ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

病院つれづれ

2019-08-17 09:01:33 | 健康・病気
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<今後のワークショップ予定>


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[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000
8/26(月)  10:00~15:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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さて、昨日はダーリンが何年かぶりにまた結石となり、救急外来を訪れたときのことを書きました。
病院に行くといろんなことを考えさせられます。
今日はそれらのことをつらつらととめどもなく書かせていただきたいと思います。



まず、最初に思ったのは、
「もし1人で暮らしていて自分の身の廻りのことは全部自分でしなくちゃ、という場合はたいへんだなぁ」
ということでした。
今回のダーリンの痛みはどうしようもないほどで救急車をすぐにも呼ばなくては、というほどではありませんでした。
ある意味、このぐらいのほうがタチが悪い。
もし1人暮らしだったらどうしようもなく痛く、電話1本くらいはかけられる、という気力が残っているうちに救急車呼んじゃったほうが後の苦労はないな、と思います。
でももし、自分で車を運転して病院まで行こうとすればそれはそれで気が張るし、万が一すぐにも入院なんて言われたときのために最低限の身の廻りのものは用意していかねば、と考え、実際に準備するのも大変だろうなぁ。
今回も痛みどめの点滴をダーリンは処置してもらったわけですが、その薬のなかにはやはり頭がぼーっとするような成分が入っているらしく、帰りの運転をもし自分でしなくてはならなかったら危険だ、と思いましたし。
そして本人も、
「何にも重要なことは考えられない感じ」
と言っていました。



今回、一連のドタバタが済んだあとに母にこのことを話したときも、母のご近所に車いすで独り暮らしの人がいらっしゃるのだけれど、車いすだ、ということ以外はお元気そうで自分ひとりで車いすを上手に扱いながら、どこへでも外出はされていたそうなのですが、家に帰ってきたら、家の中のつくりがすべて車いす仕様になっていたわけではないので、這いずりながら身の回りのことをしていたのだけれど、ついにそれができなくなったのか先日その人は施設に入ったよ、と母が言いました。
まぁ、1人だと施設にさっさと入ったほうがホッとするかもしれませんが、自分で出来る限りは自分のことは自分で始末をつけて自宅で暮らしたい、というのも本音でしょう。
もし、ほんのちょっとの家族の介助があればその人は引き続き自宅にいることが出来たのだろうな、と思うと考えさせられます。



病院ではとにかく1つ1つの処置の間に待たされました。
そのせいで私はずっと待合室に居て、いろんな人たちが救急外来に訪れるのを見ていました。
急に高熱を出したらしい人、何かで足のつま先を骨折したらしい人、いつもこの病院にかかっているお年寄りでお盆の最中休診だと言われても困るんだよ、ということで救急外来のほうを訪れている人・・・
もうほんとにそれぞれの事情、立場、いろんな人たちでいっぱいでした。
世間ではお盆といえば帰省や家族旅行でレジャーだぁ!と浮かれているなかで、かたや病院にもこんなにも大勢の人たちが淡々と、まるでいつものことと言わんばかりの感じでひしめいている・・
なんていうか・・ ほんと、人生、いろいろだよなぁ、としみじみ思いました。



そんななか、幼児とさえ言えない、たぶん乳児から幼児の境目くらいの年齢の子どもの泣き声が始終やむことなく処置室のほうからずっと聞こえていました。
その子がどんな事情でこの病院に来ていて、いまどんな処置が行われているのかはさっぱりわかりません。
ただ、これだけ泣き声がやまずにいるというのは相当痛いか苦しいのだろう、と思うと可哀想に、と思いました。
小さい子どもの泣き声ってぐずってやんちゃで泣いているのか、そうでないのかは泣き方でわかるじゃないですか。
この子どもの泣き声は決してぐずっているという感じではありませんでした。
いったいこれだけ何時間ものあいだ泣き続けている、ってどんな処置が行われているのだろう、と思うとやりきれませんでした。
私は普段小さい子どもは決して好きではありません。
動物のほうがずっと好きってタイプです。
でも小さい子どもと動物に共通して可哀想だなと心底思うのは、こういう病院にいる姿を見る時です。
彼らには自分がどうしてこんなことをされるのか、その意味がまったくわからないに違いない。
だから愛情があるゆえにこういうことをされているのか、虐待なのかの区別もつかないに違いない。
それが可哀想だなぁ、と思う。
誰もが痛そうだったり苦しそうだったりするのを見るのはほんとにこちらも苦しくなるけれども、私はたまたま持っていたマゼンタのポマンダーを嗅ぎまくり、世界に放ち続け、なんとか気を確かに保っていることができました。



それからもう1つ。
ダーリンが痛みどめの点滴を打ってもらい、それが終わって針をはずしにきた看護師さんが、
「最初にこちらに連れてこられたときの痛みは10段階のうちでいうといくつでしたか? そして今はそれがいくつになりましたか?」
「10段階・・・」
ダーリンがなぜか復唱しながら考え込みました。
看護師さんが
「そう。人生で1番痛かったときの痛さを『10』とするならここへ来たときはいくつでしたか?」
と再び少し丁寧に言い直しました。
するとダーリンは、
「あぁ・・ 人生で一番痛かったときを『10』とするとですか・・ 『7』か『8』くらいですかね」
と言いました。
そしてそれが点滴が終わった今は、『0』だ、と言いました。
すると看護師さんは、そう、それはよかった、と言って去って行きました。



それを肩越しにぼーっと聞きながら、
「ダーリンは人生で1番痛かったときって何のときのどんな痛みのことだったんだろう・・? 女性ならたいていは出産の痛みを思い出すのかなぁ」
と考えました。
そして私自身は、といえば、出産を経験していないから“これまでの人生において1番痛かったとき”っていつの何の痛みだったろう? と考えてみました。
・・たいして「痛み」というものを経験していない気がする。
大きな怪我をしたこともないし、手術も経験していないから麻酔から覚めて縫合したところが痛いだのということもわからない。
“我慢できないほどの痛み”は経験したことがないかもしれない。
“我慢できないほどの違和感”はあるけれど。
自律神経失調症と言われた時の(実際には今ではあれは「パニック障害」だったと確信しているけれども)あの、運動直後でもないのに、緊張してあがっているわけでもないのに心臓がバクバクする「違和感」。
数年前、牡蠣にあたったときもお腹そのものの痛みというより、「また、来るぞ、来るぞ。波が押し寄せてくるぞ」と思いそれに耐えながらいると心臓のほうがバクバクしてきてそちらの方に耐えられるんだろうか、と恐ろしくなったあの「違和感」。
そんなものの方が私はイヤだったな。



「痛み」そのものについては私は案外強いほうかもしれません。
この前もいつもの整体に行った時に
「夜寝ると足がむくむんですよね~」
とぼやいたら、
「それは足から心臓に血流を送り返すポンプ機能が弱いのかもしれません」
と言われ、いつも治療の最後にやる足全体をスーツのようなものの中に入れ、空気圧をかけるやつ。
なんていうんでしたっけ、とにかく下半身の空気圧マッサージ機みたいなやつ。
「あれを今日は1段階、強めにしてみましょうね」
と言われました。
何度も、
「大丈夫ですか? 強すぎたらすぐに言って下さいよ」
と言われましたが、全然平気でした。
むしろもっと強くてもいいくらい。
このくらいの強さでないとふっと圧を抜かれたときさーっと足に再び血が流れるって感覚がない。
そう言うと、
「ふぅん。坪内さんて痛みに強い体質なのかもしれませんね」
と言われました。
ま、この程度のことで本当に私が痛みに強いのかどうかわかりはしませんが、私はこれまでの人生で“人生において1番強い痛み”なんて質問にそもそも該当するような痛みを経験していなんだな、と思ったことでした。



ダーリンの点滴が終わって処置室を出ようとしたとき、お隣のベッドからも同じ質問をしているのが聞こえました。
するとその人もダーリンと同様に
「う~ん、ここに連れてこられた時の痛みは7か8かな」
と言っていました。
なんか思わずくすっと笑っちゃいました。
救急とはいえ、外来に自分で来られる人、という時点で、本人はその痛みを「10」と表現することは憚られる感覚があるのでしょう。
「それが人生で1番か」
と言われたら、なんかもっと他に1番ってあるような・・みたいな。
でも、「5」とか「6」とか答えるのもそれはそれで憚られる。
なんせ10段階の真ん中あたりの痛みってことですからね。
人によってはそれを「普通程度」ととらえるのかもしれない。
「そんなら救急外来じゃなくてもよかったんじゃないですか」
と言われかねない、と思いこみ(実際看護師さんはそんなことは絶対に言いません)、「5」や「6」も避ける、と。
それ以下の数値は問題外。
となると、この救急外来を訪れる人というのはほぼほぼ「7」か「8」って皆さん答えてるんじゃないのかなぁ、と思ったら、それ尋ねる意味があるのか、と思えて来て思わずくすっと笑ったのでした。



お昼になり、気付くと朝から何にも食べていませんでした。
でもとにかく暑くて、ダーリンの様子を見ているとよけいに私まで水分は意識して摂ったほうがよい気がして、「ポカリスエット」だの「グリーンダカラ」だのを飲みまくっていたら、なんだか甘みでお腹がぼ~んとしちゃって、全然空いた、って感じがしませんでした。








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