過ぎないのであってもいいとなれば、話は違ってきます。
そこで大切なことは、“カウンセラー”としての資質です。
そして今私は、それでいいんだよね、と確かに思ってきています。
・・・と同時にそれはオーラソーマからちょっぴり離れることのような気もしてしまうのは単なる私の感傷でしょうか。
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