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ワークショップのお知らせ
パッションテストで
自分の夢を明らかにしよう!
パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。
日時 2019 1月9日(水) 10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
参加費 1年の始まりに末広がりの 8000縁
参加募集人数 4名様 残席2名様
お問い合わせは、
chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで
ご縁のある方、お待ちしています。
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<お知らせ>
オーラソーマ セッション 値段改訂のお知らせ
これまで、70分 ¥10000(ボトル1本付 税込)
※ボトルは¥5616(税込)です
で、行わせていただいておりましたが、オーラソーマ社システム変更など諸事情により、
来年1月度からセッション代金を改訂させていただきます。
新セッション料は、
70分 ¥ 8000(ボトルなし 税込)
¥13000(ボトル付 税込)
です。よろしくお願いいたします。
12月度はこれまで通りのお値段ですので、改訂前に、というかたは
お早目に
chakra@aura-soma.name までご連絡ください。
<12月セッション可能日)
1日(土)
3日(月)
5日(水)
6日(木) 10:00~
10日(月)
11日(火) 10:00~
12日(水) 10:00~ 13:00~ 15:00~
13日(木)
17日(月)
20日(木) 10:00~
21日(金) 10:00~
25日(火) 10:00~ 13:00~ 15:00~
26日(水) 10:00~ 13:00~ 15:00~
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new!
2019年度より オーラソーマ可能性探究の会 はじめます!
毎月 第四土曜日 14:00~15:30
どなたでも参加いただけます。 定員4名
参加費 ¥2000
<2019年度のテーマ> ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。
1月 2019 イヤーボトル
2月 天命を知る 第一弾ネームボトル
3月 天命を知る 第二弾バースボトル
4月 天命を知る 第三弾星座ボトル
5月 天命を知る 第四弾3STARS
6月 オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月 守護天使を知ろう
8月 生命の樹から読みとくボトル
9月 感じるオーラソーマ
カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル
参加希望の方は、ご連絡ください。
chakra@aura-soma.name まで。
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本を出版しました!
「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~
オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。
ご購入はamaon.から → こちら
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*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*目標が明確になります。
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一昨日いらしたお客さまとの雑談のなかでとんでもない話を耳にしました。
学校教育の話です。
そのお客さまの小学生のお子さんが学校のテストで、
「2.8+2.2= は?」
という答えに、
「5.0」
と書いて「×」だったそうです。
どうして? と思いますよね。
先生に言わせると、小学校では、「0」になった場合は、それは単に「“消して”なかったことにするもの」という教えなんだそうです。
だから正解は、「5」と書くことだったんですね。
でも、「.0」をつけて何がいけないのかわからない、むしろその方がより正確できちんと答えたってことじゃないの? と大人は思いますよね。
実際に、社会に出た時、それが間違いでも何でもないわけだし。
同様にそう思ったその子のお母さんは、担任を訪ね、
「ママ、これ、どこがいけないの?」
と尋ねる子どもにどう説明したらいいのかを聞いたそうです。
そうしたらなんと、
「それはそういうものだ、とただ思ってください」
というにべもない担任の答え。
出たぁ~!
「理屈じゃない。それはそういうものだ、とただ思え」ビーム!
私はこの言葉をオーラソーマのティーチャーから数限りなく聞いてきました。
たいていはマイクやイギリスの方針についての意味がわからない、これはどうしてこういうことになっているのか? ということを尋ねたときの答えがこれでした。
「それは私たちにもわからない。イギリスの常識は日本とは違うのだからしょうがない。それはもうそういうものなのだ、とだけ思ってください」
それに私はいつもやりきれない思いとともにがっかりしてきました。
やり切れない思いは、そう言われたらもうこちらとしてはそれ以上に食い下がって質問する姿勢は許されない、とシャッターを下ろされた気がするからです。
がっかりするのは、大元の発信源がイギリスアカデミーなりマイクなりだとしても、それをいったん受け取ってあなたから生徒に発信した限りは、責任をもつべきでしょうが、と私が思っているからです。
自分もちゃんと腑に落としてからリリースしてよ、って。
自分も「わけわかんない」とか「納得できない」と思っていても、それでも生徒に丸投げするんだ、というのががっかりの理由でした。
ま、ずっとオーラソーマではそんな思いを味わってきたなぁ、ということを思い出したのでした。
学校の話に戻しましょう。
お母さんは、そこで初めてカチンときて
「先生にもわからないことだったら、簡単に×にしないでください」
と言ったんだそうです。
そうしたら今度は先生の方がブチ切れ、
「僕が声をあげることによって世の中が変わるなら、いくらでも声をあげますよ。でも、現実は僕が1人くらい何か言ったって、変わらないでしょーが」
とおっしゃったんだそうで。
こんな人が教師なんですね、今って。
私が子どもの頃の教師と言うのは、少なくとも子どもの保護者に対して、
「私の気持ちもわかってくださいよ」的な泣き言や愚痴は言わなかったですよ。
そりゃ全員が全員そうだったとは言いませんが。(私のあずかり知らぬところでは当時でもそういう先生はいたかもしれないし、現在この担任のような先生ばかりではない、ということも頭の隅には置いているつもりです)
第一、「僕が1人くらい何か言ったって、世の中変わらない」なんて思っていること自体が教師云々ではなく、もう人としてダメですね、この人。
何事も1人の声から始まるに決まってるじゃないですか。
その産声が声を拾い集め、だんだん大きな声になっていくわけでしょ。
その最初の声をあげることをムダだ、とかその瞬間だけを見て「1人ぐらいが・・」というのなら、永遠にこういうヤツは大衆に追随して生きて行くがいいわ。
その代り、都合のいいときだけ「僕は!」とか声をあげるなよ、と封じてやりたい。
まぁね、このお母さんは私のようにハゲシクないので、そこであきらめて帰ってきたようですが。
しかし、母は強し。
お子さんにこう言ったそうです。
「もう、学校の勉強なんてしなくてよろし。宿題もやりたくなければやらなくてよろし。その代り、自分が興味のあること、好奇心が湧いたことは徹底的に自分で勉強しなさい。」と。
おかげでうちの子はぜんぜん宿題をやっていかないので、先生にまたわたし、呼び出されましたよ、そうしたらまたそこでその先生は、
「テストで良い点数をあげるのならば、宿題はやらなくていいです。でも、お子さんはテストでも点数が悪い。だったら宿題はやらなくては」
とおっしゃったんだそうで。
なんか変な説得。
結局、テストのためにだけ学校教育ってあるのか~ということをこの担任は露呈しているんですね。
だから、学校は休んででも、学習塾には行く、っていう子どもが増えるんだわ。
そもそもこのお母さんとは、彼女が私に
「今の学校教育ってどう思います?」
って投げかけて来たので、始まった会話でした。
私は、言葉を発するのにちょっと躊躇しました。
それは、1つには私自身が子どもを産んで育てていないので、学校の現場でいま何が起こっているのか、という話にも疎く、世の中のお母さんたちよりはうんとその世界観のことを知らないだろうから、そんな私が一家言ぶつ権利があるだろうか、と思ったこと。
2つめには、学校教育ってほんとに色んな面がからみあっていて、1つの視点からだけでは語れないなぁ、と思っていること。
例えば、私は「先生という職業も気の毒だなぁ」と思っているところが多々あって、たとえばそれについては最近では、「そもそも担任が部活動の顧問もやらなくてはいけない風潮がおかしい。それでは授業の準備をする時間さえとれない」というのを受けて、部活動の顧問に関しての部分だけは外部からのボランティアを受け容れることにした、という学校が増えてきた、というのを耳にして、教師の待遇改善の1つにはなったろうなぁ、と思っていました。
学校の先生の自殺率はすごく高いし、うつ病などを発症してしまう例が高いのも聞いていますから、多大なストレスがかかっている職業であることははかりしれません。
その割には給料はそこまででも・・という話も耳にします。
でも、このお母さんの話を聞いて、この教師のレベルの低さは、「まぁまぁ、先生も忙しすぎるから」では済まない話だなぁ、と思いました。
“子どもに寄り添う気”そのものが全く感じられない。
それでどうして教師という職業を選んだんだろう?
教員免許をとるには“子どもに寄り添う気持ち”をテストするなんて科目はないだろうから、それはどうしたら醸成することができるんだろう、とまた考え込みました。
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